無量義経が偽経でないことの続きである

まず否定派学者の主張
「翻訳者・曇摩伽陀耶舎 の伝記が不明で、翻訳された年月もその関係者の氏名も明らかでなく、その他に経典を翻訳したかどうかも不明である」
「当時海上から渡来した梵僧は皆宋斉の都金陵へ来ているのに、何故彼が広州に住まって京都まで来なかったか不審である」


『仏教経典総論』の南斉の訳経を参照すれば、翻訳者の詳細が記載されていないものもある。(国籍が不明であったり、訳経地が不詳だったり、翻訳年月や関係者が記載されてないものもある)
そして、この資料から当時は大半の経典が広州にて訳されていた事がわかる。

当時の経典の訳に携わった関係者は、仏法への信仰心が篤く、自らの名声を得ることよりも経典そのものが流布することを願っていた為に、名を残さないことは多々あることだった。現存の収録されている経典でも「訳者不明」というのはよく見られる。

(以下、少しずつ補足)



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村