創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 他ブログ

随分前から当該ブログを訪問させて頂いていたが、非常にリアリティがあり深く考えさせられる内容だった。

退会までの経緯を丁寧に綴る

管理人は祥蘭さん。御本人はいわゆる『学会三世』と呼ばれる部類で、物心がつく前から自然に学会の環境で育ってきた。女子部時代までは、大きな不満もなくそれなりに活動をこなしてきたみたいである。

やがて結婚を機に婦人部に所属し、そこで出会ったメンバー達に強い違和感を覚え、活動や組織に対する疑問を抱くようになる。加えて二世・三世に特有の、バリ活の親との温度差・摩擦という事情にも悩む。そして非活動になり、やがては退会に至るのだが。この経緯が非常に丁寧に書かれている。創価の活動家の実態を知るには必読のブログ記事であろう。

世の中には、創価の批評記事は山ほどあるが、その多くは先入観や憶測に拠るものである。これでは実態を把握することは出来ない。それに対して当該ブログは、実体験に基づき生々しい日常の活動そのものを描き、その時々の自分の感情や相手の発言・態度が克明に記述されている。それらの記事の総量は膨大なものになる。経緯を丁寧に綴ることにより、読者は、彼女がどのような思いをしたのか理解できるようになる。

スピリチュアルに嵌る

ただ、残念なのは、創価という組織を退会した後、日蓮仏法までも捨ててしまった事である。この方は「ニュー・アース」というスピリチュアルに嵌ってしまったようである。世界最高峰の日蓮仏法から、浅薄なスピリチュアルに転がり落ちるのは悲しい限りである。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

「蓮の落胤-創価学会、話そうか」という有名ブログがある。創価に興味がある人、アンチ創価の人、客観的な見解の人、様々な立場の人が閲覧している人気ブログである。

創価を客観的に検証するのに最適

いわゆる学会三世で、創価大学を卒業されて現在は非活動家の方である。非活になり客観的に創価を見れるようになり、日蓮仏法や創価の組織や公明党の事を整理した記事を書かれている。アメリカ外交公電など信頼性の高い資料を丁寧に調べて、客観的に整理しようとする姿勢は見習うべきものがある。また、創価と宗門との歴史・NTTドコモ事件など過去の重大な事象・事件の調査も続けておられる。

創価大学の内部事情にも詳しく教員の思想や発言の自由度についても触れられている。創価の歴史的な意義の確認をするには最適のブログだろう。私も池田名誉会長の実像『人間・池田大作』を追及するのに参考にさせて貰っている。

一人の信仰者としては

信仰者としては、日蓮仏法を今でも信仰してるかどうかは不明である。御義口伝に対して懐疑的な見解を示している。もはや純粋な信仰心は消えて、単なる文献的な興味しか残って無いのかも知れない。

単なる学者的な興味でしか日蓮に対する興味がないのだろう。いわゆる『真筆絶対主義者』であろう。真筆以外を決して認めようとしない。単なる学術的な観点でしか物事を見れない。かつて熱中した創価活動への反動からこうなってしまったのだろうか。

ブログやツイッターを全削除

現在(2019年3月時点)全ての記事が削除されている。同時にツイッターのアカウントも削除されている。何かあったのだろうか。身元が判明したので慌てて消したのだろうか。保身に走ったか。

自分の主張を堂々と公表し続けることが出来ないとは情けない。所詮はその程度の信念しかなかったということだ。

創価系を題材にしたブログは、ある日突然全削除することがある。持続性が無いと意味が無い。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

「SOKA2015」ブログに関して。macska氏。現役壮年部の方である。役職は(元)地区部長。『真・僧俗和合』という理想を掲げて、創価の改革と宗門の改善を望まれている。創価の現在の体質に深く憂慮されている。創価の会則変更の数々に異議を唱えている。

