創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

カテゴリ: 御本尊

大聖人でなければ顕せない世界・景色があるのではないだろうか。甚深なる思想。そこから顕された配置・相貌ではないだろうか。勧請された諸尊の文字の間隔・座配・字の跳ね具合、特に中央主題の「南無妙法蓮華経・日蓮」の凄まじい躍動感は他の誰にも真似が出来ない程である。

いくら筆跡を真似ても、勧請された諸尊を似たような座配で描いたとしても、他人では表現できない甚深の領域があるのではないだろうか。

あのレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が、本物と贋作では隔絶の差があるように。構図や色彩、タッチ等々。本人にしか表現できない世界があるのではないだろうか。




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宗門の一般信徒に下付されるのはコピー御本尊である。時の法主が、このコピー御本尊に対して開眼供養することによって草木成仏が起こると主張している。この儀式をしないと魔に入られて『魔の本尊』になってしまうという。では宗門の僧侶や法華講員が主張している開眼供養・開眼の法義とは、一体どのような儀式なのだろうか。正直に言ってサッパリ想像がつかない。

「仏の心法を入れる」とは、具体的に何をするのだ。法主が、コピー御本尊に向かって、手から念力でも発するのだろうか。その瞬間にピカっと光って草木成仏が起こるというのだろうか。何故に時の法主しか出来ないという設定なのか。法主を引き継いだ瞬間に奥義を会得するのだろうか。宗門の歴史上では『稚児法主』という幼い子供法主が数名存在したが、この幼い子供が法主になった瞬間に開眼供養の奥義を会得したとでもいうのか。法主の『御内証』には、そのような神秘的な能力が備わっているというのだろうか。

しかし、ちょっと待って欲しい、大聖人は「利根と通力とにはよるべからず」と仰せである。法主しか出来ない超能力的な「法主による開眼供養」などに頼るのは明らかに違背していないだろうか。

そもそも御書には、「御本尊への開眼供養の具体的なやり方」の記述が一切ない。大御本尊に関する記述も一切ない。『唯受一人血脈』だの『法体の血脈』だの一切ない。

後世になって大石寺系が独自資料を作って、それを基に創作しているに過ぎない。それらは文献学的にも科学的にも全く証明されていない。

開眼供養は大聖人のみ

大聖人は、木絵二像開眼之事の中で「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」と仰せである。この『法華を心得たる人』とは大聖人に他ならない。大聖人が自ら顕された御本尊(つまり真筆)こそ「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」と仰せのように、開眼供養をなされたものだ。

大聖人が、御本尊の開眼供養を他人に行わせた、という御書の記述も歴史上の記録も一切ない。

法主が特別な存在へと神格化

宗門の人に尋ねたい。一体「御本尊に対する開眼供養の具体的なやり方・その資格を有する条件」が御書の何処に書いてあるのか教えて欲しいものだ。答えれるはずがない。

信徒側からすれば、法主抜きでは、開眼供養した本尊『正しい御本尊』が下付されないのだから『正しい信仰』が成立しなくなる。

そして、ここに特権が生じる。法主だけが特別な存在になってしまうのだ。無謬性を与えてしまう。

信徒達は、このような伝説を無条件に信じるから『おすがり信仰』に陥りやすくなる。『僧侶が上、信徒が下』になりやすいのだ。

創価のバリ活の人達が、創価組織そのものと、偶像化された『永遠の師匠』を妄信するのと同じ構図である。



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宗門の僧侶や法華講の人達は、創価のコピー本尊を「カラーコピー本尊だ!」「ニセ本尊だ!」と執拗に攻撃し続けている。しかし実は、正宗の一般信徒に下付される形木用御本尊もコピー御本尊なのである。具体的には、法主が御形木本尊用に書写した御本尊があり、それをコピー(印刷)したものを一般信徒に配っているのである。

法華講の一般信徒は、自分達もコピー御本尊でありながら、どうして創価のコピー御本尊を執拗に攻撃するのだろうか。傍から見ていて理解に苦しむ所である。

現在、創価の一般会員に下付されている御本尊は、栃木県・淨圓寺が所蔵していた日寛師が享保5年に書写した略式御本尊である。(一説には、日寛師が入信して日が浅い信徒の為の『入門用』に書写されたものと言われている)

