かつて、対談『法華経の智慧』の中で、池田名誉会長と教学部は、
「核心となる思想は釈尊の直説だが、今の表現形態は、編纂当時の時代状況を反映してるとは考えられないでしょうか。」

「核心となる釈尊直説の思想が、編纂当時の時代状況、思想状況に応じて、ひとつの形をとったと考えられます。」

「釈尊の入滅から数百年経過していたとしても、大乗経典が、釈尊とは全く無関係の勝手な創作であるとは言い切れない。文字としてまとめられたのは後年であっても、その間に、釈尊の言説が口承として伝えられていたことは充分に考えられます。」

「インドには、大切な教えは文字に書きとどめるのではなく、暗唱し、心にとどめておく習慣があったようだ。」「それにしても法華経編纂者の編集能力は素晴らしい。文字や暗唱で伝えられてきた仏説の中から、釈尊の思想の核心を選び取り、見事に蘇らせている。編纂者の中に、釈尊の悟りに肉薄し、つかみとった俊逸がいて、見事にリーダーシップを発揮したとしか思えません。」

という見解を示していた。

この点に関しては、私も同じ見解だ。

『大乗非仏説』を主張する連中は、「法華経には釈尊の直説は含まれていない」と言い放っているが、愚かな思い上がりだという他ない。このような連中は、インドの口承による伝統を軽視してるのである。


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