大聖人の真筆という疑義

身延を出立され常陸の湯へ向かわれた目的は、病気の療養の為とされている。大聖人のお体は相当衰弱されておられた。その道中「波木井殿御報」にて「所らうのあひだはんぎやうをくはへず候事恐れ入り候」と仰せになっている「病身のために判形(花押)を加えません」と仰せなのだ。病気が重く手紙はおろか花押(サイン)すら書けない状態だったのだ。このような状態で二箇相承の二つの文書を御自分で全文書けるはずがないだろう。

ところが、この原文を書写した(と主張している)日教師の漢文体を見てみると、整美整足された完璧な文体なのである。大聖人は臨終直前の状態であったのだ。仮に筆を取ることが出来たとしても、かなり乱れた文体になるのが自然だろう。しかし少しの乱れも無く完璧な文体なのである。


北山本門寺に伝わっている疑義

二箇相承の真筆とされる文書が北山本門寺に伝わったとされている。戦国時代の武田勝頼の軍によって奪い取られたとされている。その後、真筆は紛失してしまったとされている。

何故に大石寺ではなく北山本門寺に伝わっていたとされているのか。もしもこれが『唯授一人血脈相承』の相伝の文書であるならば、日興上人が日目上人へ法を付属した時に、当然ながら譲り渡すべきだっただろう。そうせずに重須のある北山本門寺に残し伝えられたわけである。普通に考えて不自然であろう。大石寺の秘密文書であったなどと到底言えまい。


秘密にする疑義

池上相承書には「大聖人の法門の唯一相承」と「身延の別当就任」という極めて重要な事項が書かれている。これほど重要な事柄を秘すのはおかしい。これこそ臨終の前には、主要な弟子一同に伝えておかなければならない内容だろう。『宗祖御遷化記録』の中に入っていなければならない程の内容である。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村