聖教新聞の内容についての批評はこの際、置いておくとする。
この記事では「本当に会員の人達のことを第一と考えてるか」どうかを考察してみたい。
いつまで『無冠の友』配達員に頼るのだろうか。

過酷な配達環境

配達作業で一番厳しい環境が、冬の北陸・東北・北海道の朝の配達だろう。創価バリ活ブロガーの記事(しばれた朝 記録的冷え込み 嵐の後の悪路面 最悪のコンディション 雪深い中の配達)を見れば一目瞭然である。これほど過酷な環境なのだ。

配達担当の会員は『プロ』ではない。いつ事故が起こってもおかしくない。大雪・氷点下の気温・凍てつく寒さ。視界不良。路面悪路状況。自転車・バイクは転倒の危険が常にある。大怪我につながる。屋内と外気温との寒暖差が激しく、50代以上の方は特に、血圧急上昇による脳や心臓血管への影響が心配だ。車で行く場合、ガソリン代金等々は自腹である。配達で得る僅かな報酬もガソリン代で飛んでしまう。下手すればマイナスの場合もある。事故に遭遇する危険性もある、逆に自らが事故を起こすリスクもある。

梅雨の時期、台風が接近中の日。雨による視界不良。若者なら良いが、50代以降は心配である。現実に50代より上の配達員は大勢いる。

突然の緊急治療を要する体調不良や事故が起こったらどうするのだろうか。

会員の負担ありきの配達体制

配達員の負担を無くす根本的な解決策はあるのだ。既にネット版があるのだから、それに全面的に切り替えれば良いだけである。やろうと思えば即座に出来ることだ。本当に会員第一であれば即座にやっているだろう。それが出来ないのならば、せめて配達はプロの業者に委託すべきだろう。それすらせずに長年会員に配達の負担を強いている。これのどこが会員の一人一人を大事にしている組織なのだろうか。大いに疑問である。

『無冠の友に感謝』『先生のお手紙を地区の皆さんに配達する』『妙の照覧』だの。綺麗な言葉で会員を都合よく酷使する創価組織。『無冠の友』の純粋な信仰心から来る献身を利用してると言う他ない。人間主義を掲げ、生命の尊厳を訴える教団の機関誌が、その会員の犠牲の上に成り立っている構造なのである。

配達は労働ではなく奉仕作業扱い

詳しく言えば、配達員は「労使関係」ではない。配達業務は労働ではなく奉仕作業扱いなのである。労災に加入しているのではない。法律上でも配達作業は労働とはみなされない、『宗教的奉仕作業』とみなされる。労働基準法や最低賃金法等の労働者保護の法律は一切適用されず、仮に、不慮の事故に遭遇しても公的な労災補償などは一切ない。逆に、もしも配達中に視界不良や悪路面の為に自分が事故を起こせば、当然ながら本人が加害者としての責務を負うことになる。(販売店が加入している民間のボランティア保険のようなものが該当するようだが、いずれにせよ手厚い労災保険には遠く及ばない)

或いは代配の場合はどうなのだろうか。民間の保険にすら加入対象とは思えないのだが。

仮に、事故や体調異変が起こっても『自己責任』で創価組織は一切責任を取らない。(確かに、直接の雇用契約を結んでるわけでもない。法律上は責任を取る必要はない)。

手厚い待遇の社員・本部職員

一方、聖教新聞の社員や本部職員は当然ながら労使関係である。勤務中や移動中に何か事故があっても労災が適用されるのは言うまでもない。

創価と言う組織が、本当に大切にしているのはどういう人達なのか。一般会員の方々はよくよく考えて欲しい。本当に会員の一人一人が大事ならば、配達員と直接雇用契約を結ぶハズである。

新人間革命終了後の体制は

ネットの噂では「現在連載中の新・人間革命が終了すれば日刊体制も変わるのではないか」という憶測が飛び交ってるが、果たしてどうなのだろうか。仮にそうなっても『無冠の友』配達員の負担で成り立ってる現状は変わらない。(負担の度合いは幾分かマシになるだろうが)


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