(メモ段階)

戒壇本尊は、楠木を用いて掘られた板本尊であり、表面が黒漆で塗られており、更に彫った文字に金箔加工がなされている。

日蓮正宗の公式見解として
「弘安二年(1279)十月十二日に出世の本懐として『本門戒壇の大御本尊』を顕されたのです。この御本尊は末法万年の流布を慮られて、楠の厚き板に御図顕され、弟子の日法に彫刻を命ぜられています」(「日蓮正宗入門」より)
つまり、大聖人自らが、紙幅の御本尊ではなく、楠の板に直接に曼荼羅を図顕されて、それを日法に彫刻することを命じたとの見解なのである。





大聖人御在世の時代に於いて、果たして板本尊の漆・金箔加工は可能だったのだろうか。

大石寺系は弘安二年に戒壇本尊が図顕されたと主張している。ところが、同じ弘安二年に書かれた御書を見ると、
「五尺のゆきふりて本よりも・かよわぬ山道ふさがり・といくる人もなし、衣もうすくて・かんふせぎがたし・食たへて命すでに・をはりなんとす、かかるきざみに・いのちさまたげの御とぶらひ・かつはよろこび・かつはなけかし、一度にをもひ切つて・うへしなんと・あんじ切つて候いつるに」(上野殿御返事)
身延山中で厳しい寒さを耐えれる衣類はなく、食物さえ確保できず、餓死を覚悟されている窮状だったのだ。こんな状況で漆・金箔加工をする経済的余裕などあるはずがない。




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