法華経に説かれる登場人物で、最も中心的な菩薩は、神力品にて滅後の付嘱を受ける上行菩薩と(率いている)地涌の菩薩であり、実践(弘通)の上で最も重要なのは不軽菩薩であるのは明らかだろう。

仏教美術の人気のテーマは

仏法の北伝ルートでは、インドからシルクロードを通じて中国へ伝来し、やがて朝鮮半島へ、到来するのだが、それらの地域での仏教美術について着目してみたい。かつて、シルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市であった敦煌。その敦煌近郊に有名な莫高窟があるが、そこに描かれる壁画で一番多いのは観音菩薩と弥勒菩薩であったようだ。中でも観音菩薩が一番人気であったらしい。

残念ながら、地涌の菩薩と不軽菩薩は、法華経のストーリーを紹介する程度に僅かに描かれる程度であるらしい。同様に、中国や朝鮮半島でも、絵画や彫刻の作品のテーマになることは無かったようだ。

観音信仰が広がった理由

では何故、観音菩薩が人気であったか。それは観音菩薩の名前を唱える人は誰でも、交通事故や、種々の災害や、強盗や殺人などのあらゆる災難から守られると説かれている。或いは、男の子が欲しい人には男の子が、女の子が欲しい人には女の子が授かる願いを叶えてくれると説かれる。さらに、この菩薩の助けを求める人の為に、いつでもどこでも相手に応じて33種類の姿で現じて救出してくれると説かれているからだという。

この現世利益信仰に飛びついたのが、シルクロードの商人達であったり、中国の一般層や支配層であったのだ。

敦煌では、シルクロードを往来して貿易を営む商人達の発願で観音像が多数描かれた。旅の無事の祈りを込めたのだ。キャラバンが中国から西域を目指す時に、砂漠の中を通らなければならない。過酷な環境下で命を落とすリスクが高い。そこでは盗賊に襲われる危険もある。そのような時に、観音菩薩の名前を呼べば救われると観音品に説かれている。これぞ彼らの望んでいた現世利益なのだ。飛びつくのも無理からぬことだ。

中国では元来、祖先崇拝が盛んだった。強固な父系社会であり、祖先を敬うことは社会秩序の維持のためにも重要であったと考えられている。よって男子がいないと祖先崇拝が断たれて、自分が死んだ後にあの世で迷うしかない。だから、男の子を産まないものは、親不孝者と見なされた。このような慣習があるところに法華経・観音の教えが伝わった。観音の説く利益を聞いた人々は、何としても男の子に恵まれたいと藁にもすがる思いで飛びついた。こうして子宝信仰として広く普及していった。

このようにして観音菩薩は、アジア全域を通じて崇拝されるようになった。

受け身の信仰姿勢

観音品は、それを読誦する人に、観音菩薩によって救ってもらうという受け身の立場を取らせようとする。観音は私達にとって『何かをしてくれる菩薩』であるが、法華経で本来の理想とする菩薩は私達『自らが菩薩となって利他行に努める』ものであった。地涌の菩薩も不軽菩薩もそうである。

このように、北伝ルートの地域に住む大半の人々は、法華経が本当に伝えたかった事が理解できなかった。地涌の菩薩としての自覚と誇りを持ち、偉大なる妙法弘通を誓願する信徒では無かった。不軽菩薩のように、相手がどのような態度を取ろうと、相手に仏性があるのを信じ抜く。そのような不屈の精神を受け継ごうとする信徒は殆どいなかったのだろう。残念である。



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