忍性良寛とは、大聖人と同時代の真言律宗の僧侶である。鎌倉の極楽寺に居を構えたので極楽寺良寛とも呼ばれていた。さて、この良寛は世間的には『非人』と呼ばれる人達に対して、救済の慈善事業を大々的に行った人物として知られている。まるで生き仏のように思われていた。果たして、その実態はどうだったのだろうか。

この非人救済事業の実態は、非人たちを、供養を募る為の儀式を行う時のみ『文殊師利菩薩の化身』として祀り上げるが、儀式が終われば、日常では宿業が深い罪人として扱い、港湾や、道路や、橋や、各種の建築事業へ、過酷な労役に駆使したという。非人救済という表向きの慈善事業を評価して、こんなものを民衆救済だと持ち上げているのだ。

これらの事業は、そもそも本来は鎌倉幕府が自ら実施すべき公共事業であった。しかし幕府・御家人にその余裕が無くなっていた為、良寛のような勢力が取り入る隙があった。幕府中枢権力と癒着し巨大利権を確保していたのだ。

この良観には、仏法に関する代表的な著作が一つもなく、仏教僧としての実力は皆無という他ない。ただ小乗の戒律を説いていたに過ぎない。

「今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。」(聖愚問答抄)と仰せのように、

およそ仏教僧ともあろう者が、利銭・借請を生業としていたのだ。高利貸しなどをして財産を蓄えていたのである。非人を使って橋を架け道路整備をしても、そこから主要な七街道の関所からの通行料を取るので旅人に大きな迷惑をかけ、飯嶋の津(鎌倉・材木座海岸の東南部の港)や六浦(三浦半島の東岸の港)の通行料を取っていて人々の大いなる嘆きだったのである。このように幕府から与えられた通行料の徴収権で莫大な利益を得ていたのである。

あろうことか(そのような慈善事業を行わなかった為に)日蓮批判をする輩がいる。本質を全く見ていない浅はかな連中である。

本当の民衆救済・一切衆生の救済とは何かを深く考える必要がある。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村