最近は宮沢賢治に関して再び考察を続けている。

賢治が熱心な日蓮仏法の信徒であったことは有名である。(この記事では国柱会という組織への評価は置いておく)

銀河鉄道の夜の、ジョバンニが持っていた切符、緑色の紙は、やはり御本尊の事を表現しているのだろう。作中では「それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので黙って見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がする」と表現されている。『此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり』(日女御前御返事)を想起させる。この切符のみが「こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける」のである。友人を自分の命を投げうって救ったカンパネルラですら、持っていたのは小さな鼠色の切符であった。彼は途中で下車(消滅)してしまう。

(以下、随時追記)

有名な、彼の手帳の内容だが、手書きで文字曼荼羅を綴っている。しかも南無妙法蓮華経と釈迦・多宝・地涌の菩薩だけ。随分とシンプルな曼荼羅を書いたものだ。

彼は不軽菩薩を理想としていた。『雨にも負けず』は不軽菩薩の行い・精神そのものである。法華経の本質を感じ取ったのだろう。大聖人も不軽菩薩を重要視された。しかし、仏教一般的には不軽菩薩はそれほど注目されていなかった。

最愛の妹トシが死んだあと、彼は北海道を経由してサハリン(樺太)まで至る一人旅を敢行した。妹の魂が北に行くと信じ込んでいたようだ。このようなものは法華経・日蓮仏法には説かれていない。では国柱会の教義だろうか、或いは賢治独自の信仰感だろうか。



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