創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 御本尊

大聖人は御自身の滅後、御本尊に関して、どのような方針を取られていたのだろうか。新しい門下ができたときに、御本尊をどのように下付したり閲覧させる御考えであったのだろうか。

以下のように考察してみた
・各々の弟子達に書写を任せて下付させる。
・印刷技術を利用する。
・今まで御自身が下付された御本尊を寺に管理しておき、弟子達が集まって閲覧する。


大聖人以外が御本尊を書くことは

まず大前提として、そもそも御書には、大聖人・御本人以外が御本尊を書かれることを許可されたという記述が一切ない。

大聖人滅後に於いて、大石寺系、他の日興門流、身延系、それぞれが自分たちの判断で御本尊を書写したにすぎない。

果たして、これらと大聖人の御真筆の御本尊が等しいと言えるのだろうか。

当時の印刷技術は

印刷技術に関しては、当時のモンゴル帝国では紙幣(交鈔)の発行に銅版画が用いられていたが、日本まで伝わっていたかは不明である。大聖人がその情報をご存じであったかも不明である。また、当時は大聖人は衣食や紙さえ困窮されておられた状況であったから、印刷器具を調達することも難しいだろう。

鎌倉時代の版木の精度も考慮しなければならない。文字曼荼羅の躍動した姿を当時の版木レベルで再現しきれたのだろうか。大聖人の真筆を見ればわかるが、ダイナミックで精緻な筆遣いを再現できるのだろうか。「版木では細部まで表現しきれない」という御判断だったのかもしれない。

御書には、御本尊配布や滅後の御本尊についての記述が無いので(残ってないので)わからない。

信心強盛な信徒にのみ配布

ただし「又経文のごとく不信の人に・わたしまいらせずば日蓮・偏頗は・なけれども尼御前我が身のとがをば・しらせ給はずして・うらみさせ給はんずらん」「骨に肉をば・かへぬ事にて候へば法華経に相違せさせ給い候はん事を叶うまじき」と仰せのように、信心強盛な信徒にのみ御本尊を下付された。この御文を拝すると、信徒が急激に増えたからといって大量に印刷して配布しようという姿勢など微塵もみられない。

形木にして増刷した結果

富士一跡門徒存知の事には、大聖人の滅後に、日向・日頂・日春ら他門流が、御真筆の御本尊を形木に彫って版画のように増刷し、信心の薄い人にまで下付したという。その結果、多くの不敬を招いたことが記述されている。日興上人はそのような不敬が起こらない対策として、御真筆の本尊を授与した人の名前を直接書き込んだという。

日蓮在御判かどうかの違い

現実の歴史では、大聖人滅後は弟子達が書写をして信徒へ下付するという形がとられた。

そのために、日興上人と、その他の弟子達との御本尊に対する認識の違いを考察する必要がある。
・日興上人は、「南無妙法蓮華経の首題の下に日蓮 在御判」
・五老僧は、例えば日朗書写なら 「南無妙法蓮華経 日朗 花押」

この違いは、大聖人を南無妙法蓮華経と一体不二の本仏と捉えていたかどうか。


板本尊に関して

御書には板本尊に関する記述がどこにもない。また大聖人が板本尊を自ら作られたという実績もない。従って、紙の文字曼荼羅を板本尊に模刻する行為自体が許される事かどうかも実は不明なのだ。

紙以外の材質に関して

そもそも、木版の板御本尊は大聖人は一度も御図顕されていない。後の世に大石寺系などが板本尊へ模刻したのだ。厳密に大聖人のスタイルを踏襲するなら板本尊さえも許容できなくなる。

紙以外の材質で御本尊を御図顕されたのは、唯一・絹のみである。現存する真筆の中では『天目授与本尊』と呼ばれる御本尊が材質が絹である。


日興上人の書写の判断基準

日興上人は文字曼荼羅を書写するにあたって、大聖人の御真筆の中から、どれか一つだけを特定するということはされなかった。数多くの御本尊を書写されているが、その相貌には数々のパターンがある。

小さなサイズの略式の相貌から、大きなサイズの十界の諸尊が全て勧請されている相貌まで幅広い。推測するに、下付する対象の信徒や寺院に合わせて、その都度最適な相貌を判断されたのではないだろうか。

つまり『弘安二年の大御本尊』といわれる本尊のみを書写したわけではなかった。日蓮正宗は「歴代法主は、戒壇本尊というただ一つの本尊を書写した」と主張しているが、これが根拠のない伝説であったことは明白である。




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宗門の歴代法主の書写本尊を見つめている。特に最近の日如法主・日顕法主・日達法主あたりの書写本尊を。字体も大人しく躍動感がない。特に日如法主の字は細い、弱々しい感じを受ける。勧請された諸尊の座配だけを真似ても本物の域には到達していない。

そもそも唯授一人の血脈とは何なのだ。何の経験もない稚児法主。稚児法主の書写本尊でも同じ扱いになるというのか。理解不能である。

この書写本尊に「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」と仰せのように、大聖人の魂が宿っているとは到底思えない。

大聖人の真筆の本尊を見ると明らかに違う。日蓮という文字を見ればわかる。どれだけ躍動感のある文字か。大聖人の魂はここにしか宿っていない。

勿論、創価の略式本尊にも宿っているとは思えない。ベースは日寛師の書写だが。その日寛師であっても、大聖人とは違う。





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書写では、勧請する諸尊や、その座配を真似ることは出来ても、大聖人の生き生きとした字体の全てを再現することは出来ない。