この御本尊の一部を改竄してからカラー複写したものだと指摘されている。具体的には、左下の霞んだ文字の所を明瞭にして、左端の授与書を削除して、文字の線を太くしたり伸ばした、とのことである。仮に、それが本当であっても大幅な改竄では無いだろう。根本的に大きな変更を加えてはいない。ならば、そこまで大きな問題とは思わない。

しかし、気掛かりなのは、この略式本尊は十界の諸尊が全て勧請されていないどころか、何と五界の諸尊しか勧請されていないのである。

大聖人の顕された真筆の御本尊でも、特に初期の頃は十界全てが勧請されていない御本尊が結構ある。だから絶対の条件というわけではないだろう。

ただし、大聖人の晩年・特に弘安期以降は十界全てが勧請されている御本尊が多い。佐渡以降から相貌・座配を様々に模索された結論がこの時期にあると見るべきだろう。

また、御本尊のサイズにも拠るだろう。信徒に下付される際に折りたたむなど小さなサイズの御本尊は略式の相貌にされたのだろう。逆に持仏堂など(皆が集まって祈願する場所)に安置する御本尊は十界全てが勧請されている相貌になっている。

「十界の諸尊が全て勧請されている御本尊でなければ仏界が湧現できない」とまでは思わないが、やはり我々は凡夫である。日蓮大聖人や日興上人とは違う。大聖人の御境涯ならば『楊枝本尊』のように『南無妙法蓮華経・日蓮』だけの相貌があれば他に足りないものはなかっただろう。

しかし、我々は凡夫なのだから。欠けている御本尊では、荘厳なる虚空会の儀式をイメージすることが難しい。従って十界の諸尊が欠ける事なく勧請されている御本尊(広式)が望ましい。

御書にも「十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり」(日女御前御返事)と仰せのように、十界全てが揃っている広式が望ましい。

そして看過できないのは、宗門と決別する前までは十界の諸尊が全て勧請されている本尊(日顕法主・日達法主が書写)であったのに対して、なぜ日寛師の五界略式本尊を選んだのか、会員には何の説明もされていないことだ。

大聖人は不軽菩薩を特に重要視されていた。諸御書を見れば明らかである。

「日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に軽毀する人は頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん」(聖人知三世事)

「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し」(寺泊御書)

「今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり、得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。」(教行証御書)と、得道の時節は像法と末法と異なるが、下種益での成仏の原理に於いては同じであると仰せである。

不軽菩薩が勧請されない理由は?

これほど重要視されていた不軽菩薩が、なぜ御本尊に不軽菩薩が勧請されていないのだろうか。不思議といえば不思議である。

菩薩の代表として、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・普賢菩薩・薬王菩薩が描かれている。龍樹菩薩や天親菩薩もいる。人師は天台大師・妙楽大師・伝教大師もいる。

不軽菩薩は虚空会の会座には直接登場せずに、説かれた時代(威音王仏の滅後の像法の時)が違うからであろうか。しかし、天台大師・妙楽大師・伝教大師も虚空会の会座には居なかったと指摘すればそうなのだが。ちなみに天照大神も八幡大菩薩も法華経説法の場に直接の記述はない。

過去世かどうか

不軽菩薩は釈尊の前身(過去世)であることが説かれている。ただし大聖人は、前身かどうかの観点から座配されたかどうか判断がつきかねる。

天台大師は薬王菩薩の生まれ変わりと御認識されておられる。しかし人師としての役割で勧請されてるかと思われる。つまり、天台大師と(過去世の)薬王菩薩が同時に勧請されていることになる。であるならば、不軽菩薩もまた、菩薩の生命の役割として、菩薩衆に列座されていても何ら不思議ではないと思われる。



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大聖人は『法華堂』や『持仏堂』と称した集会所、すなわち多くの門下が集まる信仰活動の拠点を持っていた門下には僧俗の区別なく大幅の本尊を授与されている。在家の信徒である日長に授与した御本尊は、丈234センチ・幅124センチという現存する中で最大の曼荼羅本尊である。つまり、人が大勢集まる本堂に安置する御本尊は大きな姿である、というのが大聖人の御考えであった。

