創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

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最近、「気軽に~」の渡辺氏と頻繁に連携してる大木道惠氏。Twitterのアカウントでは「ご隠居さん」として創価や宗門関連の話題に絡んでくる人物である。渡辺氏が『心の友』のように『師匠』のように仰ぐ人物であるが。どのような御仁であるか興味が湧いてきた。

さて、この大木道惠氏だが、ちょっと調べたところ、まぁ様々な情報が出てくるものだ。どうも彼は宗教、特に『創価ネタでメシを食ってる人物』のようである。いろいろな過去の遍歴をお持ちのようである。

私は、各宗派の僧侶であろうと、在家の本部・専門職員であろうと、(自称)ジャーナリストであろうと『現代に於いて、宗教でメシを食ってる連中』は一切信用していない。

一般論として、人間というのは「生活の為に、己が生きていく為に、思想を売り渡す」輩がいかに多いか、これまでの歴史が証明している。いや、そもそも思想など最初から無かった連中も多い。『いかに宗教で食っていくか』この点だけで行動してる連中も多いのだ。

(自称)ジャーナリストというのは実に気軽なもので、生きていく為には平気で宗旨を鞍替えする傾向にある。これまでも数々の宗教ジャーナリスト達が変節を露呈してきたではないか。

純粋に日蓮仏法を貫きたいのならば、現代に於いて、宗教でメシを食っている連中には関わらない方が良い。金銭に絡む必要の無い純粋な信仰を目指すべきである。


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まだ思索段階の記事で申し訳ないが

人間が人間らしくある為に重要な要素とは調和であると感じる。
仏法の十界論で説かれる『人間界』。大聖人は観心本尊抄で「平らかなるは人」と仰せである。この平らかというのは均衡が取れている状態、つまり調和状態のことを指すのだろう。また、御書に何度も用いられている「煩悩即菩提」とは、欲望を滅し灰塵させるのではなく、それを糧にして菩提心に昇華させることである。食欲や他の欲望のコントロール等々。欲望が剥き出しの社会において、日蓮仏法では、己自身を律して欲望をコントロールする人生というのが求められている。

世間には『大食い』と言われるような人達が存在し、それを各メディアが面白おかしく紹介し讃嘆するような傾向にある。また、最新のある医療研究では、小腸の内壁を人工膜で覆い、栄養素の消化吸収を妨げるという研究も進められているという。実現すれば幾ら食べても太らない『夢の治療』ということになるらしい。しかし、果たしてこれが人間らしい状態と言えるのだろうか。人間の目指す方向であろうか。強い違和感を覚えるのである。自分の食欲をコントロールことが出来ずに肥満になり病気になっている人も問題ではあるが、だからといって肉体・消化器官に手を加えて制御しようとするのは傲慢な発想ではないだろうか。

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