創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 教学

御義口伝の中で最も項目が多いのは、寿量品(27個)でもなく、方便品(8個)でもない。常不軽品(30個)である。不軽品はそれほど長い品ではない。方便品の方が遥かに長い。にもかかわらず大事の項目数は圧倒的に多い。ここに重大な意義があるのではないか。そして御義口伝の真実性も感じる。

大聖人は不軽菩薩品を特に重要視されていた。諸御書を見れば明らかである。
「日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に軽毀する人は頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん」(聖人知三世事)

「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し」(寺泊御書)

「今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり、得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。」(教行証御書)と、得道の時節は像法と末法と異なるが、下種益での成仏の原理に於いては同じであると仰せである。

弟子達の前でも、佐渡でも身延でも、あらゆる所で不軽菩薩の重要性を講義されたのだろう。その御心を日興上人は受け継いで後にまとめられたのだろう。だからこそ御義口伝で最も多い項目になったのではなかろうか。


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大聖人が源信を一定評価されたことの考察をしてみる。
源信とは平安中期の天台宗の僧であり、恵心僧都と尊称で呼ばれることもある。さて、この源信は、有名な『往生要集』を著したことで知られる。あの法然が浄土門に帰入する契機となったのが、この往生要集であるとされる。

大聖人は守護国家論の中で「源信僧都は永観二年甲申の冬十一月往生要集を造り寛弘二年丙午の冬十月の比・一乗要決を作る其の中間二十余年なり権を先にし実を後にする」と仰せである。更に「慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり」と、源信の本意は、往生要集で末代の愚かな機根を整えて、『一乗要決』にて法華経の正法に導き入れようとした為と仰せである。

ちなみに一乗要決には「全く自宗他宗の偏党を捨て、専ら権智実智の深奥を探るに、遂に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得るなり。既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨みを遺さんや」「大乗は二乗、三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗は即ち第一義乗なり、誓願一仏乗なり」とあり、法華経の一乗思想が強調されている。ここに慧心の本意が何であったかを顕しており、自宗・他宗の偏った考えを捨てたならば、浄土の法門を捨てるべきだという結論である。そして一仏乗が真実の理と心得る時、専ら法華経に依るのが当然との事である。

後に、源信を厳しく糾弾しておられる箇所もある。「日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。」(撰時抄)。身は天台宗の権少僧都にありながら、43歳で往生要集3巻を作り、念仏に身を売った。念仏を薦める往生要集が、念仏無間の道へ僧侶や民衆を追いやった罪は大きい。

忍性良寛とは、大聖人と同時代の真言律宗の僧侶である。鎌倉の極楽寺に居を構えたので極楽寺良寛とも呼ばれていた。さて、この良寛は世間的には『非人』と呼ばれる人達に対して、救済の慈善事業を大々的に行った人物として知られている。まるで生き仏のように思われていた。果たして、その実態はどうだったのだろうか。

この非人救済事業の実態は、非人たちを、供養を募る為の儀式を行う時のみ『文殊師利菩薩の化身』として祀り上げるが、儀式が終われば、日常では宿業が深い罪人として扱い、港湾や、道路や、橋や、各種の建築事業へ、過酷な労役に駆使したという。非人救済という表向きの慈善事業を評価して、こんなものを民衆救済だと持ち上げているのだ。

これらの事業は、そもそも本来は鎌倉幕府が自ら実施すべき公共事業であった。しかし幕府・御家人にその余裕が無くなっていた為、良寛のような勢力が取り入る隙があった。幕府中枢権力と癒着し巨大利権を確保していたのだ。

