大聖人が源信を一定評価されたことの考察をしてみる。
源信とは平安中期の天台宗の僧であり、恵心僧都と尊称で呼ばれることもある。さて、この源信は、有名な『往生要集』を著したことで知られる。あの法然が浄土門に帰入する契機となったのが、この往生要集であるとされる。

大聖人は守護国家論の中で「源信僧都は永観二年甲申の冬十一月往生要集を造り寛弘二年丙午の冬十月の比・一乗要決を作る其の中間二十余年なり権を先にし実を後にする」と仰せである。更に「慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり」と、源信の本意は、往生要集で末代の愚かな機根を整えて、『一乗要決』にて法華経の正法に導き入れようとした為と仰せである。

ちなみに一乗要決には「全く自宗他宗の偏党を捨て、専ら権智実智の深奥を探るに、遂に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得るなり。既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨みを遺さんや」「大乗は二乗、三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗は即ち第一義乗なり、誓願一仏乗なり」とあり、法華経の一乗思想が強調されている。ここに慧心の本意が何であったかを顕しており、自宗・他宗の偏った考えを捨てたならば、浄土の法門を捨てるべきだという結論である。そして一仏乗が真実の理と心得る時、専ら法華経に依るのが当然との事である。

後に、源信を厳しく糾弾しておられる箇所もある。「日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。」(撰時抄)。身は天台宗の権少僧都にありながら、43歳で往生要集3巻を作り、念仏に身を売った。念仏を薦める往生要集が、念仏無間の道へ僧侶や民衆を追いやった罪は大きい。