近年、ゲノム編集技術が急速に進展している。CRISPR-Cas9という手法(モジュール式標的システム)が生み出されたことにより、狙った遺伝子の塩基部位を欠損させたり(ノックアウト)、入れ替え(ノックイン)させたり簡単に出来るようになった。

研究段階では、筋肉量が通常の2倍ほどある牛や魚を生み出したり、皮膚の色が全く無い動物を作り出したり。ある遺伝子を欠損させることにより特定の疾患を引き起こしたり、逆に変異部位を正常な配列に戻すことも可能になった。CRISPR-Cas9を使うと極めて正確に簡単に遺伝子操作が可能になった。

そこで問題視されてるのが人間への応用である。ヒトの受精卵に、遺伝子変異の部位をゲノム編集で改変して治療するという行為が許されるかどうかである。例えば先天的な心臓病の遺伝子疾患が判明した場合に治療すべきかどうかということである。アメリカの研究チームは既に実施した。彼らは肥大型心筋症の遺伝子変異をゲノム操作によって正常に修復し胚盤胞の段階まで成長させた。

或いは、ダウン症などの先天性の遺伝について考察してみる。体外受精でダウン症であると判明した場合、受精卵にゲノム改変を加えて治療することは許されるのだろうか。また、普通に妊娠して、産科の検査でダウン症が発覚するケースでは、将来的に胎児の段階でゲノム編集を加えて治療できる技術が確立されたとして、それを適用するのは許されることなのだろうか。「欠陥」のある遺伝的素質を排除しようとする優生の論理にならないのだろうか。先天性の遺伝疾患を『個性』と捉えるべきだろうか。

仏法では善業・悪業の内容として、外見や病気、能力、先天性の病気、貧富の生まれ、邪見の家に生まれ、などの要素が説かれるが、ゲノム編集をヒトの受精卵に適用すれば、外見や能力、病気や体質なども操作できるようになる。過去世に積み上げてきた善業・悪業の要素(の一部ではあるが)が遺伝子編集によって簡単に操作可能ということになる。

或いはそこまで深刻に捉える必要はないのだろうか。つまり、ただの病気治療という程度のものとして認識すべきなのだろうか。名医で有名な耆婆が外科手術によって患者を救ったのと同じ類と考えるべきだろうか。昔は難病で治療不可能だった病気も治療できるようになった事と同義だろうか。

今後も考察を進めていきたい。


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