この良観には、仏法に関する代表的な著作が一つもなく、仏教僧としての実力は皆無という他ない。ただ小乗の戒律を説いていたに過ぎない。

「今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。」(聖愚問答抄)と仰せのように、

およそ仏教僧ともあろう者が、利銭・借請を生業としていたのだ。高利貸しなどをして財産を蓄えていたのである。非人を使って橋を架け道路整備をしても、そこから主要な七街道の関所からの通行料を取るので旅人に大きな迷惑をかけ、飯嶋の津(鎌倉・材木座海岸の東南部の港)や六浦(三浦半島の東岸の港)の通行料を取っていて人々の大いなる嘆きだったのである。このように幕府から与えられた通行料の徴収権で莫大な利益を得ていたのである。

あろうことか(そのような慈善事業を行わなかった為に)日蓮批判をする輩がいる。本質を全く見ていない浅はかな連中である。

本当の民衆救済・一切衆生の救済とは何かを深く考える必要がある。


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大聖人の法華経講義とは、どのような内容だったのだろうか。 御義口伝や御講聞書を拝読する上で原点の講義である。

「一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ」(忘持経書)
「今年一百余人の人を山中に養いて、十二時の法華経を読ましめ談義して候ぞ」(曽谷殿御返事)

ここで『談義』と仰せのように、大聖人からの一方的な講義ではなく、参加した門弟達の見解を論じ合うような形式であったと考えられる。

「まかる・まかる昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば」(松野殿女房御返事)

大聖人が自ら経文に注を書き込まれた『注法華経』を基に講義されたとのことである。この注法華経こそ大聖人の思想の奥底に触れ、それを窺い知る貴重な文献である。大聖人のご遺言である宗祖御遷化記録には「経は私集最要文注法華経と名づく同じ墓所の寺に篭め置き、六人香花当番の時之を被見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云云。」と日興上人が記録されておられる。大聖人自らが、注法華経を身延の墓寺に安置して、給仕の門弟達が常に披いて見るように直接指示されておられるのだ。これは極めて重要である。


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大聖人御在世の当時の仏教界に於いて、修行僧にとって天台本覚思想は一般常識的な知識とも言えよう。「先ず天台一宗に於て流流各別なりと雖も、慧心・檀那の両流を出でず候なり。慧心流の義に云く、止観の一部は本迹二門に亘るなり。」(立正観抄送状)と仰せのように、当時の中古天台が慧心・檀那の両流を中心として多くの流派に分裂し存在していたことが伺える。

なお、立正観抄は日進書写の証明により真選が確実視されている。

立正観抄の中で「目を開いて妙法を思えば随縁真如なり目を閉じて妙法を思えば不変真如なり」と随縁・不変の両真如が説かれている。

このような思想潮流の中にあって、大聖人門下達も天台教学を学んだ者は、中古天台の教学は常識であったのだろう。最蓮房や。

最蓮房あての御書には中古天台の用語を用い表現されたものが数多くある。

如説修行抄に「諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり」と仰せである。つまり開会した後には、念仏も禅も真言も全て法華経であって勝劣は無いとする。この思想こそ、まさに天台本覚思想である。大聖人は明確にそれを「予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」と否定しておられる。

(以下、少しずつ追記予定)


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日本人は無宗教に分類される人が多い。その割には、実はキリスト教徒よりも数多くの宗教的儀式に参加している。

整理してみたい
  • 正月は神社に初詣に行き、
  • 結婚式は教会で挙げ、
  • 葬式は仏教寺院で送る。
  • 人生の岐路や悩みがある時には呪術・占い系にすがる。『〇〇(地域名)の母』などと呼ばれる占い師のおばさんに見て貰うことがブームになっている。
  • 自分や近しい人が重い病気に罹患すると、急に神社に参詣して、病気平癒を祈る。
  • グルメとして精進料理を食べに仏教の寺に行き(食べるだけなら問題ないが)そこで僧侶の読経を聞いて本尊を拝んだりしている。
  • ダイエットやデトックス目的で、仏教の寺に行き、般若心経を読経して滝に打たれたりする修行体験をするコースも存在する。(参考記事
  • 近年ではパワースポットなる場所に巡礼することが流行になっている。
シチュエーションに合わせて気分に合わせて様々な宗教を取っ替え引っ替え用いているのだ。これだけコロコロと宗教を変える民族は他に類を見ないだろう。