昔の創価の教義を純粋に貫く

macska氏の教学は、純粋な日蓮正宗の教義そのものであると思われる(ただし唯授一人の血脈相承に関しては否定的な見方だろう)。大御本尊への恋慕の信心。一大秘法。日寛教学。大聖人が末法の御本仏であること。人法一箇。久遠元初。久遠元初自受用報身如来。これらは昔の創価を支えてきた教義そのものである。

会則変更に納得できず行動を起こす

一年か二年ほど前に、創価組織に対して、創価の会則変更に関しての疑問とそれに対する回答を要望したようだが、返答は一切無かったようである。

その後も創価の会則変更に異議を唱え続け、改革の志を強く持つが故に、少し前に、地元の座談会で、大御本尊の話題を振ってみたら、空気が凍り付いたようになったそうだ。

創価組織からハブられる

その後、組織から連絡が来なくなったようである。何とも残念な話だが、この経緯が今の創価の実態を顕している。

信仰の根幹はこうあるべき

組織からハブられてしまった今、一人で戦っているのだろうか。記事を見る限り、大御本尊への純粋な信心、そして今も続けている日々の唱題、そこから得られる深い確信が伝わってくる。信仰の根幹とはこのようにあるべきではないだろうか。

あの内村鑑三は、自分のキリスト教信仰上の考えが神学者や接した教会の指導者達に受け入れられず、教会から捨てられた状況になった時に
「ああ、神よ、私は教会を去っても、あなたから去ることはできない。教会に捨てられた不幸は不幸であるけれども、あなたに捨てられなければそれで十分なのだ」
と宣言している。宗教は違うが、人間として、ここに信仰の核心部分があるように感じる。

現状は辛い状況だろうが、いつまでも創価がこのままとは限らないし、近いうちに大きな変化があるかもしれない、諦めずに志を貫いて欲しいものである。

真・僧俗和合

『真・僧俗和合』という考え方は近いものがある。もともと創価も宗門も同じ教義解釈なのだから対立してることがおかしいのだ。共に広宣流布を願っているのである。お互いに組織改善して仲良くやれば良いではないか。

人間・池田大作を追及すべき

ただし、池田名誉会長の捉え方が少し違う。我々は表の部分だけしか、綺麗な部分しか見ていない。『永遠の指導者』という偶像では無く、一人の表も裏もある人間として捉えるべきである。袂を分かった原島嵩氏や福島源次郎氏や石田次男氏などの評価も丁寧に調査し見直す必要があると感じる。そうして総合的に評価し直す必要があるのではないだろうか。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ

にほんブログ村

元本部職員の方々である。思想的には池田絶対主義者とでも言うべき人達である。現在の活動までの経緯を丁寧に読んでみた。

確たる証拠が出てこない

彼らの主張している内容は嘘ではないと思うが、証拠の音声テープや映像があれば確実なのだが、それを出せないのは残念である、また彼らの主張に同調する人達も「査問された」「いじめられた」等々、これも同じように証拠が無いのが残念である。なぜ誰一人証拠を出せないのだろうか。不思議である。

創価内部からの情報発信の意義

現在の創価の問題点の認識としては非常に参考になる。

実名と顔を公表してメディアにも何度も出ている点、定期的に各地を転々として座談会を丁寧に行ってる点、動機が純粋な点を考慮して、ある種の期待を込めて応援をしたい気持ちもある。さすがに創価内部からの組織改革実現とまではいかないだろうが、組織内部からの情報発信としての役割を期待している。

カンパ依存には疑問

ただし、ちゃんと各々仕事をして、借金をしないようにすべきだ。『創価改革』の美名を掲げれば、無職でも、カンパ生活しても許される、という考えには全く賛同できない。

「創価改革」のビジョンが不明

そもそも、その掲げている『創価改革』のビジョンが見えない。「池田先生のご了承を取っていない」などを理由に、現執行部の退陣を要求してるが、では退陣後の創価体制はどのように変貌するのか、その具体的な内容が明示されていないのだ。

