創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 創価バリ活ブログ

かつて「静かに創価学会を去るために」の記事にて鯛焼き氏の経緯に触れた事がある。今回はこの鯛焼き氏が立ち上げたブログ『シニフィエさんとの対話』(このブログタイトルに関して、シニフィエ氏側は勝手に名前を使わないで欲しいとの苦言を呈している)の内容に触れてみたい。

支部長としては

長年第一線の活動家として頑張ってきた、創価の現役の支部長である。創価組織を守ろうという気持ち(=使命感)は誰よりも強い。支部長としては、部員さんから見れば頼れる存在なのだろう。地元の地域の人達とも折り合いは上手くつけていると思われる。

組織人間の典型

『ものを考えない人』よりも性質が悪いのは『創価組織が絶対に正しい』という発想で論理を構築する人である。この鯛焼き氏こそ組織第一・組織人間の典型であろう。アンチからは『創価脳』と酷評されている。長年の創価組織での薫陶によって形成された思考である。

以下、特徴的な要素を挙げてみる

本尊論

年末年始にかけて、ダメ出し氏と本尊論の応酬が続いていたようだが、鯛焼き氏の本尊論は傍から見ていても余りにも苦しい。

彼の主張によれば、御本尊の相貌があれば全てが『本門の本尊』として認定できるという。創価オリジナルでも、手書きでもOKとの事。あまつさえ排泄物にさえ文字を印字すれば、それも(理論的には)本門の本尊になるという。そして、それを祈る人間の気持ち次第で『(鯛焼き流)三大秘法』が成立するかどうかで、OKかどうか決めるという。普通は排泄物の本尊に対して拝む気持ちになれないので成立しないと力説しているが、逆にいえば、排泄物に印字された本尊でも疑う事無く厚く信仰する人がいれば成立する、という珍説である。

更に、鯛焼き氏は後付けで『自行化他』という条件を付随させてきた。これは最初に発表した『創価学会の本尊の件』記事には無かった要素である。今までは本人の気持ちだけだったが、それに加えて他者も納得できる相貌が必要条件とのこと。(おそらく反論されて困ったので後付けしたのだろう)

創価のカラーコピー(一部改竄)本尊はOKだが、個人がカラーコピーした本尊はNGだという。創価の手書き本尊はOKだが、個人の手書き本尊はNGとのことだ。それは個人の場合は『(鯛焼き流)三大秘法』が成立しないという理由である。要するに拝む側の気持ち次第だというのだ。自分と他者が納得できればOKで、納得できなければNGとのこと。

要するに、創価組織のカラーコピー(一部改竄)本尊のみがOKで、他の組織や個人はNGだと言いたいだけなのだ。おそらくは「顕正会の御本尊もNGです。なぜなら創価に許可なく勝手に本尊を複製すると和合層を破る事になるから」と主張するのだろう。どこまでも「創価のやることが常に正しい」という前提の説である。

とうとう鯛焼き氏は、更に後付けで「前提として『正しい和合僧団』に属することが必須」だと言い出した。これが何を意味するのか明らかである。正しい和合集団とは創価の事であり、宗門や顕正会・その他は、全て正しくないということだ。つまり創価の会員以外が御本尊を拝んでも『(鯛焼き流)三大秘法』が成立しないからNGだと言っているのだ。

この鯛焼き流の本尊論を読んで納得できる人は皆無と思われる。何故にこれほど酷い説が出てくるのか。それは『創価組織のやっていることが正しい』という絶対条件から発想をスタートしているからだ。どれだけ矛盾があろうとそれを正当なものとして肯定しなければならない。その為には、あのようなオカシな解釈をせざるを得ない。当然、穴だらけの理屈になってしまうので、その都度、何とか辻褄を合わせようと補完解釈を付け加えることになる。結果、ますますオカシなものになる。

過去の『永遠の師匠』の発言との相違

戸田会長や池田名誉会長による大御本尊などの関連についての発言と、現在の創価執行部による教義の相違に関して。鯛焼き氏が曰く「それは宗門との関係が切れる前の発言だから」「現在は謗法の巣窟になっているから」と宗門との対外関係の悪化が原因との説明をしている。

