信仰活動を続ける上で、疑問や、時には批判意見が起こるのは当然であろう。それに対していかに誠実な姿勢で向き合うかが大切になってくる。それぞれ、どのように対応しているか考察していきたい。

大聖人の姿勢

日蓮仏法の原点である大聖人の姿勢を拝したい。大聖人は「智者に我義やぶられずば用いじとなり」(開目抄)と、自分が全生命を懸けて築いてきた理念・教義・行動が、もっと優れた智者に破られるまでは捨てることは無い、と宣言されたのである。ここに疑問や批判を拒否する姿など微塵も感じさせない。「批判があるなら、いくらでも来るが良い」との堂々とした姿勢であられる。

池田名誉会長の姿勢

池田名誉会長は、創価大学の第1回滝山祭で、批判意見に関して次のように述べている。
「そこで私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、批判をしてはいけないということは一つもありません。いくらでも批判してけっこうです。また、私はご存じのように創価学会の会長であります。創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。大学としても、学会としても、また私としても、反省すべきことは反省しなくてはならないし、改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、いかなることを論じてもよい。自由奔放であっていただきたい。これだけは、はっきりと申し上げておきます。」(創価大学学生自治会編『創立者の語らい1』より)
疑問や批判があれば幾らでも上げるべきで、間違っていれば反省をし、改める必要性を説いているのである。非常に重要な発言である。組織の自己浄化作用には絶対に必要な要素であろう。

現在の創価の姿勢は

だが残念ながら、今の創価組織には、この姿勢は微塵も感じられない。会則や教義に対して疑問の声をあげれば、一応はマニュアル通りの回答はくれるが、それでも納得しない場合は、迷惑がられ避けられるようになる。それでも質問を続ければ、組織から無視されるような扱いを受ける事もある。

或いは、もっと本源的な所まで切り込む場合、つまり(選挙支援活動など)組織の方針に反対意見をあげれば、すぐに厳重な注意・指導がなされる。それでも反対行動を止めない場合は、その人を(除名という形で)排除するのである。

今の創価に欠けているのは、疑問や批判に真正面から丁寧に回答することだろう。会則変更に関しての疑問や批判もマトモに答えない。過去の歴代会長の発言との整合性の矛盾を指摘されても「事情が変わった。大謗法の地になったから」の一点張りである。挙句の果てに「ネットを見るな、信じるなという打ち出しがきている」そうである。(報道特集2017年5月27日)

現場の活動家達は疑問があっても、忌憚なく議論できる場など無い。質問をしても、その答えが「池田先生が作られた公明党だから信じる、同志を疑っちゃダメ」「本部の人達は池田先生に近い、薄給で頑張ってる同志達だから」「先生がお元気なうちに大勝利でお答えしましょう!」こんな答えにもなってないような言葉で納得せよというのである。

疑問を忌憚なく話し合える場を

宗祖や、かつての池田名誉会長がそうであったように、座談会や様々な会合の場で、疑問や批判があれば遠慮せずに意見を言える懐の深い姿勢が大事なのだろう。選挙支援活動に関しても、疑問があれば気軽に何でも話し合える場が必要なのである。


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