創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 信仰と組織

創価学会、日蓮正宗、顕正会。日興門流の代表的な教団組織がある。どれもが互いに批判している現状である。やれ「ニセ本尊」だの、やれ「日顕宗」だの。
宗門は登山に躍起になり、創価学会は大誓堂詣で、選挙活動に躍起になる。顕正会は、終末思想で強引すぎる布教活動を繰り返している。

これでは信者は組織主義に陥ってしまう。自分の幸福の為に信仰をしているのに、選挙屋になってしまっている。おかしなことである。

そもそも信仰の主体は自分自身である。諸仏の成仏の根源である寿量品の自我偈とは、自分自身のことである。「自とは始なり・速成就仏身の身は終りなり・始終自身なり・中の文字は受用なり」と大聖人は仰せである。自分の生活の幸福、家族や友人の幸福の為に日々活動するのが信仰者の本義であろう。組織はそのための補助(機関)に過ぎない。

ところが現状は全く逆になってしまっている。組織の打ち出しが全て正しいと思い込んでいる。「無疑日信の信心」で受け止めた結果「組織の為の人間」が造られてしまう。「人間の為に組織がある」のを忘れてはならない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

『無疑日信』の信心。非常に美しい言葉だが、この純粋さが利用されると、その組織の情報のみを鵜呑みにし、組織に盲従する人間が育成されるのである。特に60代以上の年配の方々はテレビや新聞が情報源であり、情報操作が容易である。情報源が聖教新聞と公明新聞だけ、ネットで情報を自ら取得しない(しかも、創価はネットを見て信じないように指導してるようだ)。自分でものを考えない。疑問があっても「全て信心で受け止める」のである。末端の会員はこういう人達が圧倒的に多い。これでは創価組織の言う事のみを信じるに決まっている。
これは宗門の一般信徒でも、顕正会の一般会員でも同じ構図である。

組織の打ち出しを鵜呑みにするのでは無く、一人一人が自分で調べて熟慮して納得してから行動を起こすようになる事を望みたい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

↑このページのトップヘ