しかし冷静に考えて欲しい。本尊とは教団の根本教義ではないか。その教義が対外関係の変化によってコロコロと変わって良いのだろうか。そうなると、何十年か先に宗門と関係が改善した時には同じように本尊を変更するのだろうか。まるでカメレオンのような本尊論である。

組織の具体的な活動内容は、時代の変化や、外部組織との対外関係の変化によって都度変更があっても仕方が無いだろう。しかし根本の教義だけは変更してはならない。



中国への認識

かつてシニフィエ氏との対話の中で、海外布教・特に中国布教に関して言及していた。「国内としては会員数は減少しているが、今後は海外布教で補うのを期待している」「これからの世界広布のカギは中国だと思ってます。北朝鮮とかイスラム圏でも将来的には布教可能になって増えるとは思いますが、まずは13億を有する中国でしょうね。中国で布教可能になれば一気に世界広布は進みます」「(執行部は)布石は着実に打っている印象を持ってます」という趣旨の発言をしていた。

なるほど人口13億の巨大国家のポテンシャルに魅力を感じ夢を抱く気持ちはわからないでもない。だが、ちょっと待って欲しい。創価は中国とのパイプを50年近く前から築いてきた。しかし現状はただの一人の会員も誕生していない。この数十年で中国布教は一歩も進んでいないのだ。

そもそも中国は当局の統制下に置けない自由な信仰は絶対に許さない。管理下に置けない組織的な活動を警戒しているからだ。法輪功や地下教会における苛烈なまでの弾圧を知らないのだろうか。中国に人権という言葉は実質的には無い。集会・結社の自由も現実的には無い。こんな国でどうやって布教を進めるというのだろうか、教えて欲しいものだ。

そんな架空の世界を語るよりも、現実に中国で起こっているチベット民族や新疆ウイグル自治区の方々への人権弾圧(もはやそれすら生ぬるい表現かもしれない。大虐殺と呼ぶべきか)を直視すべきだろう。これらの記事(記事1記事2記事3)を読めばどれほど苛烈な仕打ちか想像できるだろう。そして現役の支部長ならば、中国に対して毅然とした抗議のメッセージを発信するように創価中央組織に強く訴えるべきだろう。

池田名誉会長は中国の公的機関から様々な名誉称号を授与されているのだから、虐げられている中国人の生命と尊厳と人権を守る為に、発言するのは当然の責務ではないだろうか。(これは以前の記事・創価の中国人権弾圧への黙認でも指摘させて貰った)

(チベット民族やウィグル民族の信教の自由と人権を守るために、創価が毅然とした態度を示すことで中国に変化を促す。それにより中国における信教の自由が実質認められるようになる。よって将来的に創価の布教につながる。という論法ならば、これならば一応の理解はできるのだが)

常連のTS氏

なお、当該ブログには常連にTS(鯛焼きサポーターの略)氏という興味深い人がいる。彼はいわゆる『バリ活』では無く、言うなれば『ゆる活』という活動スタイルをとっている。彼は鯛焼き氏のような「創価が絶対に正しい」という組織人間ではなく、創価の現状の問題点もズバズバ指摘できる人である。特に選挙支援活動や数字ノルマに追われる活動内容に警鐘を鳴らしている。今の創価組織には珍しいタイプのメンバーである。

このTS氏と鯛焼き氏は、対アンチ(対シニフィエ)という点では考えが一致しているが、創価の活動方針にテーマが移ると意見が割れることが多い。コメント欄でTS氏が鋭い指摘をするのだが、鯛焼き氏は巧みに論点をずらして流そうとしている。TS氏も創価会員なので同族意識もあり、また他人のブログでもあるので、それ以上は追及するのには遠慮している。


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(まだまだメモ段階)

MonLinGenブログを取り上げたい。
管理人は乾河原氏(ブログ村)または『のんかつ氏』である。
創価の現役活動家・いわゆるバリ活である。プロフィール欄で紹介されているが、仕事はボイラー技士とのこと。創価での役職は書いていない。

