(メモ段階)
徹底的に検証して考察した結果、以下のような結論に達した。大聖人は、御自身の滅後は、臨終の際に定めた高僧六人による集団指導体制を望んでおられた。大事なことは六人の合議で決定して進めるように望んでおられた。日興上人への唯授一人血脈相承はなかった。日興上人は身延の別当には就任されていない。


『宗祖御遷化記録』によれば、大聖人の入滅の前の遺言というべき内容が示されている
 定
一弟子六人事 不次第
    一、蓮華阿闍梨日持
    一、伊与公日頂
    一、佐渡公日向
    一、白蓮阿闍梨日興
    一、大國阿闍梨日朗
    一、弁阿闍梨日昭
    右六人者本弟子也 仍為向後所定如件(仍て向後の為定むる所件の如し)
    弘安五年十月八日
本弟子6人を定め、この本弟子六人は序列なく『不次第』とされた。

もしもこの時点で日興上人が相承を受けていたならば、「定」の序列を「不次第」とする断り書きをする必要など無く、日興上人が最上位の位置に書かれているはずである。



「大導師」「身延の別当」とは到底思えない事実

二箇相承には、日興上人は大聖人から直接『本門弘通の大導師』『身延山久遠寺の別当』に任命されたとある。もしもこれが本物ならば、その後の大聖人の入棺および葬送の儀式では、日興上人が『大導師』としての務めを果たす最初の仕事になるはずだ。

ところが宗祖御遷化記録を見ると、大聖人の御尊体は日昭師、日朗師により入棺されたと記録されており、大聖人葬送の儀式の法席を見ると、前陣=日朗師、後陣=日昭師となっており(これは大導師が日昭師、副導師が日朗師という意味である)、日興上人は後陣左で行列に参列したとある。つまり、日昭師や日朗師よりも葬列の法席が下位になっているのである。『大導師』であり『身延の別当』であるならば、こんな下位の法席になるなど有り得ないではないか。

日興上人が『大導師』『身延の別当』に就任することを宣言する法要が身延山久遠寺でも、池上でも行われた形跡はないし、そのような記録は全く残っていない。


認識を改めた理由

私は以前は、大聖人が日興上人を唯一の後継者に指名したと考えていた。大聖人は比叡山延暦寺を理想とされておられた。伝教大師は遺言で義真大師を後継者トップに指名したといわれている。であるならば、同じように日興上人へと継承されたものと思っていた。

だが、そのような資料は一切出てきていない。従来の認識を改めざるを得なかった。





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