一方、今の技術ならば精密な複写が可能になった。大聖人の真筆の御本尊を寸分の違いもなく再現できる。

鎌倉時代から現代に到るまで。書写が必要だったのは認める。大聖人が直接筆を取り書ける枚数は限られている。後世の信徒の為には、別人が書写する必要があったのは認める。だが書写が必要だった時代は終わった。これからは精密複写が御在世の役割を果たす。



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創価と宗門の不毛な争いに心を痛めている。今までの歴史を振り返ると、同じ日蓮仏法の信徒同士で、やれ「ニセ本尊」だの、「法主の血脈がない」だの、「勝手に開眼供養した」だの、「悪鬼が住み着いている」だの、かくも激しい誹謗中傷の応酬が繰り返されてきた。

このような争いを見て、大聖人はどれほど悲しまれているか。一刻も早く、このような不毛な本尊論に終止符を打つべきである。

結論を言うと、大聖人の御真筆の御本尊を、宗派に依存することなく、希望者には(厳格な精密)複写を受持できるような制度が作られるべきだと考える。御真筆の御本尊であれば、最早不毛な本尊論争が起こることは無いだろう。



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日興上人が身延を離山し、富士に移る際に、宝物の中に板本尊の記録は無い。

堀日亨法主は「富士日興上人詳伝」で、従来の説に疑義を提示している。日興上人が身延から富士に移る際の記録をもとに、 「御荷物の中に『生御影』『御骨』はかならず御奉持であるべきであるが、板本尊にいたっては研究の余地が存ずる。」 「すでに原殿抄の末文にあるごとく、身延山の常住物は何一つ持ち出していない。」 と述べている。

であるならば、富士の大石寺の本堂に安置した本尊は何だったのか?日興上人は果たして、どの御本尊を安置したのだろうか。いわゆる弘安二年の戒壇本尊でなかったとしたら。真筆の御本尊だろうか、それとも日興上人書写だろうか。

真筆の可能性が高い。なぜなら『富士一跡門徒存知の事』の中で、真筆の御本尊を下付したり、真筆本尊に脇書きしたり、つまり真筆の御本尊が手元に相当数あったと拝されるから。








日目上人等の残した「日興上人御遺跡事」の中で、本門寺本堂に安置するものの記載は「日蓮聖人御影並びに御下文」しかない 

日興上人の入滅(1333年2月2日)の直後、正慶2年(1333年)2月13日に日目、日仙、日善の本六の3師が花押入りの連名で書き残した「日興上人御遺跡事」に、「本門寺建立の時に本堂に納め奉るべき」ものとして記録されているのは、 

「日蓮聖人御影並御下文」(大聖人のお人形と、園城寺申状のこと)(歴代法主全書1-213) 

の二つだけである。この時点では広布の時の本門寺本堂に安置するべき板本尊は存在しなかったと考えざるを得ない。なぜならば、この文書の内容は、上記の2つの日興上人の遺跡を象徴する宝物について、 

「本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし。この條、日興上人の仰せにより支配奉ることかくの如し。この旨に背き、異議をなし、失いたらん輩は、永く大謗法と為すべし。」(歴代法主全書1-213) 

と、日興上人が残された最も大事なものについての取り扱いを定めている。



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大石寺系の主張はこうである。大聖人は釈尊から三大秘法を相伝された。それは経文上には書かれていない。「法体」である三大秘法は、面受口決により教主釈尊から上行・日蓮大聖人へ相伝されたのである。つまり「法体」というものは、経文上で不特定多数の者に相伝するのではなく、仏法の混乱を守るために面受口決により唯授一人へ相承するものなのである。と


法体はあくまでも三大秘法である。法体が戒壇本尊という証拠など何処にもない。大石寺系が勝手に創作しているに過ぎない。様々な資料がそれを証明しているではないか。そして大石寺系は一度もマトモな反証ができていない。

御書から自分達の都合の良い所だけを切り文して利用して、戒壇本尊の正当性をアピールしている。相伝という外部から見ればブラックボックス状態なのを良い事に、中に無理矢理に戒壇本尊を捻じ込んでいる。

一大秘法が戒壇本尊に収斂されるなど日寛師の独自説である。そのような教義は日蓮仏法ではない。日興上人・日目師の時代には全く見られない。記録にも全く無い。





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もしも戒壇本尊が大聖人の御意思と全く関係のない捏造だとしたら?

蓮盛抄にて禅宗を破折されている通りである。禅宗は「禅宗云く「涅槃の時.世尊座に登り拈華して衆に示す迦葉・破顔微笑せり、仏の言く『吾に正法眼蔵.涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付属するのみ』」と」

禅宗は、文字を立てず教外に別伝して摩訶迦葉に付属するのみと主張している。

これと同じ構図である。大石寺系が主張している内容は、戒壇本尊は大聖人の御書に残されず秘して日興上人のみに付属した、ということだ。これが法体そのものだと主張している。

ではこの根拠はどこにあるのだろうか。

相伝だという。

大聖人は厳しく戒めておられる「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」現代に於ける仏説とは御書の事なのは言うまでもない。御書に拠らず勝手に戒壇本尊なるものを創作して、それを法体だと主張する大石寺系はまさに魔の所為ではないだろうか。





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