ブログ村の登録アイコンが何とも気味が悪い。目が泳いで歯が欠けて顔が歪んでいる老人のイラストを使用している。彼の趣味だろうか。

「胸躍る仏罰」という本性

以前に「胸躍る仏罰」という記事を書いていた。以下に引用する
仏法の罰が数年程度で判り易く出てくる訳はありません。
もう少し気長に待ちましょう。
大聖人の仏法は、顕罰として即時公開処刑制度もあります。でも、普通は冥罰と言うダークサイドシステムが常識です。
つまり、知らず識らずの内に、ある日ふと気付いて初めて自覚出来る、そんな楽しい驚きを持っているものなのです。

「5年、7年、15年…。出会った時はもうの後の祭り」

人生の幸福絶頂期に起こる、素敵過ぎる破滅のアクシデント。今から楽しみですよね❤

杖術の術技上達にしても、絵の上達にしても、長い目で見ないと実感できません。
それと同じで、仏法の罰も顕れてくるのには年数というのが必要なのです。
数年やそこらで出てくるような、そんなケチな現象じゃありません。
想像も付かない様な陰惨な結果が必ず顕れます。 もう少し我慢して下さい。嬉し過ぎる出来事は、後で起こる方がいいでしょ。
多分、15年後ぐらいには、
「!………」
天が崩れてきて言葉も失う、そんな驚天動地な最高の喜悦が必ず待っています。

でも、その時になって思い違いは決してしないこと、飽くまでもその罰の原因の全ては貴方自身のものです。学会からの贈りものではありません。
創価を退会してもすぐには罰は出ないらしく長い期間を経て現罰が出るという。彼は「退転者」に仏罰が出るのを胸躍る思いで待っているのだという。それを「驚天動地な最高の喜悦」だと表現している。

この文章を読んで唖然とした。何という悪趣味な人なのだろうか。彼の人間性が余すところなく出ている。

これが日蓮仏法の信者の姿とは到底思えない。

創価ダメ出し氏とのやりとり

かつて、創価ダメ出し氏と本尊論で論争をして、完膚無きまでに論破されて逃げ帰った実績がある。彼はまともに法論すらできなかったのだ。現証のみを強調して文証や理証が一切出せなかった。教学力が皆無なのは明白である。

法論では勝てないと悟ったのだろう。潔く負けを認めれば良かったのだが、そうはしなかった。その際の言い訳というか捨て台詞が以下である。
「私はこの話し合いを、自分のブログのネタにしたいだけ、ただそれだけの事なんですから。 」
信仰者にとって一番重要な本尊論を「自分のブログのネタにしたいだけ」の為にやっていたと吐き棄てたのだ。呆れ果てた輩である。


このダメ出し氏とのやりとりを見ていると、彼の人格が全て窺い知ることができる。最初は低姿勢で「対話をお願いできないでしょうか」という口調だったが、それが3日後には、態度が豹変し、当該ブログに集まる人達をごみ溜めのように表現したのだ。
でも、よく考えてみると、ここ(=ダメ出しブログ)はある意味とても大事な場所なのかもしれません。ゴミの一時受け入れ場所としてね…。

ビルのそれぞれの地下には「汚水槽」という設備がある事をご存じですか?
非常に大事な設備です。ビルから出る糞尿、ゴミ、汚濁物をそのまま市の配水管に流さずに一度貯留させておき、それから適当に市の配水管を経由して処理場に送るという、社会的なとても大事なインフラです。でないと、ビル内が糞尿まみれになってしまいます。

そんな機能を持っているんですね。そう考えると、これだけの「糞尿連」が集まり続けていることに、とても納得出来ます。
(組織は違っていても)同じ日蓮仏法を信仰する人達に対して『糞尿連』とまで言い放っているのだ。もはや対話以前の問題である。人間性に致命的な欠陥があるとしか言いようがない。

