大聖人の法華経講義とは、どのような内容だったのだろうか。 御義口伝や御講聞書を拝読する上で原点の講義である。

「一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ」(忘持経書)
「今年一百余人の人を山中に養いて、十二時の法華経を読ましめ談義して候ぞ」(曽谷殿御返事)

ここで『談義』と仰せのように、大聖人からの一方的な講義ではなく、参加した門弟達の見解を論じ合うような形式であったと考えられる。

「まかる・まかる昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば」(松野殿女房御返事)

大聖人が自ら経文に注を書き込まれた『注法華経』を基に講義されたとのことである。この注法華経こそ大聖人の思想の奥底に触れ、それを窺い知る貴重な文献である。大聖人のご遺言である宗祖御遷化記録には「経は私集最要文注法華経と名づく同じ墓所の寺に篭め置き、六人香花当番の時之を被見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云云。」と日興上人が記録されておられる。大聖人自らが、注法華経を身延の墓寺に安置して、給仕の門弟達が常に披いて見るように直接指示されておられるのだ。これは極めて重要である。


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