これでは単に首をすげ替えただけのように見える。現在の創価組織と末端会員の負担に関してどう考えてるのか。聖教などの多部購読、配達員の負担、民音や書籍担当の負担、信濃町詣で、選挙活動屋、このあたりに関しての現状認識と改善策、『創価改革』後の組織体制のビジョンの全容を語って欲しいものである。

人間・池田大作を追及すべき

池田名誉会長には光も影もある。限定された映像や情報だけでは正当な判断は出来ない。光も影も全部を総合して公平な人物評価ができるのである。どうか彼らには『人間・池田大作』を追及して欲しいものだ。池田名誉会長がこれまで行ってきた事の中には、間違いも数多くあるだろう。その現実を受け入れて、根本的な改善の発想を持つことを切に願う。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

宿坊の掲示板に集まる人達について、いわば『池田原理主義者』とでも言うべき人達である。池田名誉会長が絶対的に正しいと信じて疑わない。当該掲示板では、池田名誉会長に関しての批判は一切受け付けられない。そのような投稿をすれば、即座に住民総出で猛反発される。

特に宿坊に常駐する連中は教条主義的な傾向が強い。現執行部が池田名誉会長の意思に反して、間違った方向に運営されているという主張をしている。そして毎日のように現執行部批判が繰り返されている。日々、執行部の揚げ足ばかり投稿してるだけである。

情報の出所も不確かで妄想の類を出ないものが多すぎる。伝聞ばかりで証拠として信用に足りるべきものが一切出てこないのだ。こんな情報を信用しろという方が無理がある。(だが、ごく稀に重要な内部情報が投稿されるケースもあるので完全否定はしないでおく)

都合の悪い投稿は削除

それに対して、自分たちに都合の悪い批判・反論投稿は悉く削除しているのだ。いわば言論統制をやっているのである。批判している対象と同じ類のことをやっているのである。ネットの世界でさえ自由な議論を拒否してる状態なのだ。自分達の主張に同調する人しか認められない。こんな連中が現実を改革など出来るはずもない。何事も成せないだろう。

偶像崇拝と同じ

池田名誉会長には光も影もある。限定された映像や情報では正しい判断ができない。光も影も全部を総合して公平な人物評価ができるのである。綺麗な部分だけを美化して、それを絶対的なものとして固執してるのは偶像崇拝と変わらない。現在の創価の『永遠の師匠』と同じ偶像崇拝である。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

「学会3世の憂うつ」ブログに関して。青蓮氏。創価大学卒業の20代の若き俊英である。
現在は非活となり、既に日蓮仏法を信仰の拠り所とはしていないようだ。教学的な記事もあるが、信仰者として日蓮の教義そのものに執心が無いようなので触れないでおく。学問的好奇心から書いている記事と思われる。キリスト教の絶対他者としての神の概念を好んでいるようである。そして、その絶対者からの運命を受け入れる宿命論者的な思考らしい。

池田思想の申し子

思想は池田哲学の理想主義そのものである。池田哲学の中でも綺麗なエッセンスを凝縮した所が特に好きなのだろう。こちらの方が現在の彼の信仰の対象と言えるのではないだろうか。

某三人組のような池田絶対主義とは違う。現執行部批判もしておらず、創価改革を唱えているわけでもない。

創価大学で池田哲学を基に純粋培養されたら、このようなタイプの人物が育成されるという一つの成果を見てるようである。池田理想主義が過ぎるが故に現実のドロドロとした創価組織での活動に耐えられなくなり非活へと転じたのだろう。

それでも創価に席を置いている理由は、池田名誉会長が作り上げた創価哲学に対する執着が強いのだろう。自ら「池田教と呼ばれても良い」と明言してるほどである。

しかし、自らが告白してるように自分の親をも愛せないとは残念である。代わりに池田名誉会長を父親と慕っているようだが。その名誉会長が常に「お父さんお母さんを大切にしなさい。」と口癖のように言ってたのを聞き流していたのだろうか。