偏った反論

特徴的なのは創価アンチのサイトに対してピンポイントで批判を行う記事が多い所である。
しかし、その内容が酷い。自分が反論しやすいような記事のみを選び出す。明らかに行き過ぎたアンチの記事のみ。例えば『池田大作朝鮮人説』等々。創価に否定的な人達でも「それはちょっと言い過ぎじゃないか」というレベルの題材である。アンチ創価の中でも極論の類に入るものばかりを探し出してくる。これを反論しても「幾ら何でもそうりゃそうでしょ」という程度である。これで創価の正義を証明できたと思い込んでるならピントがズレている。

彼は、ある退会者のブログに関して批評記事を書いていた。その人は精神的に悩んでいた、という内容が書かれてたようだ。しかし、彼曰く、ひたすら退会者に非があるとのこと。ちょっと待って欲しい。創価の厳しいノルマ活動に追い込まれて、精神的に病むほど追い込まれた可能性が高いのではないだろうか。彼はそれを一切考慮してないのだ。

ひたすら退転者に非があると攻め続ける。これが「創価組織が正しい」という「組織人間」の発想であり、いわゆる『創価脳』なのである。「教条主義」そのものである。

創価が批判されているのは、財務や、選挙支援活動、新聞推進等々の厳しいノルマ、このような活動内容なのだが、それらに対して一切答えていない。本当に反論しなければいけないのはこれらだろう。

彼はこのような所業によって「創価の正義を宣揚している」と思い込んでるらしいが、実際は逆効果になっていることを早く自覚した方が良い。



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『広布の大河に君ありて』ブログに関して、思う所を述べてみる。管理人は『王者の剣』さん。現役のバリ活の壮年部の方である。

人柄がにじみ出ている。

兵庫県の山間部が拠点であるらしい。自分の地域を宝城として、会員の激励に走り回っている。常に感謝を忘れず、何があっても自分に原因がある事として受け止める。人格的に素晴らしい方であろう。人生の全てを創価学会に捧げてきたのだろう。金も無く何も無くても、創価の為に尽くしてきた事を誇りに思っておられる。まさに『心の財』である。

創価組織=正義ありきの発想

だが一方で「今の組織の打ち出し・活動が間違ってる箇所もあるのでは無いか」とは思わないのだろうか。全てを『無疑日信の信心』で受け止めた結果、単なる現状容認になってしまっている。

一方、学会活動に批判的な意見を持つ人の投稿は全て排除しているようだ。学会員の人が創価の疑問点の指摘をすると「結果として同志を分断し、迷わせ、信心を食い破る師子身中の虫となる」らしい。これでは余りにも排他的である。結局は一方的な思い込みが激しい人でしかなかったようだ。ブログの中でも対話を大事にして欲しかった。残念である。

このような人達は、仮に創価の悪い所が見えても目をつぶってしまう傾向にある。「池田先生の作られた本部組織だから間違いがあるハズがない」と『無疑日信の信心』で現状を肯定してしまうのだ。改善の方向に運動を持っていこうとしないのだ、これが創価が組織改善できない原因であろう。

しかし、学会員にはこのような人が多いのだ。一人一人は人が良い素晴らしい人なのだが、ひとたび創価の問題点を指摘しようものなら、人が変わったかのように排他的な姿勢になる。いわゆる『創価シャッター』と言われる現象であろうか。このブログの人が典型的である。

綺麗な表面のみをアピール

頻繁に「組織の中で戦いきって宿命転換できました」「人と会えて励まし合う喜び」などをアピールしているが、どうも「綺麗な場面」しか書いてないように思えるのだ。この人は地元の責任者のようだが、選挙活動や財務の推進などは部員さんにどのように訴えてるのだろうか。もしも「選挙支援活動のどこが広宣流布なんですか?御書の何処に書いてあるんでしょうか?」と部員さんに強く反発されたら、どう説得するつもりなのだろうか。

