創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 「気楽に語ろう」渡辺氏

他記事のコメント欄にて『気楽に~』の渡辺氏の情報を頂いた。



(追記:当該動画は2019年2月下旬頃に削除された模様)

早速見てみたが、感想は・・・絶句である。

このやりとりの中で、彼の人間性の本質が全て出ている。

特に動画の21分あたりを見てみると、まるでキャバクラでの客とキャバ嬢の会話が展開されている。よくもまぁこのような品の無い会話が出来るものだ。しかも自分から卑猥な発言をして相手の女性を下ネタに誘導しているのである。(具体的な発言内容を書くのは、余りにも卑猥過ぎる為に控える。直接動画を閲覧して頂きたい)誰がどう見ても、下心丸出しのスケベなオッサンそのものだ。このような下ネタ満載の会話で、はしゃいで興奮している渡辺氏には心底軽蔑する。

彼は常に、創価バリ活や法華講員の人達に対して「屹立した信仰者たれ!」と『覚醒』を呼びかけていた。これが彼が説く『屹立した信仰者』の振る舞いなのだろうか。なんと御立派な姿なのだろうか。

何の為に宗教があり、信仰をするのか。その目的の一つは、人間性を磨くことである。

彼の過去の言動をまとめてみると、創価ネタで散々遊んだり、伊勢神宮に参詣したり、挙句の果てには、女性に対して下心丸出しの卑猥な発言を連発しているのだ。日頃から仏教に関して御自慢の『我見解釈』を披露しているが、仏教から一体何を学びとったというのだろうか、そもそも何の為に仏教を学んでいるのだろうか。単なる知識欲を満たす為としか考えられない。


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「気楽に~」渡辺氏の粘着ぶりは前回の指摘記事でも紹介したが、ますます酷くなっているようだ。もはや暴走の域まで達しているようである。

Twitterで、相手に難癖をつけて、勝手に粘着し始めた挙句に、「なんで答えれないの?」「なんでずーっと誤魔化すの?」「話をすり替えた」「反論まだぁ?」「逃げてるのバレバレ」などと相手を煽る言葉を連投しまくっている。

https://mobile.twitter.com/donmotton/status/1029922312894574593 twitter
https://mobile.twitter.com/mwP0s8t4fiA7LWQ/status/1029928618976145408  twitter
https://mobile.twitter.com/wZXjnOoENmf6TNi/status/1029714710034149376  twitter
https://mobile.twitter.com/wZXjnOoENmf6TNi/status/1029708317176750080  twitter
https://mobile.twitter.com/wZXjnOoENmf6TNi/status/1029716643373432833  twitter

この執拗な連投を見れば、彼の異常性は明らかだろう。見ているだけで気分が悪くなるほどだ。

相手に執拗にプレッシャーをかけ、即答を求め続ける。相手の都合などお構いなし。特に「ゆきちゃん氏」は左手が不自由で、左肩を痛めて激痛が走ると言っているのに、そのような相手に何の配慮もせずに執拗に回答を要求し続ける。もはや人間として非道という他ない。

あまりの酷さに、相手から「自分の変質者ぶりをアピールしたいのかね。」と指摘されている始末だ

これほど粘着質で、攻撃的な変質者を見たことが無い。もうこれは立派なネットストーカー行為であろう。

彼は常日頃から、創価バリ活や法華講員の人達に対して「屹立した信仰者たれ!」と『覚醒』を呼びかけていた。果たして、これが『屹立した信仰者』のやる行為なのか。「恥を知れ」と言いたい。

何の為に宗教があり、信仰をするのか。その目的の一つは、人間性を磨くことである。

人間として最低の行為を繰り返す、この輩は仏教徒でも何でもない。日蓮仏法を捨てた者はこのようになるという典型的な見本であろう。


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「気楽に~」渡辺氏。いままで散々指摘してきたが、いよいよこの輩が正体を露呈してきた。
だいたい日蓮という人の法華経解釈そのものがどこかイっちゃってる感じがしますよね?(笑) 道元の法華経解釈の方が、より釈迦の思想に近いと思います。 法華経を根本としつつ、道元と日蓮という二人の解釈が出たことをもっと考えるべきかと思います。twitter
まるで日蓮が頭がおかしい人物かのように断定しているのである。「イっちゃってる感じがしますよね?(笑)」と揶揄するほど馬鹿にしているのだ。もはや日蓮に対する敬意など微塵も無いのである。これを見て怒りを覚えない日蓮信徒がいるのだろうか。

