「気楽に~」の渡辺氏など、思慮の足りない連中が一念三千の法理を軽んじている。

「創価学会員や大石寺信徒は、よく「十界論」を使って「あの人は修羅の命です」とか「二乗の心だなぁ」とかそんなことを言います。 私から言わせれば「たかだか10種類で人間の生命状態が弁別できるのか」ってことです。百界千如でも一念三千でも同じです。 あまり浅はかなので十界論はやめましょう。」
「十界論とは人の心には傾向性が有る事を認識させるには良い理屈と思いますが、絶対的な理論ではないと思います。またそれは一念三千についても同様かと。鎌倉時代あたりまでは良かったのかもしれまが、現代では物足りないね」
などと嘯いている

根拠もなく否定するだけの輩

ならば問いたい。現代において、一念三千以上の精緻で鋭い分析が他にあるのだろうか。もっと素晴らしい理論があるのだろうか。一心三観・三諦円融を越える分析力があるのだろうか。そんなものがあるのならば是非とも教えて欲しいものだ。

否定するだけなら誰にでも出来る。猿にでも出来る。ここまで言い切るならば、せめて『一念三千を越える精緻な分析手法』を提示してから否定をするのが最低限のマナーだろう。単なる否定したいだけの子供でもあるまい。

牧口会長は

創価の牧口会長はカントの理性批判を学んだ。当時の学べる欧米の最新哲学を徹底的に研究した。しかし、それでは全然物足りなかったのだ。やがて日蓮仏法に入り、その法理の奥深さに感銘を受け生涯を捧げたのは有名である。

人間生命への観察力は

中国の唐の時代、日本の平安・鎌倉時代の仏法哲学よりも、現代哲学の方が上だと何を根拠に言い切れるのだろうか。人類の科学分析力は向上したが、生命への観察力は向上したのだろうか。むしろ哲学のレベルは現代において著しく低下してるとしか思えないのだ。技術がこれだけ進歩しても、人間生命を洞察する力は逆に衰えてきているのではないか。

「浅はか」なのは渡辺氏

「気楽に~」の渡辺氏などは「ただ否定するだけ」の低レベルな輩である。とにかく気になったものを全部否定して「自分がそれより優れている」と思うものは一切提示しない。己で創造することもできない(渡辺哲学や渡辺教)。この輩は具体的に「己が優れていると思うもの」を一切提示しないのだ。『浅はか』なのは彼自身であるのは明白だろう。

破仏法の輩の目的は仏法を全否定することである。やれ「偽書だ!」「現代には通用しない!」とオウムのように連呼するだけである。こんな輩どもに惑わされてはならない。


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