創価は中国との友好を頻繁にアピールしている。

かつて旧ソ連と中国が一触即発の関係であった頃に、池田名誉会長が間に入って関係を改善させる一助になった、という美談が何度も語られてきた。

周恩来とその婦人・鄧穎超との交流も何度もアピールしてきた。

また、胡錦濤が中国共産主義青年団の第一書記であった頃からの創価との交流の美談や、池田名誉会長との対談、彼が主席になった時には聖教新聞で『理想のリーダー』かのように取り上げられた。だが、胡錦濤が中央に出世できた実績はチベットの大弾圧である。どれだけ多くのチベット人が犠牲になったか計り知れない。しかし創価はそこは一切伝えていない。聖教新聞だけしか読んでない一般会員は完全に情報操作されているのである。

一度も注意したことがない

周知のように、中国の国内ではチベット人・ウィグル人への弾圧、人権活動家に対する弾圧が絶え間なく行われている。

しかし池田名誉会長が表に出ていた時期から今に至るまで一度も中国に対して注意したことがない。近年では、劉暁波氏に対する苛烈な弾圧が有名だが、これも一切スルーしている。ノーベル平和賞受賞者が虐げられているのに、平和を標榜する団体が何の反応も示さないとは驚愕である。これでは創価が人権弾圧を黙認してると理解されるのが当然だろう。

巨悪を見て見ぬふり

かつて池田名誉会長は「傍観主義は敵である。悪を見て見ぬふりをする者は悪と同じである」と訴えた。中国によるチベット人・ウィグル人・人権活動家に対する巨悪を見て見ぬふりを繰り返している創価の姿はそっくりそのままこの言葉に当てはまらないだろうか。

間違いは指摘すべき

創価は聖教新聞等々で、池田名誉会長のスピーチ等々で、事あるごとに周恩来・鄧穎超を讃嘆し、魯迅や孫文を賛美し『社会悪と戦う民衆』『虐げられた民衆が立ち上がる姿』を強調してきた。また中国を「日本の文化の師匠の国」と持ち上げ、褒め称えてきた。賛美すること自体は別に構わない。だが、間違っていることがあれば指摘せねばならない。

名誉称号の授与の代償

池田名誉会長が中国の大学や教育機関から多くの名誉学位を授与されていることを盛んにアピールしている。しかし、この名誉称号の授与の代償として、中国の人権問題に関して一切批判が出来無い体質になってしまった。チベット弾圧や、ウィグル弾圧や、劉暁波氏などの人権活動家への弾圧に関して一切批判のメッセージが出せないようになってしまったのだ。

「一体これのどこが平和と人権を唱える宗教団体なのだろう?」と疑問に思わざるを得ない。

また、別の観点から見れば、池田名誉会長への名誉授与は膨大な数になっているが、「では果たして中国の広宣流布が進んでいるのか?」と考えた時に、実は少しも進んでいないのだ。この数十年間まったく進んでないのである。いくら池田思想が評価されても、布教には何の役にも立っていない事が証明されている。

耳の痛い忠告でも

創価が『平和と人権を標榜する団体』というのならば、中国に対して、人権問題をハッキリと注意すべきである。もしも、それで交流を打ち切られるようなら、それまでの相手だったということだ。

本当に『真の友人』ならば、耳の痛い忠告であっても間違っていることは指摘せねばならないだろう。それが友人の務めではないだろうか。


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