創価の活動家は、組織の魅力をこう訴える
「創価家族と言われているコミニュティーの中での、心のひだに届くような叱咤激励、君が憂いに我は泣き、我喜びに君は舞うという学会歌にあるような組織文化」があるという。

なるほど確かに会員同士の温かい交流もあるだろう。ある種の互助会のような役割はある。そこは否定しない。

しかし、それは創価だけが特別ではない。一般社会に幾らでもある。例えば重い病を抱える家族会や、障碍を持つ子供をサポートする会などは、もっと心の籠った交流がある。言葉一つ一つを大切にする。家族の悩みも一緒になって取り組んでくれる。或いは、若者に教育支援や生き甲斐を教える会もある。高齢者にきめ細やかなサポートをする会もある。そのような会は枚挙に暇がない。

この点は創価だけが飛び抜けて優れている訳でも何でもない。さらに現状の創価は、組織の打ち出しに従わない人・活動方針に異議を唱える人を、査問だの除名だのドンドン排除していっている現実がある。その温かい『創価家族』すら、組織に従順に従うという前提条件なしには成り立たないではないか。そうなると、何の制約もなく純粋にサポートしてくれる後者の会の方が遥かに勝れている。

「現証」をアピール

創価の活動家は、組織の正当性をアピールしている
「(日蓮正宗・創価学会・顕正会の中で)池田名誉会長の指導によって、詐欺と言われる創価だけが飛び抜けて世界192カ国・地域に広まっているという現証」を誇っている。まるで数こそが正義の証明だと言わんばかりである。

しかしイスラム教、キリスト教の信者数は10億人を軽く超えている。その論理でいえばイスラム教・キリスト教の方が遥かに「現証」を出していることになる。つまり人類社会から認められていることになろう。日蓮仏法よりも優れている事になってしまうのだ。

そもそも大聖人御在世の日蓮教団の数は、遥かに少数だった。念仏宗などの方が遥かに多かった。では念仏の方が優れているのか。そんなはずはない。信者の数よりも教義の内容が重要なのは言うまでもない。

要するに、教義の面での優位性を主張できないから「現証」を強調するしかないのだ。




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