生命論として、「気楽に~」渡辺氏だの、運ちゃん氏だの、蓮の烙印氏だの、こういう実際に折伏も人を救う行為を一切やってない連中よりも、創価や宗門(や顕正会も含めて良いだろう)でバリ活動の人達の方がよっぽど生命は輝いているだろう。なぜなら実際に現場で折伏しているのはこの人達だけなのだから。最前線で今も仏法対話をしている人に敬礼したい。

組織から離れた連中は、例外なく『傍観者』となる。二度と折伏などしなくなる。

その典型が「気楽に~」である。渡辺氏を見れば明らかだ、あの輩は日蓮仏法を否定することに全精力をつぎ込んでいる。挙句の果てに創価ネタで遊んでいる始末である。要するに、ただの創価ウォッチャーであり、趣味で観察しているに過ぎない。

悲しいかな、これが事実なのである。

以前に創価を去った人達のその後を整理してみたが。宗門に移った人を除いて純粋に日蓮仏法への信を貫いている人は皆無と言う他ない。

運ちゃん氏など「ありのままの日蓮を探求する」などと偉そうな事を言っても、単なる『傍観者』に成り下がっただけである。創価組織を批判するのは良いが「では自らは何をしているのか」と問われたら何と答えるのか。何もせず、ただ眺めているに過ぎない。彼の姿勢はまるで上座部仏教の出家僧侶ではないか。対して創価の一般会員は大衆部に見える。

この連中の、このような姿を見ていると深く考えさせられる。僅かばかりの知識が増えたところで、それが自らの生命の養分になっているのだろうかと。そして、その生涯を終えるとき蓄えた知識など、厳粛な死の前では粉々に砕け散り微塵も役には立たないだろう。

生死一大事血脈抄に「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せのように、今臨終を迎えても恥ずかしくない信仰をしなければならない。『観念の遊戯』では意味が無い。

だからといって組織の打ち出し指令のまま盲従する『組織おすがり信仰』を賞賛する事は出来ないが。


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