宗門の歴代法主は、全てが戒壇本尊というただ一つの本尊を、その戒壇本尊の相貌を書写したとされている。そして、法主が書写する際の指南書ともいうべき重書が『御本尊七箇相承』である。この書には御本尊を書写する際の七箇の要点が示されている。

ところが、この御本尊七箇相承の通りの相貌になってない本尊がある。何と根本である戒壇本尊なのだ。

以下の画像は弘安2年戒壇本尊の座配である
弘安2年戒壇本尊の座配
(柳澤宏道『石山本尊の研究』から)


「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が無い

御本尊七箇相承には
「上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか」
と記述されている。

だが、根本である戒壇本尊には両肩の部分には「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章がどこにも存在しない。「経中の明文等心に任す可きか」の御指南に反しているではないか。


「仏滅度後二千二百三十余年」の讃文

御本尊七箇相承には
「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
と記述されている。

ところが、根本であるはずの戒壇本尊を見ると「仏滅後二千二百二十余年」となっているではないか。この十年の差異は何なのだ。


どちらが間違っているのか

これらの相違は一体どういうことなのだろうか。

御本尊七箇相承の記載が間違っているのだろうか。それとも戒壇本尊が間違っているのだろうか。しかし戒壇本尊は大聖人の御真筆を有りの侭に模刻したという伝承だったはずだ。

私もかつては幾度も大石寺に登山をして、戒壇本尊に御祈念してきただけに、このような事実を知りショックは大きい。一人の信仰者として真実を求めていきたい。




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