創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 宗門

唯授一人血脈相承。大石寺系の奥義ともいうべき教義である。歴代法主の胸中、すなわち内証には、日蓮大聖人と同じ一大事の秘法が受け継がれている、という教義である。宗門では『法体の血脈』と呼ぶ。

これが、どれだけ長い間、信徒を隷属化に置いていたか。大石寺の歴史の中には稚児法主と呼ばれる法主達がいた。その名の通り幼い年齢でありながら法主の座についた者である。この稚児の状態で唯授一人の血脈が相承された、と主張するのである。稚児であれ誰であれ法主の座に就けば大聖人と同じ内証を得られる、すなわち大聖人のように貴い存在として扱われる。これが法主への絶対忠誠につながるのである。宗門で良く見る光景、法主が通ると周囲の信徒が深々と首を垂れたり中には跪く者もいる。これぞ『おすがり信仰』の典型である。

大聖人の仏法の重要箇所が特定の宗教団体の法主に独占されていたのである。『法体の血脈』というものを創り出して、宗門の正当性と法主の無謬性を与えて信徒を隷属させていたのである。

言うまでも無く血脈とは『信心の血脈』である。どこか特定の宗教団体に属していなければ血脈がつながらない、というものでは決してないのだ。血脈とは一人一人の信徒の信心に流れているものである。

私が強く思うのは、今後は二度とこのような『おすがり信仰』になってはならない。その為に、日蓮仏法を学ぶ人が、一人一人が御書を精読し、日々研鑽を進めることである。自らが考え、自ら悩み、そして自らで行動する。このような信仰こそが重要だと強く思う。教学は僧侶に説法して貰うものでは無い、学会の幹部に教えて貰うものでもない。自分で学びとり血肉にしていくものである。
自分と御本尊の間に何者も入れてはならない。御法主上人だの永遠の師匠だの、そんなものを入れてはならない。


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虚実入り混じった日興門流の教義
・御義口伝
  コアな部分は日蓮大聖人の法華経講義
  そこに余計な加筆が混じっている
・百六箇抄 同じく

極端
・気軽渡辺氏などは偽書だと、一部を取り上げて全てを偽扱いする。
  例)無作三身が書かれていれば、全体を偽書扱いする
・逆に、大石寺系は、全てが本物と言い張る

どちらも違うだろう

真実は、コアの部分は日蓮大聖人の教えが受け継がれて
そこに加筆された部分がある
そう見るべきだ


日興上人は誰よりも師匠の教えを、厳格にに守ろうとした。日興門流はその精神を引き継いでいるはずだ。従って、コアの部分は大聖人の教えが、核心部分が継承されている。





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