一体、この輩は何時まで日蓮に粘着するつもりなのだ。そもそも自分から「私は日蓮から離れて龍樹思想の信仰を求めています」と告白しているではないか。ならば、もう日蓮に固執する必要など微塵もないだろうに。日蓮について語る資格など一切ないのは明白である。さっさと敬愛する龍樹や、一目置いている道元あたりを讃嘆する記事でも書けば良いだろう。

この輩が本当に関心のある対象は龍樹思想である。実は、少し前に「中論」のネタ記事を幾つか書いていた。だが、読者の食いつきが悪く不評だったので、その後は二度と書かなくなった。その埋め合わせに、食いつきが良い創価関連や宗門関連や日蓮関連のネタを中心に書いているのだ。

要するにこの輩は、自分のブログやTwitterの喧伝の為に創価ネタや宗門ネタや日蓮ネタを書いているに過ぎないのだ。しきりにアクセス数を自慢しているのが何よりの証拠だろう。何の宗教的信念もない軽薄な最低の人間なのである。

『気軽に語ろう』渡辺氏だが、この輩は、思い込みが激しくどうしようもない愚か者である。何の根拠もなく日興遺誡置文を偽作扱いしているのだ。

決めつけの記事
「私はこの二十六箇条の置文が日興の著作だとは考えていません。基本的にこれらは北山本門寺等の日興門流に伝わってきた寺内文書である」
と言い切っているが、

「日興遺誡置文が日興上人の著述では無い」と主張したいのならば、
では「いつ(正確な日付)」・「誰が」・「何のため」に作ったのか、
その証明をしなければならない。

(*これは彼自身が日頃から主張している『必要条件』なのだ
「もしそうだとしたら、一体、誰が何の目的で相伝書と言われるような重要な文書に加筆」したのだろうか?
と『誰が』『何の目的で』と、血気盛んに追及しているではないか)

だが、この輩は一切、何も証明できていない。
ただ自分が思い込んでいるだけなのである。
客観的に証明できるものを一切提示していないのだ。

ロクに調べもせず、証拠も出せず、ただ思い込みの妄想の記事を垂れ流すだけ、
もはや小学生の作文レベルの文章と言う他ない。恥ずかしい輩である。
これが通用するなら、文献学者など必要なくなる。

『気軽に語ろう』の渡辺氏だが、頻繁にTwitterで手当たり次第に相手に激論をふっかける『乱戦』を繰り返しているのが目に付く。何とも好戦的な性格である。そもそもTwitterはそのような目的で作られたサービスでもないのだが。

創価バリ活に対し執拗な攻撃

しかし、その内容を見てみると、まあ凄い。最近は創価活動家の『空氏』とやり合っていたようだ。空氏が一つ言えば5個以上の連投ツイートを返すほどの執拗っぷりである。

『気軽に語ろう』渡辺氏のツイート

「貴方のような他者を理解しない活動家ばかりだから、創価学会なんて魅力を感じないんですって。早く消えてくれ。いい加減にしなさいよ。勝手に自分のツイートで批判してればいいじゃないですか。絡むな。
(創価活動家)空氏のツイート

「私は自分の地域で頑張っています。様々な幹部がいますが、私は逃げません。正々堂々と対話します。ネットの世界に逃げ出し、現場を放棄することなどしません。大切な同士が現場にいますから。私は貴方の幸福を祈念しております。どうかまた戻って来て下さい。

と丁寧に友好を呼びかけられたのだが、それに対する反応が凄い。

『気軽に語ろう』渡辺氏のツイート

「貴方のような人間がいる限り決して戻りません。傲慢で法華経を読まず、何も知らないのに、人に教訓を垂れ、偉そうに信仰の指導ができると勘違いしている貴方のような人間に二度と会いたくありません。関わらないでください。吐き気がします。貴方は私にはどうでも良い人間です。
『気軽に語ろう』渡辺氏のツイート

「貴方のような人間がいる組織になど絶対に行きたくありません。謙虚さも誠意もない。私の話を受け取ることさえできず、しかもそのことにさえ自覚できない。最低の人間です。私から貴方は学ぶことなどないのでしょうからね。」
『気軽に語ろう』渡辺氏のツイート

「創価学会の活動家というのは、人の話を聞かず、自分と考えが違うものについて、単に否定することしかできないんですね。受容することも話を聞くことさえできない。貴方の話を聞いてくれる地域の方と勝手にやればよいではありませんか。二度と関わらないでください。吐き気のする最低の人間だと思います

などと、ここまで攻撃的な返信を複数個しているのである。果たして、ここまでヒステリックに反応するほどのことだろうか。冷静に「お言葉どうも。考えておきます」と返せば何事もなく収まったものを。彼には『大人の対応』ができないのだろうか。