一方で、個人に下付された御本尊の中には、折りたたんで収納できるようなサイズの小さな御本尊も存在する。

「本門の戒壇」に安置する御本尊は

三大秘法抄には現存する御書の中で唯一、本門の戒壇の内容が明記されている。「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」と仰せである。全世界のありとあらゆる衆生や諸天が来訪する戒壇なのである。これは日蓮仏法に於いて『象徴的な戒壇』であると解釈して良いだろう。そして、これだけ重要な本門の戒壇に言及されながら、その戒壇に安置する御本尊のことをお考えにならない方が不自然だろう。

三大秘法抄では、その後の文に「延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」と伝教大師の建てた延暦寺の戒壇が、当初は清浄で穢れの無い妙戒であったと認識され、それが慈覚・智証によって土泥のように汚されてしまったことを嘆いておられる。それはつまり、日蓮仏法で建てる本門の戒壇は、このような事になってはならないと強く願っておられたのだろう。

理想の戒壇のモデル

そして、この延暦寺の戒壇(伝教・義真時代)を『理想の戒壇のモデル』として認識しておられたのだろう。延暦寺が当時の正法の総本山であり、多くの信徒達が集う場であり、修行・教学の練磨の場であったこと。いずれ「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立」した時の『理想の総本山』としてイメージされたのだろう。

その本門の戒壇こそ、日蓮仏法に於ける『象徴的な戒壇』という位置付けだろう。ここで『象徴的な戒壇』と強調した理由は、宗門が言うような「(戒壇に安置してある)大御本尊に信を取らなければ、いくら(各家庭など)他の御本尊を拝んでも功徳が得られない」などというような対象ではないからだ。あくまで象徴的な役割なのである。

尤も、延暦寺に関しては「此の戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき」と仰せであり、日蓮仏法の戒壇が建った後は、延暦寺の戒壇は益が無いと明言されておられる通りである。

身延の本堂に安置されていた御本尊は

そこで考えたいのが、戒壇の大御本尊の真偽である。

日達法主の説法によると
戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです」
(昭和40年2月16日の大石寺大講堂・第1回正本堂建設委員会の席での指南)
とされるが、果たして事実だったのだろうか。

もしも、これが事実ならば、御書のどこかに明記されているはずなのだが。

資料の手掛かりになる物があれば

現存する御書には戒壇の大御本尊の記述は無い。

何か資料の手掛かりになる物が残っていれば良いのだが。弟子達に直接言い残した文言があったのだろうか、それとも当時は他の文章で残っていたのだろうか、悲しいかな歴史の中で消失してしまったのだろうか。今後も思索を続けていきたい。


「相伝」で隠す必要など無かった

大石寺系は、御書に書かれていない理由を、「一大秘法の奥義は相伝のみで伝えるから御書には書かれていないのだ」などと『相伝』という神秘的なイメージで誤魔化そうとしている。

だが、日達師の説明通りならば、身延に参詣に来た信者ならば、戒壇本尊はオープンに開示されていたのだから、何も隠す必要など無いことになる。堂々と戒壇本尊の事が御書に書かれているはずである。御書だけではなく弟子達や門下達の記録資料にも残っているはずだ。ここにも矛盾が生じている。



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御書を丹念に拝読し、大聖人の足跡を辿って行き、熟慮を重ねて結論を出したところ、大聖人の出世の本懐は、やはり熱原の法難と弘安二年の御本尊を顕された事だと思う。ただし広義で言えば竜の口以降、御本尊を御図顕された事だと認識している。

以下は、その根拠である。

身延入山後

大聖人は、身延入山以降は弟子達の育成を主眼におかれていた。御自身は矢面に出ず弟子達の闘争を見守っておられた。

御自身の滅後

常に釈尊滅後のことを言われていた。「法華経は滅後、別しては末法の為に説かれた」と強調されている。つまり御自身の滅後の事も常に念頭に置いておられた、と考えるのが自然だろう。

法難を重視された

大聖人は法難を重視された。「法華経に書かれている通りの難を受ける者こそ、法華経の行者の証明である」との仰せを何度もされている。そして、門下達にも「法華経の為に命を捨てよ」と言われている。

法難こそ法華経の行者の証明であり、大聖人が最も重視された事である。熱原の法難は、弟子達が主体の布教闘争で起こった最大規模の法難である。弟子達が自ら引き起こした難だからこそ、特に重要視されたのは間違いない。

