日興上人が身延を離山し、富士に移る際に、宝物の中に板本尊の記録は無い。

堀日亨法主は「富士日興上人詳伝」で、従来の説に疑義を提示している。日興上人が身延から富士に移る際の記録をもとに、 「御荷物の中に『生御影』『御骨』はかならず御奉持であるべきであるが、板本尊にいたっては研究の余地が存ずる。」 「すでに原殿抄の末文にあるごとく、身延山の常住物は何一つ持ち出していない。」 と述べている。

であるならば、富士の大石寺の本堂に安置した本尊は何だったのか?日興上人は果たして、どの御本尊を安置したのだろうか。いわゆる弘安二年の戒壇本尊でなかったとしたら。真筆の御本尊だろうか、それとも日興上人書写だろうか。

真筆の可能性が高い。なぜなら『富士一跡門徒存知の事』の中で、真筆の御本尊を下付したり、真筆本尊に脇書きしたり、つまり真筆の御本尊が手元に相当数あったと拝されるから。








日目上人等の残した「日興上人御遺跡事」の中で、本門寺本堂に安置するものの記載は「日蓮聖人御影並びに御下文」しかない 

日興上人の入滅(1333年2月2日)の直後、正慶2年(1333年)2月13日に日目、日仙、日善の本六の3師が花押入りの連名で書き残した「日興上人御遺跡事」に、「本門寺建立の時に本堂に納め奉るべき」ものとして記録されているのは、 

「日蓮聖人御影並御下文」(大聖人のお人形と、園城寺申状のこと)(歴代法主全書1-213) 

の二つだけである。この時点では広布の時の本門寺本堂に安置するべき板本尊は存在しなかったと考えざるを得ない。なぜならば、この文書の内容は、上記の2つの日興上人の遺跡を象徴する宝物について、 

「本門寺建立の時は本堂に納め奉るべし。この條、日興上人の仰せにより支配奉ることかくの如し。この旨に背き、異議をなし、失いたらん輩は、永く大謗法と為すべし。」(歴代法主全書1-213) 

と、日興上人が残された最も大事なものについての取り扱いを定めている。



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