相手の人格をここまで否定するとは、いい歳した大人として恥ずかしくないのだろうか。彼は法華経の不軽菩薩を知識としては知ってるが、その精神までは学ばなかったらしい。「法華経の普賢菩薩勧発品にハンセン病の記述があるから差別的な表現だ」などと揚げ足を取って難癖を付けることばかり考えているから、このような人格になってしまうのだろう。これが(彼が常に主張している)『屹立した信仰者』の行動だとは呆れる。何の為に日頃から仏教を学んでいたのか、悲しい限りである。

相手を徹底的に追い込む

渡辺氏は他人の態度についてどうのこうの揚げ足を取る前に、自分の発言や態度について見直してみたらどうだろうか。彼は以前に『勝他の念が強い』ことを自覚してるツイートをしていたが、この様子だと全く治ってないようだ。相手を徹底的にやりこまないと気が済まない性質らしい。自分で軌道修正が出来ないのならばカウンセリングを受けてみてはどうだろうか?

以前に彼は「釈迦の教えは私には『執着する心から離れる』というものに感じられます。 」などと得意の『我見解釈』を披露していたが、この様子だと、どうやらTwitterで相手を攻撃する『執着心』はまだまだ克服できそうにないようだ。彼はTwitter中毒になっており、根本的な治療が必要かと思われる。いっそのこと長期間、Twitterから離れてみることをお勧めする。


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もはや『気軽に~』の渡辺氏は、仏教徒でも何でもない破仏法の輩に成り下がっている事は明白であるが。またまた目を疑う行動をしていた。何と伊勢神宮に参拝に行っていたのだ。そして、その報告を自らTwitterでツイートしていた。

別に、この輩がいかなる信仰を持っても自由であるが、己のブログやTwitterで、あれほど釈迦や日蓮仏法に執着しているのに、その一方で伊勢神宮に参詣するとは呆れてものも言えない。日頃から仏法関連を学んでいるのは何の為だったのだろうか。

宗教をコロコロと取り替える

これがこの輩の正体なのである。彼は常に、創価バリ活や法華講員の人達に対して「屹立した信仰者たれ!」と『覚醒』を呼びかけていた。その渡辺氏のやってることは日本人的宗教観の『正月は初詣、葬式は仏教で、etc』と気分とシチュエーションに応じて宗教をコロコロと取り替えるスタイルなのだ。創価活動家や法華講員の人達からすれば、こんな気分や知識に応じて信仰の対象である本尊をコロコロと取り替えるような輩に言われたくないだろう。これが『屹立した信仰者』と豪語する男の正体なのである。

「独自の曼荼羅」発言は戯言

彼は、以前に「龍樹と智顗の説に依拠して独自の曼荼羅の世界観を考えている」と意味不明な事を述べていたが、まるで『自分が新しい本尊を創造する』と言わんばかりの発言だったが、ただの戯言だったと己で証明したことになる。

迷走を極める信仰心

もうおわかりのように、この輩には日蓮仏法・釈迦仏法への信仰心のカケラも残っていない。ただただ自分の都合のよい『我見解釈』で知識の遊戯をしてるに過ぎないのである。ここまで迷走した信仰の姿を見るのは痛々しい限りである。

底の浅い人生観

彼はTwitterで頻繁に、飲酒と食事とブランドの時計を投稿しているが、酒とグルメが至福の時らしいが、要するに種々の欲望を満たす事が全てなのだろう。何とも底の浅い人生観を露呈している。そうやって一生酔っぱらって終わるのだろう。


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「気楽に~」の渡辺氏など、思慮の足りない連中が一念三千の法理を軽んじている。

「創価学会員や大石寺信徒は、よく「十界論」を使って「あの人は修羅の命です」とか「二乗の心だなぁ」とかそんなことを言います。 私から言わせれば「たかだか10種類で人間の生命状態が弁別できるのか」ってことです。百界千如でも一念三千でも同じです。 あまり浅はかなので十界論はやめましょう。」
「十界論とは人の心には傾向性が有る事を認識させるには良い理屈と思いますが、絶対的な理論ではないと思います。またそれは一念三千についても同様かと。鎌倉時代あたりまでは良かったのかもしれまが、現代では物足りないね」
などと嘯いている

根拠もなく否定するだけの輩

ならば問いたい。現代において、一念三千以上の精緻で鋭い分析が他にあるのだろうか。もっと素晴らしい理論があるのだろうか。一心三観・三諦円融を越える分析力があるのだろうか。そんなものがあるのならば是非とも教えて欲しいものだ。