これは「どの宗教でも、それぞれ優れた真理がある」「どの宗教でも御利益がある」という精神風土が元凶である。

教義の優劣を否定する連中の主張

法華経最勝を否定する連中に特に多いが、経典の優劣、宗教の優劣を考慮しない浅はかな連中がいる。

「どの宗教・どの宗派・どの経典もそれぞれ優れたものがある」「教義の優劣を主張するのは愚かだ」「絶対的な教えなどない」と言う連中は何と浅はかなのだろうか。

このような輩は以下のような愚かな発言をする。
「他の宗教に比べて自分たちの教えに正統性があるとするような宗教的主張を私は全く信じていません。どんな教えでも宗教であり、信仰であることには変わりなく、全てを公平に見ることが大切であると考えています。またそのような心こそが法華経安楽行品の精神だと考えています。」
このように法華経の精神を捻じ曲げて『我見解釈』する破仏法の輩がいる。

日本では昔から、このような考え方を持つ人が大多数を占めていた。このような姿勢が「宗教なら何でもいいね」という日本人の乏しい精神性を醸成していったのだ。恥ずべき事である。

「宗教なら何でもいいね」の末路

しかし、本当に「宗教なら何でもいいね」で済ましていいのだろうか。それで良い影響をもたらすのだろうか。

例えば、浄土宗はこの世を穢土と説き、死後の阿弥陀仏の来迎と極楽浄土への往生を目的とする。ゆえに現世では生きる気力を失い絶望し死後の極楽浄土を望んで自殺した信者も多かった。過去の歴史が物語っている。或いは一向宗のように、それが一向一揆のような、自らの命で敵を殺すことが救済につながるという教えになる。どれだけの信者が突撃して散っていったか数えきれない程である。

イスラム教原理主義者は、異教徒達をジハードで虐殺することが死後に神の元に行けると説かれる。だから自爆テロが後を絶えない。ジハードで戦死すれば殉教者として『最後の審判』ののち、必ず天国に迎えられると約束されていると固く信じているからだ。小さな子供や年頃の女性の服の中に爆弾を仕込み、異教徒めがけて自爆テロを起こす事件も多い。

「宗教なら何でもいいね」という連中は、このような宗教行為も「それぞれの独自性のある活動があって、個性があっていいね」と認めるのだろうか?

教えの浅深・優劣を明確に

どの教義を選ぶかによって、根本にするかによって、その人の人生・価値観は大きな影響を受ける。教義の内容の違いによって天と地ほどの影響の差が出てくる。現実の活動も大きく違ってくる。だからこそ、教えの浅深・優劣を明確にする事が何よりも重要であるのだ。


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「気楽に~」の渡辺氏など、思慮の足りない連中が一念三千の法理を軽んじている。

「創価学会員や大石寺信徒は、よく「十界論」を使って「あの人は修羅の命です」とか「二乗の心だなぁ」とかそんなことを言います。 私から言わせれば「たかだか10種類で人間の生命状態が弁別できるのか」ってことです。百界千如でも一念三千でも同じです。 あまり浅はかなので十界論はやめましょう。」
「十界論とは人の心には傾向性が有る事を認識させるには良い理屈と思いますが、絶対的な理論ではないと思います。またそれは一念三千についても同様かと。鎌倉時代あたりまでは良かったのかもしれまが、現代では物足りないね」
などと嘯いている

根拠もなく否定するだけの輩

ならば問いたい。現代において、一念三千以上の精緻で鋭い分析が他にあるのだろうか。もっと素晴らしい理論があるのだろうか。一心三観・三諦円融を越える分析力があるのだろうか。そんなものがあるのならば是非とも教えて欲しいものだ。

否定するだけなら誰にでも出来る。猿にでも出来る。ここまで言い切るならば、せめて『一念三千を越える精緻な分析手法』を提示してから否定をするのが最低限のマナーだろう。単なる否定したいだけの子供でもあるまい。

