創価は絶対平和主義を唱えている。戸田会長が提唱した『原水爆禁止宣言』は創価内では有名であり、これが淵源とされているほど重要視されている。

ところが、牧口会長の著作『価値論』の中に気になる記述がある。
科学が純粋の真理を求めつつ、しかも討究して得られた定理が人間の幸福生活へ実践行動化すると同様に、この宗教も純粋なる生命哲理を最高へと組み立てつつ、その最高無上の定理は人間の幸福生活への実践として行動化されているのである。譬えば、原子核の分裂と云う事は今の科学に於いては最高のものであるが、この原子核分裂の定理は単なる学問として止まるものに非ずして、平和を守るための原子爆弾として行動化されている。

(戸田城聖補訂版『価値論』「第5章 価値の系統」「第6節 宗教と科学・道徳及び教育との関係」から)
驚いたことに『平和を守るための原子爆弾』という、およそ仏教徒の発想とは思えない主張がなされているのだ。

牧口会長が戦時中に原子爆弾の情報を持っていたとは到底考えられない。となれば、この部分は戦後に補訂版を作成するときに、付け加えられた文であると推測できる。どうやら戸田会長の『科学と宗教』という論文の内容が付与されたようである。これは大白蓮華(1953年7月10日)の巻頭言に『科学と宗教(二)』として寄稿された文章と一致するので間違いないようだ。

ということは戸田会長は、原子爆弾が平和を守る為の役割を担うと考えていた時期があったことを示唆している。原爆が広島・長崎と二発も投下された後にこのような見解を持っていたとは驚きである。これにより日本が無条件降伏をしたため戦争が早く終わって平和が訪れたという意味なのだろうか。或いは、いわゆる『核の抑止力』で核保有国同士の均衡を保つという意味だろうか。

この見解から、年を経て、やがて1957年の『原水爆禁止宣言』での
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物である
「核兵器の使用は絶対悪である」という発言に変化していく。これは明らかに正反対の主張である。

戸田会長の平和思想とは実際にはどのようなものだったのだろうか。今後の更なる研究を待ちたい。



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