ドストエフスキー『悪霊』の中で登場する、無神論者達の精神的支柱のような人物は、死の間際に神への信仰に目覚める。

「僕にとって神が欠かせない存在であるのは、それが永遠に愛する事のできる唯一の存在であるからなのです・・・」

「おお、僕はぜひとも、もう一度生きたい!」彼は異常なエネルギーの高まりと共に叫んだ。
「人生の一刻一刻、一刹那、一刹那が人間にとって至福の時でなければならないのです。必ず必ずそうならなければいけない!そのようにすることが個々人の義務なのです。これは人間の掟です———目にこそ見えないが、厳として存在する掟なのです・・・」

「人間にとっては、自分一個の幸福よりも、この世界のどこかに万人万物の為の完成された静かな幸福が存在することを知り、各一瞬ごとにそれを信じることのほうが、遥かに必要なことなのです。・・・人間存在の全法則は、人間が常に限りもなく偉大なものの前にひれ伏すことが出来たという一事に尽きます。もし人間から限りもなく偉大なものを奪い去るなら、人間は生きることをやめ、絶望のあまり死んでしまうでしょう。無限にして永遠なるものは、人間にとって、彼らが今その上に住んでいるこの小さな惑星と同様に、欠かすべからざるものなのです。」


一般論として、神からの解放を宣言した無神論は、つまるところは、良心からの解放を宣言したことになり、「神が居ない以上、何をやってもよいのだ!」ということになる。『無制限の自由』、つまり、神と道徳からの自由は、必然的に『無制限の専制』に行き着く。


(以下、随時追記)


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