創価学会、日蓮正宗、顕正会。日興門流の代表的な教団組織がある。どれもが互いに批判している現状である。やれ「ニセ本尊」だの、やれ「日顕宗」だの。
宗門は登山に躍起になり、創価学会は大誓堂詣で、選挙活動に躍起になる。顕正会は、終末思想で強引すぎる布教活動を繰り返している。
これでは信者は組織主義に陥ってしまう。自分の幸福の為に信仰をしているのに、選挙屋になってしまっている。おかしなことである。
そもそも信仰の主体は自分自身である。諸仏の成仏の根源である寿量品の自我偈とは、自分自身のことである。「自とは始なり・速成就仏身の身は終りなり・始終自身なり・中の文字は受用なり」と大聖人は仰せである。自分の生活の幸福、家族や友人の幸福の為に日々活動するのが信仰者の本義であろう。組織はそのための補助(機関)に過ぎない。
ところが現状は全く逆になってしまっている。組織の打ち出しが全て正しいと思い込んでいる。「無疑日信の信心」で受け止めた結果「組織の為の人間」が造られてしまう。「人間の為に組織がある」のを忘れてはならない。
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宗門は登山に躍起になり、創価学会は大誓堂詣で、選挙活動に躍起になる。顕正会は、終末思想で強引すぎる布教活動を繰り返している。
これでは信者は組織主義に陥ってしまう。自分の幸福の為に信仰をしているのに、選挙屋になってしまっている。おかしなことである。
そもそも信仰の主体は自分自身である。諸仏の成仏の根源である寿量品の自我偈とは、自分自身のことである。「自とは始なり・速成就仏身の身は終りなり・始終自身なり・中の文字は受用なり」と大聖人は仰せである。自分の生活の幸福、家族や友人の幸福の為に日々活動するのが信仰者の本義であろう。組織はそのための補助(機関)に過ぎない。
ところが現状は全く逆になってしまっている。組織の打ち出しが全て正しいと思い込んでいる。「無疑日信の信心」で受け止めた結果「組織の為の人間」が造られてしまう。「人間の為に組織がある」のを忘れてはならない。
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