以前の記事で査問などの証拠が出てきていないと指摘したが、ついに公に世に出てきた。埼玉の(元)創価会員の篠澤協司氏のホームページ『創価学会埼玉県審査会及び創価学会監正審査会との文書往復の全記録』を参照されたい。ここに詳しい経緯と、創価組織から送付された書類、篠澤氏から提出した書類が全て載っている。

なお、篠澤氏はTwitterでハメル准将というハンドルネームで活動されている。こちらでも詳しい経緯が載っている。

経緯を簡単に辿ると、池田名誉会長の平和思想をベースに検討した結果、安保法案は間違っているとの結論に達したこと。安保法案に反対の意向を創価組織に明言したこと。以後、公明党の支援を一切しないことを明言したこと。その影響で、正役職の地区部長の役職を解任されたこと。某三人組と行動を連携したこと。ネット上で創価執行部を批判したこと。ついに副役職も解任されたこと。反乱分子(『反創価学会』)として扱われたこと。地元組織から何度も事情聴取されたこと。自主退会を暗に促されたがキッパリと拒否したこと。これらにより最終的には除名処分を受けたとのことである。

思考停止をやめた結果

最後の感想で篠澤氏はこう述懐している「ことの発端は、思考停止をやめただけです。正しい基準のもと、自分の頭で考え始めただけでした。」これは極めて重要だろう。かつては創価組織からの上意下達の打ち出しをこなすだけの『ものを考えない人』であった。そこから覚醒した。創価中央組織は目覚めた人が多くなれば困る。容易に会員をコントロールできなくなるからだ。故に、そのような人の発言・行動に圧力をかけ除こうとする。

独善的で閉鎖的な組織

創価組織は、いつも『対話が大事』『対話の団体』だと対話を強調しているが、組織の中で、異なる意見を言う人を片っ端から査問し排除するようでは「言ってる事とやってる事が違う」ではないか。これでは独善的で閉鎖的な組織運営だという他ない。

同志(同じ組織で同じ教義の者)の意見すら徹底排除するような組織が、どうやって外部の人達・考え方や信奉する宗教の違う人達と対話が出来るというのか。「一丈のほりを・こへぬもの 十丈・二十丈のほりを・こふべきか」と仰せの通りである。協調など出来るはずもない。これのどこが『開かれた組織』なのだろうか。

組織の打ち出しに疑問を持ち、反対意見を挙げる人を片っ端から反乱分子(『反創価学会』)とみなし排除していく。このような実態を見ると、かつてのキリスト教カトリックの異端審問を想起するのは私だけだろうか。

本来ならば、問題意識をもって、堂々と改善提案をする人達こそ大切にすべきではないのか。そのような人達を排除していけば、従順に従うだけのイエスマンしか残らないではないか。そんな画一的な組織に何の魅力があるのだろう。



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