日蓮大聖人を『末法の仏』と信奉する教団は、宗門・創価・顕正会が存在する。顕正会の浅井氏、宗門の日顕氏・日如氏は今でも矢面に出ている。ところが池田名誉会長だけは人前から突然姿を消した。

「完全引退して第一線への影響ある活動を行わない」というのならわかるが、今でも膨大な執筆活動や、各種メッセージ、名誉称号授与への応対、提言等々を精力的に行い、創価組織・会員に大きな影響を与え続けている役割(設定)を担っているのだ。これほど矛盾に満ちた存在は他にいるまい。

人生の最晩年に入り、集大成とも言える時期に、人前から避けるように姿を消す人物ほど疑わしいものはない。今の有りの侭の姿を見せれば、作り上げてきた『偶像』の金メッキが剥がれるのを恐れているのだろうか。戸田会長は晩年・病気で体が衰弱する中でも前面に出てきた。有りの侭の姿を見せたのである。その弟子とは思えない姿であろう。

およそ指導者というものは実態が見えている方が好ましい。戸田会長は実態のある指導者であったが、池田名誉会長は実態が不明な存在に成り下がった。

『永遠の師匠』という無謬性を与えられた存在ほど恐ろしいものはない。

「池田先生の承認を頂いております。」というお墨付きがあれば、それを一般の活動家の人達が『無疑日信の信心』で受け止めれば、どのような組織活動でも肯定されてしまう。


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