仏法はアナッタン(パーリ語・anattā)、アナートマン(梵語・अनात्मन・anātman)を説いたとされる。中国に伝来したとき、これを無我すなわち我が無いと翻訳された。このため仏法は自己を否定するものという誤解が生じてしまった。ところが原始仏典には「自己を求めよ」「自己を護れ」「自己を愛せよ」などと積極的に「自己の実現」「自己の完成」を説いていて『無我』という表現は見当たらない。

「我」も「自己」もアッタン(パーリ語・attan)又はアートマン(梵語・आत्मन्・Ātman)と言う。これに否定を意味する接頭辞anを付与したのがアナッタン・アナートマンになる。つまり『無我』ではなく『非我』(何かが我なのではない)と訳されるべきなのだ。何か実体的なものを自己として想定し、それに執着することを戒めた言葉なのだ。

何かに執着し、何かにとらわれた自己にではなく、『法(梵語・धर्म・dhárma)に則って生きる自己』に目覚めさせようとしたのが仏法であった。


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