もしも戒壇本尊が大聖人の御意思と全く関係のない捏造だとしたら?

蓮盛抄にて禅宗を破折されている通りである。禅宗は「禅宗云く「涅槃の時.世尊座に登り拈華して衆に示す迦葉・破顔微笑せり、仏の言く『吾に正法眼蔵.涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付属するのみ』」と」

禅宗は、文字を立てず教外に別伝して摩訶迦葉に付属するのみと主張している。

これと同じ構図である。大石寺系が主張している内容は、戒壇本尊は大聖人の御書に残されず秘して日興上人のみに付属した、ということだ。これが法体そのものだと主張している。

ではこの根拠はどこにあるのだろうか。

相伝だという。

大聖人は厳しく戒めておられる「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」現代に於ける仏説とは御書の事なのは言うまでもない。御書に拠らず勝手に戒壇本尊なるものを創作して、それを法体だと主張する大石寺系はまさに魔の所為ではないだろうか。





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