否定するだけなら誰にでも出来る。猿にでも出来る。ここまで言い切るならば、せめて『一念三千を越える精緻な分析手法』を提示してから否定をするのが最低限のマナーだろう。単なる否定したいだけの子供でもあるまい。

牧口会長は

創価の牧口会長はカントの理性批判を学んだ。当時の学べる欧米の最新哲学を徹底的に研究した。しかし、それでは全然物足りなかったのだ。やがて日蓮仏法に入り、その法理の奥深さに感銘を受け生涯を捧げたのは有名である。

人間生命への観察力は

中国の唐の時代、日本の平安・鎌倉時代の仏法哲学よりも、現代哲学の方が上だと何を根拠に言い切れるのだろうか。人類の科学分析力は向上したが、生命への観察力は向上したのだろうか。むしろ哲学のレベルは現代において著しく低下してるとしか思えないのだ。技術がこれだけ進歩しても、人間生命を洞察する力は逆に衰えてきているのではないか。

「浅はか」なのは渡辺氏

「気楽に~」の渡辺氏などは「ただ否定するだけ」の低レベルな輩である。とにかく気になったものを全部否定して「自分がそれより優れている」と思うものは一切提示しない。己で創造することもできない(渡辺哲学や渡辺教)。この輩は具体的に「己が優れていると思うもの」を一切提示しないのだ。『浅はか』なのは彼自身であるのは明白だろう。

破仏法の輩の目的は仏法を全否定することである。やれ「偽書だ!」「現代には通用しない!」とオウムのように連呼するだけである。こんな輩どもに惑わされてはならない。


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「気楽に語ろう~」の渡辺氏。この輩は『創価ネタ』で遊ぶのが趣味なようである。

創大学園祭に無断で潜入してネタで遊ぶ

先日「危険だらけの気楽非活・創価大学巡りツアー」というタイトルを付けて、創価大学の学園祭に勝手に「潜入」してツイッターで実況して”自分の存在がバレるかバレないか”のスリルを売りにして遊んでいた。取り巻きがツイッターで「バレないうちに逃げて!」などと反応して内輪で盛り上がっていたようだ。
気楽非活の行く「スリル満点! いつ尾行されるかもわからない! 危険な創価大学巡り!」いよいよ終盤です(笑)。 今のところメッチャ楽しいです。食べ物も美味しいし、学生たちは楽しそうでいいですね。 尾行されたらリアルタイムでツイッターでお届けします(笑)。

次の会長アンケート・ネタで遊ぶ

更には「創価の次の会長候補アンケート」などと称して、候補に芸人のナイツを推して、自分の妄想コントを披露している。センスのカケラもない内容なので一つたりとも笑えなかったが。(寒いコント文章を見たい方は直接彼のブログ記事からどうぞ)
さてTwitterでつい遊んでしまいまして「次の創価学会の会長は誰がいいですか」アンケート機能を使ったら、ナイツがぶっちぎりの優勝となってしまいました(笑)。以下、私の妄想です。念のため(笑)。

サッカーの創価ネタで遊ぶ

また、ワールドカップ開催時期には、『マイベストイレブン』と称して、このような妄想で遊んでいた。
マイベストイレブン⁠創価学会版
GK 池田大作
DF 北条浩
DF 原島宏治
DF 秋谷栄之助
DF 宮田幸一
MF 原田稔
MF 正木正明
MF 波田地克利
FW 弓谷照彦
FW 山崎正友
FW 谷川佳樹

アンチ創価と同じ低レベル

『仮想敵』の創価ネタで遊べて随分ご満悦のようである。スコッチ・ウイスキーを愛飲してるらしいが、酔っ払いながら一連の創価ネタ遊びで悦に浸ってるのだろうか。

もうここまで来ると、やっている内容がアンチ創価と同じレベルである。『静かに創価学会を去るために 』という有名なアンチ創価ブログがあるが、そこで常連の数人が(学会批判の)替え歌を作って内輪だけで盛り上がっている。あれと同じレベルという他ない。

軽薄な人格が滲み出ている

これらの所業を見ても、この男のやってることが単なる観念の遊戯であることは明白だろう。僅かな知識をこねくり回して遊んでいるだけなのである。何の哲学も持っていない輩なのである。日蓮仏法を捨て去り、『仏性』まで否定して釈尊に弓を引く輩であるから当然ではあるが。

こんな創価ネタで遊んでる輩が「私は、創価や宗門の皆さんに屹立した信仰を求めます」と平気な顔をして言ってるのである。寝言は寝てから言って欲しいものだ。まさにブログのタイトル通りの「気楽~」で軽薄な輩である。