哲学を志す原点

彼が哲学を学ぼうとした原点は、かつてお世話になっていた知己の学会幹部の方の姿にあるという。かなりの高齢で、生涯一途に学会活動と池田名誉会長に尽くしてきた方だった。題目も1日7時間を行うほど強情な信仰心だったとのこと。

その老夫婦が晩年になりアルツハイマーを患った。悲しいことに、家族から見捨てられ、最低ランクの施設に入れられて、そこで粗雑に扱われてしまう。青蓮氏が本人に直接会っても認知できない。 結局その人は、家族から看取られることなく亡くなった。それほど悲惨な状況だったらしい。

その時に青蓮氏は「なぜ御本尊に力があるなら、この信仰を誰よりも貫かれた人が、誰からも見放され、知的能力を失い耄碌させたのだろう」と疑問に思った 。この件があってから、哲学にのめり込む事になったという。

彼は今まで学んだ哲学でその答えを見つけたのだろうか。

人間革命の比較検証

人間革命の改訂前と改訂後の比較は地味な作業ながら素晴らしい。創価は都合が悪くなると改変して隠そうとする傾向があるので、その監査としての意味もある作業である。今後も是非とも続けて欲しい。

過去記事を削除

しかし、過去の記事の大半を削除している姿勢は残念である。己の書いた記事をコッソリと削除するとは何とも悲しい。自分の過去の発言に責任が持てないのだろうか。これが彼の本質そのものであろう。このような人物は、現実に於いても同じような行動をする傾向にある。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

「静かに創価学会を去るために」ブログに関して。創価アンチ系の代表ブログである。管理人はシニフィエ氏。60代らしい。かつては創価バリ活の幹部だったが、覚醒して今はアンチ創価の筆頭になっている。

当該ブログは、投稿数も多く意見交換が非常に活発に見えるが、よく見てみると投稿してる人は退会者の固定のメンバーが数人だけで回してる感じである。中には学会歌のアンチ替え歌を作って披露する輩もいるが、こんなふざけた投稿をして何になるのだろうか。創価をカルト扱いしてるが、これは正確ではない。創価は決してカルトではないのだ。

創価学会に不満があるのならば、創価という組織を批判すれば良いのだが、中には日蓮仏法すら否定してる人が散見される。教学的な事は全く学ばずに思い込みだけで批判してる連中である。

管理人シニフィエ氏の正体

このブログ管理人は「私たちにしてみれば日蓮の言葉など、ただのトンデモ坊主の妄想に過ぎません」と日蓮批判まで行っているのである。浅はかな輩である。

普段から「対話を重視している」と自慢していたシニフィエ氏は、創価バリ活・支部長の『鯛焼き』氏と直接対話の試みを行ったようである。しかし、お互いの主張を言い合うだけで、話は平行線のまま折り合いがつかずに、日数だけが経過していくだけだった。

ここで、嫌気が差したシニフィエ氏の方から対話企画の打ち切りの提案があった。それを受けた鯛焼き氏側は、対話企画打ち切りには承諾したが、スレッドは残して欲しいと要望した。そうしたら、何と、シニフィエ氏は、一方的にそれまでのやりとりスレッドを全削除してしまったのである。

そもそも対話を持ちかけたのはシニフィエ氏側なのに、自分に都合が悪くなるとこのような行為に及ぶとは、何とも呆れ果てる。普段は『創価シャッター』だの『創価脳』だの散々批判を繰り返していたが、いざ自分が追い詰められると、一方的にシャッターを下ろし、対話を拒否し、問答無用でやりとりを全削除するような人格なのである。これがこの輩の正体なのだ。