聖人御難事では、大聖人が仏説の通り大難を受けていること。門下達に、難を受けて脅されても師子王の如く恐れてはならないこと。我等は現在は仏法のために、この大難に値ってはいても、後生は仏になれるのであると仰せのこと。熱原法難の受難者(農民信徒)に対して厳父のような峻厳な指導をされていること。

弟子達が自ら起こした最大規模の大難。農民信徒が主体、つまり知識階級ではなく民衆そのもの。大聖人は、弟子達が法華経に書かれている通りの大難を引き起こしたことを見て『本物の法華経の行者』と喜ばれたのではないだろうか。そしてこの大難を乗り越えて欲しかったとお考えだったのだろう。

立宗宣言から幾星霜(余は27年)ここまでの成果をあげた。これぞ『出世の本懐』であると感じられたのではないだろうか。

大御本尊は一般的な相貌

と同時に、この難をきっかけにして、御自身の滅後の、未来のまだ見ぬ多くの門下達(民衆が主体)の為に、標準的な相貌の御本尊を御図顕されたと推察する。それが弘安二年の御本尊だったのではないか。

同じ御本尊といっても、各門下達に与えられた御本尊を見ると少しづつ相貌が違う点。座配も違う。これは門下お一人お一人に対して最もイメージしやすい(=仏界を湧現しやすい)ように配慮されたものと推察する。

しかし、まだ生まれていない未来の門下達(万年の外・未来までも)には『一般的な相貌』がベストと判断されたのではないだろうか。それが弘安二年の御本尊の相貌ではないかと推察する。

弘安二年の御本尊に関して、パッチワーク説があるのは以前から熟知している。その真偽を検証し明らかにするのも必要だと思う。宗門側も積極的に調査に協力すべきだろう。その結果も公表すべきだろう。

私も大御本尊に関しては以前より調べたり考察し続けてきたが、弘安二年の御本尊と呼ばれるもの。それはあったのだろうと推察する。私は、大石寺の大御本尊に固執しているわけでは無い。

未来の信徒の為に「標準的な相貌」の御本尊

大聖人が、熱原の法難で、弟子達が自ら難を引き起こして乗り越えたのを契機に、まだ見ぬ未来の門下達の為(いわゆる一閻浮提総与)に、標準的な御本尊の相貌を御図顕されたと推察する。それが一般的に弘安二年の御本尊と呼ばれているものであろう。

強調しておきたいのは、大聖人は常に滅後のことを重視しておられた点である。御自身の滅後に、まだ見ぬ未来の門下達が仏界を湧現しやすいように(己心の荘厳なる宝塔の儀式をイメージしやすいように)御配慮されるのは最も自然と思われる。逆に、いわゆる一機一縁の御本尊だけしか御図顕されずに生涯を終えられたとする方が、不自然なのである。

仮に、現在、大石寺に安置されている大御本尊が、別人によるパッチワークだというのであれば、標準的な相貌の御本尊は別に存在するはずである。その真偽がどちらにせよ、私はそれを大聖人の出世の本懐だと思っている。それが実は日禅授与本尊だったのかも知れない。或いは万年救護本尊だったのかもしれない。或いは弘安2年以降に御図顕されたものの中に(標準式の御相貌が)複数あるのかも知れない。

象徴的な御本尊

ただし、それが特別な御利益があるとか、全ての根源の御本尊とか、そのような存在ではないだろう。宗門の人達が主張するような「大御本尊に信を取らなければ功力が得られない」などあるはずがない。

他の御真筆の御本尊も等しく仏界を湧現できるだろう。差異があるはずがない。ただ門下達がイメージしやすいかどうかの違いだろう。弘安二年の御本尊は、未来の信徒達が仏界を湧現しやすいように標準的な相貌にされたと推察できる。言うなれば象徴的な御本尊である。

例えば、四条金吾は『火の信心』と評されたが、その四条金吾の性格や仏法知識に最も合った相貌の御本尊を与えられたのだろう。


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液晶モニターやプロジェクトマッピングの映像で顕された御本尊に効果はあるのか。仏界を湧現できるのか。対鏡と考えれば当然あるだろう。草木成仏の原理から非情のそれらにも一念三千が宿る。私達の己心にこそ御本尊が存在する。「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せの通りであろう。