牧口会長は

創価の牧口会長はカントの理性批判を学んだ。当時の学べる欧米の最新哲学を徹底的に研究した。しかし、それでは全然物足りなかったのだ。やがて日蓮仏法に入り、その法理の奥深さに感銘を受け生涯を捧げたのは有名である。

人間生命への観察力は

中国の唐の時代、日本の平安・鎌倉時代の仏法哲学よりも、現代哲学の方が上だと何を根拠に言い切れるのだろうか。人類の科学分析力は向上したが、生命への観察力は向上したのだろうか。むしろ哲学のレベルは現代において著しく低下してるとしか思えないのだ。技術がこれだけ進歩しても、人間生命を洞察する力は逆に衰えてきているのではないか。

「浅はか」なのは渡辺氏

「気楽に~」の渡辺氏などは「ただ否定するだけ」の低レベルな輩である。とにかく気になったものを全部否定して「自分がそれより優れている」と思うものは一切提示しない。己で創造することもできない(渡辺哲学や渡辺教)。この輩は具体的に「己が優れていると思うもの」を一切提示しないのだ。『浅はか』なのは彼自身であるのは明白だろう。

破仏法の輩の目的は仏法を全否定することである。やれ「偽書だ!」「現代には通用しない!」とオウムのように連呼するだけである。こんな輩どもに惑わされてはならない。


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よく「創価の会員は功徳を求め、現世利益だけを追い求めている。それは信仰ではない」と高尚ぶって批判してる輩がいる。

人間として生まれた限り、願望・目標を持ち現世利益を願うのは当然である。何も間違っていない。

人間に悩みがあるから信仰をする。そもそも人間の悩み・苦しみ・病苦・死への恐れから信仰が誕生したのである。それが人間として本然の姿ではないか。

日蓮仏法は『現世安穏・後生善処』(法華経・薬草喩品)である。「願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)と仰せの通りである。

現世において功徳を求め、現世安穏を願う。自身の幸福と周囲の人達の幸福を願う。そして後生の為に幸福の因を積み来世以降に備える。これが信仰者として自然な姿であろう。

その自然な信仰心を批判して『高尚な知識』だけを求めてる輩に何の価値があろうか。


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大石寺第26世日寛師。江戸時代の大哲学者と言えよう。六巻抄の深さ。日蓮正宗にはこれほどの大碩学を生む素地があったのだ。日興上人が起こした富士門流はやはり偉大である。

三重秘伝鈔
「三世間とは五陰と衆生と国土となり。五陰とは色・受・想・行・識なり、言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋するが故に陰と名づくるなり、是れは因に就いて名を得。又陰は是れ積聚なり、生死重沓す、故に陰と名づく、是れは果に就いて名を得。若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋するが故なり。次ぎに衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり、五陰仮に和合するを名づけて衆生と曰うなり、仏界は是れ尊極の衆生なり。故に大論に曰わく、「衆生の無上なるは仏是れなり」と。豈凡下に同じからんや云云」
五陰を『陰蓋』覆い隠すという意味と、『積聚』積み集まるという意味と二重に解釈されている。その上で、善法を陰蓋する因の面、この場合、生死重沓、生死の苦悶が重なると拝すれば良いのだろうか。一方で、仏界に約せば慈悲覆蓋という果の面、これを常楽重沓と表現されている。よって因果に即して配されている。日蓮仏法は従果向因である。日寛師はこの従果向因の観点からこの文を用いられているのだろう。

何と深い洞察なのだろうか。大聖人の仏法の偉大さをよく顕されている。

日寛師が偉大な点は「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、連祖聖人なり」と大聖人と我々凡夫との隔絶を取り除いた点であろう。日蓮仏法の解説者としては最適者であった。

諸法実相抄に「仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」と仰せの通り、我々凡夫こそが無作三身(法身・報身・応身)をそなえた仏の実体である。