「法戦をやりきれば本当の功徳が得られます」などと『集票マシーン』のような行為を功徳に結び付けて賛美するのだろうが、そんな稚拙な説明で納得できるような人はもはや皆無だろう。このネット時代にそんな非論理的な説明は通用しない。不祥事を起こした議員が目立ち、安保法案や共謀罪に妥協して賛成したり、与党に居続けたいが為に変節を繰り返している公明党を擁護することは明らかに苦しい。

純粋だが客観視できない

この人は純真で組織の言う事をそのまま鵜呑みにするタイプだろう。もしも第二次創宗問題で宗門側に行っていたら、今頃は、法華講員として「大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、および御歴代上人、そして現在は第六十八世御法主であられる日如上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されています。ゆえに日如上人猊下の御指南を仰ぐべきなのです。この一貫した仏法の正しき流れを、些かなりとも違えてはならならないと確信しております」と主張してたであろう。

純粋であるということは素晴らしいが、それだけでは屹立した信仰者であるとは言えまい。常に客観視できる思考を持つという事がいかに大切かを教えてくれる方である。


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「極悪と戦えば極善となる」ブログのラン氏。最近できたブログみたいだが、創価村で何故か人気のようである。さぞかし素敵な内容なのだろうと期待して見てみたらガッカリした。と同時に典型的な『創価脳ブログ』だったので取り上げてみる。

内容を見ると、何の教学的裏付けもない、研鑽もロクにしていない、ただただ池田名誉会長の著作物の引用するだけの記事が大半である。創価系ブログにはこのようなオリジナリティの無いブログが多い。別記事でも指摘したが、自分の言葉で自分の思想を表現できない人が多いのだ。

組織正義ありきの教条主義

立正安国論を我見解釈をして「現代における一凶は、日顕とその一派、日蓮正宗宗門である」と主張しているが、これこそ典型的な『創価脳』でなのである。相手を攻撃することが正義であり極善だと信じて疑わない教条主義なのである。

各記事を読むと『日顕宗憎し』の怨嗟の声は十二分に伝わってくるが、挙句の果てに、日顕法主書写の御本尊さえも「こんな奴らの『たましひ』がこもった御本尊などこちらから願い下げである。」とまで言い放っているのだ。『日顕宗憎し』となれば書写の御本尊まで否定しているのである。

創価カテゴリでは、このような攻撃的な記事を書けば人気が出るようである。創価のバリ活の人達の一体感を呼び起こすからだろうか。一方、全く正反対の立場の「創価ダメ出し」ブログも非常に攻撃的な内容の記事ばかりである、あれは法華講員やアンチ創価の人達の一体感を呼び起こしてるからであろう。何とも醜い争いが延々と続いてる。ちなみに、ラン氏もダメ出しブログに出張して、コメント欄で本尊義を議論したみたいだが、文証も出せずに完敗したようである

足元を見つめ組織改善へ努力すべき

ラン氏やバリ活の人達に伝えたい事は、まずは創価の『自語相違』の教義改変を真摯に見つめるべきである事だ。『永遠の師匠』である戸田会長や池田名誉会長の指導に背いて『大御本尊を受持の対象としない』と変更した事の矛盾点、『創価学会仏』の矛盾点などを正面から向き合って欲しい。

それに加えて、この7年間に一切表に出てこない池田名誉会長、選挙支援活動の矛盾点、マイ聖教運動や重い財務負担、その他、何をするにも末端会員へ重い負担を強いる組織活動の矛盾点など。これらの組織主義による弊害を直視して、よくよく考えて欲しい。そして改善の方向へと歩んで欲しいものだ。

己の組織の矛盾点には見向きもせず、創価組織の打ち出しのままに盲従する活動など信仰者として何の価値があるのだろうか。自分自身に深く問うべきだろう。


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ナチス、ヒトラーは言うまでも無く人類にとって悪である。

しかし仮に、特集記事で、ナチスが実行した経済政策や育成事業のみを扱ったらどうなるだろうか。

現在のドイツの高速道路網の基礎を作ったのは実はナチスである。敗戦後のドン底の状態から、公共事業による経済の立て直しにも成功した。国民の余暇を活性化する為にフォルクスワーゲンが設立され、大衆車が普及された。ヒトラー・ユーゲントによる青年層の育成。集団キャンプやスポーツによる青年層の育成。科学技術の発展・教育。医学の教育。