御真筆本尊と同じ、正しい相貌であれば、法主の書写も、紙への複写も、板本尊への模刻も、各種モニターへの透過も同じ効果をもたらすだろう。

そもそも、木版の板御本尊は大聖人は一度も御図顕されていない。後の世に大石寺系などが板本尊へ模刻したのだ。厳密に大聖人のスタイルを踏襲するなら板本尊さえも許容できなくなる。しかし、それでは宗祖の意図を汲み取れていないだろう。様々な素材を用いても宗祖の意思に反していないだろう。

御本尊が見れない状況でも

投獄された門下達は御本尊を見れない状況下にあっても仏界を湧現できたのである。

また、佐渡以前の門下達はどうだったのだろうか。御本尊がまだ御図顕されていなかった時期である。その時期でも、もちろん仏界を湧現できたのは間違いがない。

また、海外のメンバー(創価・宗門を問わず)で御本尊下付がされていないメンバーがいる。あるいは何かの事情で御本尊を拝謁できない状況にある場合も存在する。そのような人達でも仏界を湧現できなければ逆におかしいのである。

題目によって己心の仏性を

法華初心成仏抄に「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」と仰せのように、題目によって己心の仏性が呼び起こされるのである。

絵画や壁画から

また別の観点から考察してみたい。ダビンチやミケランジェロの絵画を液晶モニターで見ても感動するものである。心が動かされるものである。心が感応している状態であろう。

敦煌の壁画に法華経の『三車火宅の譬え』を描いたものがある。これも見る人の仏性を引き出す作用があるのかも知れない。莫高窟23窟南壁虚空会の壁画のように、荘厳なる虚空絵の儀式をビジュアル化した壁画が存在するが、それを見ると仏性を湧現できるのかも知れない。

文字曼荼羅がベスト

大聖人は仏性を引き出す対鏡として、文字曼荼羅がベストだと御判断されたのであろう。「梵音声の一相は 不可見無対色なれば書く可らず作る可らず」と仰せのように、仏像や絵画では『仏に備わる三十二相』の内、三十一相までは作り描くことが出来たとしても、梵音声は描く事も作る事も出来ないので、生身の仏と同じにはならない。


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創価の一般会員が、自宅の仏壇に安置している御本尊のことを考察してみたい。大半の一般会員が該当する。

「ニセ本尊」の実態は

これは栃木県・淨圓寺が所蔵していた日寛師が書写した略式御本尊である。創価は、この御本尊を会員に複写・配布する際に、その一部を改竄したと指摘されている。具体的には、左下の霞んだ文字の所を明瞭にして、左端の授与書を削除して、文字の線を太くしたり伸ばした、とのことである。どうやら現存する元の状態のまま複写するのが都合が悪かったようだ。

仮に、それが本当であっても大幅な改竄では無いだろう。根本的に大きな変更を加えてはいない。ならば、そこまで問題なのだろうか。編纂して複写した御本尊だからといって中核の相貌は変わらない。ならば仏界を湧現できるだろう。御本尊の功力は変わらないだろう。ならば「ニセ本尊」と攻撃する人は考えを改めるべきである。大聖人が顕された御本尊の相貌こそが重要なのである。

悲しい「不敬」行為

ましてや不敬など行うべきでは無い。ある動画サイトで、法華講の人が、創価のお守り御本尊を取り出して燃やしてるのを見たが、このような不敬は断じて行うべきでは無い。

逆に、日顕法主や日如法主の書写の御本尊であろうと相貌は変わらない。創価の人は不敬することが無いようにすべきである。だからと言って法主を敬えという事では無い。

相貌こそが

『誰が書いたか、複写したか』が論点ではなく、大聖人の御図顕された相貌こそが重要なのであり、それを敬うことが肝要なのである。法華経の荘厳なる虚空会の儀式をそのまま御図顕された相貌を敬う事が重要である。

解決策は

この不毛な本尊論争が延々と続いてるが、これこそ大聖人が最も悲んでおられるだろう。現実的な解決策としては、御真筆の御本尊を希望者に精密な複写配布されるべきである。御真筆をありのままに複写したのであれば、もはや不毛な争いは無くなるだろう。


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