鯛焼き氏の反撃

スレッドを削除された一件の後、鯛焼き氏は自らのブログを立ち上げた。その中で、シニフィエ氏との対話の経緯を綴っている。鯛焼き氏は自らの正当性を繰り返し主張した。非はシニフィエ氏側にあることを徹底的に訴求した。その反論が功を奏して、現在では当該スレッドを復活処置したようである。

(ただし私は客観的な視点で見て、この対話=議論の内容に関しては、どちらが正しい・どちらが勝った、と断ずるつもりはない。)

鯛焼き氏のブログに乗り込み挑発行為

これでこの一件は収束して沈静化するかと思われた。ところが驚くべき『珍事件』が起こった。何とシニフィエ氏自らが鯛焼き氏のブログに乗り込んで、ハンドルネームを偽装して『世界の山根』という(世間で話題の問題人物の)ネーミングで、投稿をしていたのだ。しかも、関西弁で相手を挑発するような文章で投稿コメントをしていたのである。それを鯛焼き氏に暴露された。慌てたシニフィエ氏は自らのブログ『静かに~』で「もともと自分は『ブラック・シンフェエ』の要素があったから驚くほどの事ではない」と開き直りの弁明をしている始末である。

自ら対話を打ち切って当該スレッドも削除しておきながら、その相手のブログにハンドルネーム偽装して乗り込んで、挑発行為をするとは、何という人間性なのだろうか。これが60代という年輪を重ねた人物の行為とは到底思えない。かつてシニフィエ氏が「鯛焼きさん、あなた単なるネット流民のかまってちゃんですよね」と相手を卑下した発言をしていたが、そっくりそのまま彼自身が『かまってちゃん行為』をしていたのだ。

更なる、なりすまし行為

さらに驚くべき行為が判明した。『世界の山根』の他にも、もう一人分『なりすまし行為』をしていたことを自ら暴露したのだ。 『サバンナ』という元創価の地区部長で、現在は退会した人物、という架空の設定で、なりすましの投稿をしていたのだ。

ネット社会では直接に姿が見えない分、なりすまし等が無いように特に気を配る必要がある。シンフェエ氏は裏でコソコソと複数の偽装工作してるような人間だったのだ。こんな人物を誰が信用するというのだろうか。人間として全く信用ができないのは明白である。

同調圧力

この掲示板は、常連の参加者達によって、同調圧力が強い集団を作り上げている。仮に、創価の良い所を少しでも挙げようものなら、即座に周囲の参加者から猛烈な反発にあう。何でも自由に発言できる雰囲気ではないのだ。

退会イコール幸福という錯覚

では、退会者が幸せになったのだろうか。「今まで行けなかったけど、退会して正月に初詣に行けました」とか「普通の日本人の行事に参加できて幸せ」とか書いてる始末である。正月に神社に初詣に行って、結婚式は教会で神父に祝福して貰い、葬式は仏教の坊さんを呼び、悩み事は占い師に見て貰って人生が左右される、こんなコロコロと気分で宗教を変える『デタラメな日本的宗教観』に成り下がったのに、それが幸せだと主張してるのだ。他にはスピリチュアル系にハマったりしてる人もいる。

どうも退会イコール幸福につながると思い込んでるらしい。 このようにアンチ系というのは思い込みが激しく実態を把握しないまま批判を続けるので性質が悪いのである。今までバリ活だった頃の思い込みが、退会後には全く正反対のバイアスがかかっているのである。

体験談は各個人ブログで

ただし、書き込み内容が全てデタラメとは思わない。中には自分の体験を赤裸々に語っている人もいるだろう。今まで創価でバリ活として頑張ってきて、組織の中で受けた仕打ちなど。選挙活動への指導、仕事と家庭と学会活動への指導、広布基金への強引な指導など。参考になる体験談も数多くある。このような内容はコメント欄の短い文章で終わらすには勿体ない。是非とも各個人のブログとして、もっと詳しく体験をまとめた記事を書いて欲しいと思う。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

↑このページのトップヘ