当時の大石寺は体系化した教義が確立しきってなかった。日寛師が、大聖人が末法の教主であり、末法の仏である事を明確にした功績は極めて大きい。


以下は当体義抄文段である
一、本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華等文。
 即ちこれ、文底秘沈の妙法、我等が旦暮に行ずる所の妙法なり。迹門は開三顕一の妙法、文の妙法、熟益の妙法なり。本門は開近顕遠の妙法、義の妙法、脱益の妙法なり。文底は本地難思の境智の妙法、意の妙法、下種の妙法なり。当に知るべし、迹門は華の如く、本門は蓮の如く、文底は種子の如きなり云云。「本地難思」等とは、総勘文抄に云く「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」云云。下の文に云く「地水火風空とは即ち妙法蓮華経なり」云云。五百塵点劫の当初なり、故に本地という。「知」とはこれ能証の智なり。「我が身」等とは所証の境なり。故に「境智」という。我が身即ち地水火風・妙法蓮華とは、即ちこれ本有無作の当体蓮華なり。是の如く境智冥合して、本有無作の当体蓮華を証得する故に、「即座開悟」というなり。当に知るべし、「凡夫」とは即ち名字即、これ位妙なり。「知」の一字は能証の智、即ちこれ智妙なり。以信代慧の故に、またこれ信心なり。信心はこれ唱題の始めなるが故に、始めを挙げて後を摂す。故に行妙を兼ぬるなり。故に知んぬ、我が身は地水火風空の妙法蓮華経と知しめして、南無妙法蓮華経と唱えたまわんことを。即ちこれ行妙なり。「我が身」等はこれ境妙なり。この境智行位は即ちこれ本因妙なり。「即座開悟」は即ちこれ本果妙なり。これ即ち種家の本因・本果なり。譬えば蓮の種子の中に華・菓を具するが如きなり。当に知るべし、前には一念の心法に約して境妙を明かし、今は本有の五大に約して境妙を明かすなり。心に即して色、色に即して心なり。人法体一の本尊これを思え。 
言うまでもなく、本地難思・境智冥合・本有無作の当体蓮華とは、南無妙法蓮華経のことであるが、この妙法の当体を、まず本地を尋ね、境智の二法から論じ、本有無作と開くのである。
日寛師は、本因妙・本果妙。因果俱時。人法体一の本尊まで解釈している。


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「日蓮は民衆主体ではない」と主張する連中がいるが、果たしてそうなのだろうか。考察してみたい。

そのような連中は「日蓮が手紙を出していた主体は武家あり農民などの民衆ではない、よって日蓮仏法は民衆仏法ではない」と主張している。

大聖人は鎌倉を拠点に布教活動を進められた。政治の中心である鎌倉、伝統ある京都ではなく。関東を中心に活動された。当時は武家社会である。武家の主人とその夫人が門下の主体になるのは自然なことだろう。農民はそこに属していた。主人・夫人の信仰の確立がそこに属する農民や一族の信心の浸透につながる。

当時の農民や漁民等々の識字率は極めて低かった。殆どが文盲と考えて良いだろう。故にお手紙を出すよりも直接指導されたのだろう。だからといって「民衆の為の仏法ではない」という根拠にはならない。

当時、熱原の農民信徒や各地の農民・漁民などの信徒が存在した。大聖人が御遷化された後の葬送の列に、鎌倉の米町の住民も加わっていたという記録(日位著の日蓮御葬送日記)もある。これは民衆階層が大聖人仏法の布教対象であったことを裏付けるものである。

しかし、そもそも『民衆仏法』という表現が適切かどうか疑問である。大聖人は「日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」と一切衆生を救う事を願っておられたのだから、そこには農民も漁民も下人も含まれるのは当然だろう。大聖人の衆生救済の御心には、武士も貴族も天皇も農民も漁民も下人も皆等しく救うべき対象なのである。つまり、わざわざ『民衆仏法』と対象を限定するのにも違和感がある。


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