創価は、草創期の戸田会長の時代から大御本尊が信仰の根幹であった。
「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。(中略)私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。」
(『戸田城聖全集』第四巻)
それは池田名誉会長の時代も変わらず受け継がれていった。

2005年発行(第五刷)の対談『御書の世界』の中で、池田名誉会長は、大聖人の出世の本懐が大御本尊であると明言している。対談相手の教学部長も同様の認識の発言をしている。そして、広宣流布実現への固い信心が無ければ『大御本尊の偉大なる功徳』が現れない事を強調している。この時点では創価組織も池田名誉会長も、間違いなく出世の本懐は大御本尊であることを公的に表明していたのだ。(参考までに『蓮の落胤』氏のブログに同様の指摘が挙げられている。)

会則でも以下のように明記されていた。
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。」(2002年改正)
創価サイドの主張からすれば、この時点で宗門と決別をしてるので、大石寺は、既に『大謗法の地』になっているはずである。しかし2005年時点では『受持の対象』であることを維持していたのだ。

突然の会則変更

それから9年後の2014年に、突然に会則変更を行った。その中で大御本尊に関する根幹の変更があったのだ。それに関して原田会長はこのように説明した
「したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
更に、大聖人の出世の本懐から大御本尊の存在を削除している。

この2014年の突然の会則変更で、それまでの創価教学の根幹ともいうべき大御本尊を『受持の対象としない』とし、大聖人の出世の本懐から大御本尊を削除するとは、驚愕である。

「受持の対象」を維持し続ける

しかし、よくよく考えてみると、宗門に破門されたのは1991年である。創価の主張だと、その時点で『大謗法の地』になっているのだから、その時点で出世の本懐と大御本尊への受持を外さねば筋が通らない。だが、この時点では受持の対象から外すどころか「大御本尊を宗門から取り戻す!」と息巻いていたのだ。

池田名誉会長のスピーチでも明言されている。
『もとより、大聖人の仏法に、聖職者と信徒の差別などない。あらゆる人々が、皆、大御本尊のもとに平等である。もしも、現在の宗門のように民衆の殿堂を私物化し、"差別の殿堂"にしてしまうのならば、それは大聖人の御心に背くことになる。ゆえに私は、この時、正本堂の意義を明快に語っておいた。 どこまでも「人間のための宗教」である。そして「民衆のための殿堂」である』 『「一閻浮提広宣流布」に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の「信心」こそが「一閻浮提総与の大御本尊」に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その「信心」あるかぎり、だれ人も大御本尊と私どもの間を"切る"ことなど、できるはずがない。 電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の「一念」は「法界に遍し」で全宇宙に通じていく。正本堂は、すぐそこにある。 ともあれ、ある人が言っていた。大御本尊の光が世界に広がることを妨げる者は、大聖人を破門する者ではないか、と。その報いは必然であろう』 『わが創価学会、SGIの同志の皆さまこそ、永遠に大御本尊をお守りしゆく「使命の仏使」であられる。その皆さまに、大御本尊の加護は絶対と確信していただきたい。信心とは、道理のうえに立った「確信」であり、その確信が一生成仏の因となる』
(平成3年12月8日 第四十九回本部幹部会)

一貫性がない創価の説明

このように整理してみると、創価の主張に一貫性が全く無いのがわかる。受持の対象から外したのが『大謗法の地』にあるのが理由なら、何故に1991年から2014年まで『受持の対象』を維持し続けていたのか。そして何故に2014年に突然、変更をしたのか。この矛盾を会員に丁寧に説明しなければ筋が通らないだろう。

(ちなみに正本堂の解体は1998年である。仮に、この時点をもって初めて『大謗法の地』になった認識だとしても矛盾は変わらない。)

(原田会長の説明では、大石寺が『大謗法の地』と化した主要因に、創価を破門した事が挙げられている為、やはり1991年時点とするのが妥当だろう。)


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