このような側面ばかりを記事にしたら、ヒトラー、ナチスは大いに褒められるのみの存在になるだろう。

ナチスが実行した、ユダヤ人の大量虐殺、人種差別、隔離政策、このような行為を一切スルーしたとしたら

(自分達が信奉する組織にとって)都合の悪い記事は一切書かない。その代わりに表面上は綺麗に映る記事ばかり書く、このようなブログは著しく偏っていると断ずる他ない。




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創価のバリ活動家のブログの方々に関して。明るい記事も多く、生き生きとした活動家の方々が多いと見受けられる。それは素晴らしいのだが、総じて気になる点がある。

自分の言葉で思想を語れない

よくあるのが、池田名誉会長のスピーチや人間革命の一節などをそのまま流用してるケースである。中には記事の9割以上が流用というケースもある。ステレオタイプというか、鋳型にはめたような創価万歳記事ばかりなのだ。バリ活動系のブログを見ていると、このような傾向の記事が多すぎるのである。これはこれで会員の方々に共感を呼び起こす効果があるのだろう。しかし、せっかくブログをやっているのだから、自分の思想を自分の言葉で表現することを望みたいものである。

そのような傾向が強い中で、「広布の大河に君ありて」ブログの方は自分の言葉で身近に起こったことを記事にしているのは素晴らしい事だと思う。信仰体験を自分の言葉で語る、所属組織の如何にかかわらず一人一人がこのような姿勢であって欲しいものである。

組織=正義ありきの忖度

「組織の打ち出しが正しい」「創価のやっている事が全て正しい」という絶対条件の上に記事を書いているから、矛盾に満ちた内容になるのだ。

もう一点は、『忖度』である。組織の幹部の批判記事を決して書かない。仮に、一時的な感情から、幹部に対する苦言を呈した発言をしても、僅か数日程度で記事を削除してしまうのだ。いわゆる『忖度』してしまったのである。

どんな組織でも必ず問題点はあるものだ。しかし彼らは決してそれを取り上げようとしない。「組織の批判をすることは破和合僧の所業である」「組織に迷惑をかけてしまう」と思い込んでいるのだ。これでは組織改善など永遠に不可能だろう。自ら改革の芽を摘んでいるのだから。


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(メモ書き)
教学はお粗末すぎて論じるまでもない。

気になるのは、彼の政治スタンスが完全に保守である事だ。

中国や韓国に対して、危険視する記事を数多く書いている。
中国のチベット弾圧・ウィグル弾圧、南沙諸島における人工島建設、
韓国の徴用工裁判、レーダー照射問題、慰安婦問題、等々

また自衛隊に対して、改憲に賛成であること。
これは明らかに創価・公明のスタンスと違う

そして、ここまで中国に警戒しているのに、中国の悪事を把握しているのに、
創価が中国を賛美し、媚中し、一切批判をしない姿勢を
彼はスルーしているのだ。
(そういえば、かつて公明が中国代表に会った時に、その記事を見て
 「注意してる」と思い込んだ記事を書いていたが、擁護としては苦し過ぎる)


・池田思想は、究極は軍隊すら必要ないと訴える
・しかし彼はバリバリの保守である。自衛隊を強化せよと言う。
この相反する思考を、矛盾していることを自覚しながらも、同時に信奉している。
まさに「二重思考」である

・池田名誉会長は、基地のない沖縄を訴えた
・しかし公明は基地の固定化を推進している
この二つは今や相反することになった。
これらが矛盾しているのを承知しながらも、彼はどちらも信奉している
まさに「二重思考」そのものだ


普通に考えて、ここまでガチガチの保守、右翼的な思考ならば、愛国心満載の、日本会議などに心酔するハズである。現に産経の記事を多用してるし、共感もしている。

なぜに創価を、池田名誉会長を絶対視するのだろうか。不思議である。



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