他人に対して偉そうな物言いをする前に、まず自分自身の人格を磨くべきだろう。彼は相手を見下す『(笑)』という文字を多用するが、相手がどれだけ不快に思ってるかよくよく考えることだ。いくら知識を詰め込んでも相手に対する配慮が出来ないようでは価値がない。


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「気楽に語ろう~」の破仏法の輩が、また懲りもせずに愚かな記事を書いている。最近は「御義口伝が偽書だ!」と執拗に主張しているのである。もはやこの輩は、日蓮を否定し日興を否定し、創価や宗門の人達の信仰心を揺さぶる事のみが目的なのである。まさしく天魔の所為そのものだろう。

渡辺氏は日蓮仏法を捨て去り、それどころか『仏性』すら否定している。まさしく釈尊に弓を引く破仏法の輩である。その彼が捨て去った日蓮仏法に対して未だに難癖をつける様を見ていると提婆達多の如き悪意を感じるのは私だけでは無いだろう。

こういう破仏法の輩こそ断罪されねばならないし。宗門も創価も力を合わせてこのような極悪の輩を破折せねばならない。同門で醜い争いをやっている場合ではない。敵を誤ってはならない。創価新報で『日顕宗』を攻撃している場合ではない。慧明で創価を攻撃してる場合でもない。『極悪と戦えば極善となる』のラン氏が戦う相手は、或いは本当に『ダメ出し』すべき相手はこの男のような破仏法者であろう。渡辺氏の目的は(取るに足らない知識で学者の言い分を鵜呑みにし)日蓮仏法を否定することにあることを決して見逃してはならない。

日蓮仏法に於いて御義口伝は肝要である。大聖人の仏法思想の全容は、常随給仕された日興上人の著作・発言・行動を知らずして理解することは決して出来ない。その御義口伝を「偽書だ!」と否定されることは日蓮仏法を否定されている事と同義であると気付かねばならない。

我々に親しみのある文言である「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり」「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」。この原点とも言うべき数々の文言を全否定されているのである。

今こそ、御義口伝が偽書でないことを全信徒が大いに宣揚すべきだろう。徹底的に調査をし反証しなければならない。そうでなければ破仏法の渡辺氏のような連中が今後も跋扈してしまう。彼など小物である。渡辺氏など学者の結論を鵜呑みにしてるだけの只のメッセンジャーに過ぎない。自分でロクに学術調査もできないレベルである。(ただしツイッター等で盛んに喧伝しているのが目に付くのが厄介ではあるが)。世の中にはもっと深い知識を持った性質の悪い輩もいる。そのような連中に日蓮仏法を貶められないように全信徒が研鑽をし、あらゆる角度から日蓮仏法が最高峰であることを論証できるようにすべきである。


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「気楽に語ろう」の渡辺氏が、ついに仏法の目的すら否定する記事を上げていた。

仏法の目的を全否定

「私は別に仏の命なんて涌現したいなんて思いませんから」「成仏などしなくてもいい」「そんなに成仏したいんですかね?」「私は別に凡夫である私たちに仏性など存在しなくてもよいと思っています。」と吐き捨てるように言い切ったのである。

渡辺氏は、つまるところ仏法の根幹の目的である成仏、そして不軽菩薩の行いを否定しているのである。不軽菩薩は、一切衆生に仏性が備わっている事を信じたが故に、どれだけ迫害されても相手の仏性を信じて、礼拝することを止めなかった(我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏)。彼はその行為を全否定しているのだ。

ここまで来ると、もはや仏法の目的を全否定しているのである。

これは日蓮仏法を信仰するすべての人々への侮辱に他ならない、いや全仏教徒への侮辱に値するだろう。釈尊在世の弟子達、滅後の仏教徒達のすべてを侮辱しているのである。

ここまで破仏法の行為を犯しながら、彼は「私は自分の今の信仰が大乗仏教の亜流だという意識がありますが」と恥ずかしげもなく主張しているのである。

これほど仏法の目的を否定しながら、いまだに何故に釈尊や龍樹や天台に固執しているのか理解ができない。

おそらく彼が求めているのは知識としての『空の概念』だけである。ただの知識欲を満たす為だけに様々な文献を読み漁ってるに過ぎない。

こんな輩は何時の時代にも存在するが、自分のやっている事が釈尊に弓を引く破仏法の行為である事を自覚し、せめてこれ以上悪業を積み重ねずに大人しく沈黙すべきだろう。

彼のこれまでの軽薄な発言の数々「私は日蓮が正しいなんて全然思ってないんですよ(笑)」等々を顧みれば、どれほどの悪業を積み重ねているか、考えただけでも恐ろしくなってくる。その事を自覚し懺悔する日が訪れることを願うばかりである。


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