『気軽に語ろう』渡辺氏だが、この輩は、思い込みが激しくどうしようもない愚か者である。何の根拠もなく日興遺誡置文を偽作扱いしているのだ。

決めつけの記事
「私はこの二十六箇条の置文が日興の著作だとは考えていません。基本的にこれらは北山本門寺等の日興門流に伝わってきた寺内文書である」
と言い切っているが、

「日興遺誡置文が日興上人の著述では無い」と主張したいのならば、
では「いつ(正確な日付)」・「誰が」・「何のため」に作ったのか、
その証明をしなければならない。

(*これは彼自身が日頃から主張している『必要条件』なのだ
「もしそうだとしたら、一体、誰が何の目的で相伝書と言われるような重要な文書に加筆」したのだろうか?
と『誰が』『何の目的で』と、血気盛んに追及しているではないか)

だが、この輩は一切、何も証明できていない。
ただ自分が思い込んでいるだけなのである。
客観的に証明できるものを一切提示していないのだ。

ロクに調べもせず、証拠も出せず、ただ思い込みの妄想の記事を垂れ流すだけ、
もはや小学生の作文レベルの文章と言う他ない。恥ずかしい輩である。
これが通用するなら、文献学者など必要なくなる。