想学談林「運ちゃん」氏は、釈迦の教えを以下のように『我見解釈』している。
釈迦が説き広めた教えに一番近いのは、今で言う原始仏教だと僕なんかは考えていますが、そこの教えは執着を断つ事、心を平静に保つことなどがあり

僕が思うのは道徳律というか、心を落ち着かせる要点というか

この主張には強い違和感を覚える。
道徳律だの、心の平静を保つだの、その程度の目的ならば、わざわざ難解な仏教を研鑽する必要があるのだろうか?

心の平静を得たいのならば、イメージトレーニングや、呼吸法を実践するなど、その程度でも充分だろう。

道徳律を養うならば、古今東西の道徳について説かれた書物(孔子や)を研鑽するなど、或いはボランティア活動に勤しむ、丁稚奉公の修行をする等々、幾らでも方法があるではないか。

仏教は『八万法蔵』と言われるように膨大な経典があり、余りにも複雑で難解である。しかも経文が誰が何処で書かれたのか不明なものが多く、偽経疑惑も多く、文献の証明も無かったり不確かな部分が多い。それらの検証をするだけで一生かかっても到底追いつかない程である。

そのような膨大で難解で複雑な仏教から「運ちゃん」氏が学んで得たものが、単なる道徳律だの、心の平静だの、この程度なのである。なんと浅薄な結論なのだろうか。

彼は以前にTwitterで
仏教も哲学も、自分がこの人生を生きるための参考書程度と考えるべきではないのかね。そこを「不磨の大典」と考え依存するからおかしくなる。(ソース
と言い放っているから、所詮はこの程度の認識しか無い人間なのだ。

一方、彼は『死の問題』に関して、仏教では役に立たないからといってNDE(臨死体験)にその答えを求めているのである。キューブラー・ロス氏の著作をバイブルのように重視している。生死の問題は最重要事項である。もはや彼の思想の主軸はNDEにあるといって良いだろう。

彼の仏教に対するこのような軽薄な姿勢では、これ以後も、幾ら時間をかけて仏教知識を得たとしても時間の無駄になるだけだろう。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村