かつて池田名誉会長は『新・人間革命』第13巻でこう訴えた。
彼の提案は、これまでに沖縄に何度も足を運び、その現場を見て、さまざまな人びとと対話を重ねる中で、練り上げてきたものだった。核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰であるーーそれが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一(池田名誉会長)の信念であった。」

この視点に立って最も虐げられた沖縄の平和を第一に行動するのが創価の方針だったはずだ。沖縄には米軍基地があり、これまでに地域住民の方々は悩まされてきた。住宅密集地にあり、世界で最も危険な基地とされる普天間基地。事故に常に怯えながら暮らす日々。米軍兵士が起こした事故や犯罪・トラブルに苦しめられてきた。公明党の地元組織も沖縄の住民の立場を尊重して動いてきたはずだ。

沖縄の人々が切に願う基地の県外移設

沖縄の人は基地の県外・海外移設を求めている。これまで米軍基地があるが為に様々に苦しめられてきた。また、一度戦争が起これば殺戮の前線基地としての役割を果たす。かつてベトナム戦争では沖縄の基地からはB-52爆撃機が、連日のようにベトナムへ向けて飛び立っていた事実を忘れてはならないだろう。

もしも、沖縄の地元の人達が「日本の防衛の為には米軍基地が必要なのです。中国の第一列島線への防衛ラインとして米軍基地は不可欠なのです。その為には我々の犠牲は甘受しなければなりません。」と言うのならば当該記事など書く必要もない。しかし現実には沖縄住民の大半は県外移転を切望している。

日本政府は辺野古へ移設して実質永久的な固定化を狙っている。公明も創価もこれに加担することは『核も、基地もない、平和で豊かな沖縄』という池田名誉会長の思想に反することになる。

実質的な移設容認

政府・与党の推薦候補は、今回の名護市長選では基地移設のことに一切触れない戦法に出た。『争点隠し』に徹した選挙戦だった。地元経済の拡充策を強調した。しかし、辺野古移転に反対していないということは、このまま工事を止めるつもりもないし、移設も止めれないということだろう。実質的に容認姿勢である。

従来の方針から転換

これまでは全国的には政府・自民に追従していても、沖縄創価・公明では地元の民意を汲み取り基地反対の姿勢を貫いてきたようである。しかし今回の名護市長選挙で状況が変わった。辺野古移設に容認姿勢と見られている候補を推薦したのだ。その候補を推薦しているという事実を考えなければならない。

全国組織的に推進

『蓮の落胤』氏のブログによれば、今回の名護市長選挙では何と、公明党が推薦している候補への事実上の投票依頼・支援活動推進が全国創価学会組織において通達されていたようである。ひとつの地方選挙に対して全国組織的に推進するなど信じられない。沖縄住民の純粋な民意によって決められるべき地方選挙なのに、地方の民意が全国組織によって影響される構図になってしまうのだ。

創価の「平和」は空虚な戯言

では一体、創価が言う平和とは何のことを指すのか。「沖縄は永久的に基地を我慢せよ」というのか。結局は沖縄の犠牲の上に成り立つ平和を言うのか。創価は綺麗ごとを並べ立てているが、実際やってることは『沖縄の犠牲ありき』の米軍戦力バランスの上に成り立つ軍事的均衡への賛同である。

いくら『沖縄に幸福と希望の楽土を築こう』と綺麗な言葉で飾っても、その沖縄の人達に基地を永久的に押し付けて、その弊害(米軍兵士の犯罪・事故・トラブル、それを裁く権利すらない立場、軍用機や軍用部品の落下事故リスク、等々)を地元地域の人達に押し付けて、その犠牲の上に『幸福と希望の楽土』が築けるとでもいうのだろうか。

加えて、中国の人権弾圧への傍観も考慮すれば、創価組織の言う平和など空虚な戯言としか思えないのである。

末端会員が加担してしまう構図

そして、この実態を見極められずに創価組織の並べ立てる美辞麗句を信じ込んでいる末端会員の人達。彼らは組織が応援する候補が勝つことが平和の実現に前進していることを盲目的に信じているのだ。その結果が沖縄の犠牲を永続化することであっても。自分達がそれに加担したことも気付いていない。しかし、彼らはそのような現実を見ようとしない。「この勝利で池田先生の平和の構想がまた一歩実現に近づいた」と信じているのだ。ここに『組織おすがり信仰』の根本的な問題がある。


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