大聖人は不軽菩薩を特に重要視されていた。諸御書を見れば明らかである。

「日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に軽毀する人は頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん」(聖人知三世事)

「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し」(寺泊御書)

「今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり、得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。」(教行証御書)と、得道の時節は像法と末法と異なるが、下種益での成仏の原理に於いては同じであると仰せである。

不軽菩薩が勧請されない理由は?

これほど重要視されていた不軽菩薩が、なぜ御本尊に不軽菩薩が勧請されていないのだろうか。不思議といえば不思議である。

菩薩の代表として、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・普賢菩薩・薬王菩薩が描かれている。龍樹菩薩や天親菩薩もいる。人師は天台大師・妙楽大師・伝教大師もいる。

不軽菩薩は虚空会の会座には直接登場せずに、説かれた時代(威音王仏の滅後の像法の時)が違うからであろうか。しかし、天台大師・妙楽大師・伝教大師も虚空会の会座には居なかったと指摘すればそうなのだが。ちなみに天照大神も八幡大菩薩も法華経説法の場に直接の記述はない。

過去世かどうか

不軽菩薩は釈尊の前身(過去世)であることが説かれている。ただし大聖人は、前身かどうかの観点から座配されたかどうか判断がつきかねる。

天台大師は薬王菩薩の生まれ変わりと御認識されておられる。しかし人師としての役割で勧請されてるかと思われる。つまり、天台大師と(過去世の)薬王菩薩が同時に勧請されていることになる。であるならば、不軽菩薩もまた、菩薩の生命の役割として、菩薩衆に列座されていても何ら不思議ではないと思われる。



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