創価は御書を用いているが、部分的に、自分達に都合の良い解釈をしている所が散見される。特に酷い事例を具体的に挙げる。

聖教新聞。2018年6月5日付け。寸鉄にて。
「仏法は皆師より習ひ伝へ給へり」御書。偉大な広布の師のもとで進む誉れ

実は、これと全く同じ意味合いの文章が、2007年10月14日付けの寸鉄に記載されていたのである。

御聖訓『仏法は皆師より習い伝へり』。師匠の指導通りに戦い進む門下たれ。

この寸鉄の文章を読む限り、「大聖人は『仏法は皆、師匠から習い伝わっている』と仰せである。だからこそ創価の『偉大な師匠』の指導通りに戦い進みなさい。それが誉れである。」と解釈するのが普通だろう。

この文章は妙密上人御消息の一節を引用している。しかし、妙密上人御消息を丁寧に拝読してみれば、意味が全く逆であることがわかる。
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この前段で、諸宗の元祖達が法華経を根本第一として読んでいない為に、『法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す』と厳しく断じておられる。しかし諸宗の弟子達は「我が師は法華経の心を得給へり」と思い込んでいる。そして、これらの誤った諸宗の弘教した仏法(他人の弘めさせ給ふ仏法)は皆師匠より習ひ伝へ給わったものであると仰せなのである。

一方、大聖人は、仏の御心が御身に入ったからこそ法華経の教え通りに題目を唱え、人にも勧めておられ、曲がった心が無い。聖人というのは、師匠がなくても自ら悟った人をいうのである。仏典には「我が修行には師匠の助けがない」と説かれており、天台大師と伝教大師がこれに該当し、当然ながら、日蓮大聖人も聖人に該当する。
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このような大意である。

あろうことか、大聖人の御見解と正反対の解釈をしているのだ。御書の一節を引用して、自分達の組織に都合良く解釈して、自分たちの正当性を主張する為に利用している。余りにも酷いと言わざるを得ない。これが創価の『切文教学』なのである。

創価の会員の方々には、御書の部分的な『切文教学』を学ぶのでは無く、御書全体を丁寧に拝読することを切に願う。いい加減な解釈をすれば、大聖人の御意思と全く正反対の解釈をしてしまう危険性がある。



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