創価の活動は成果主義が顕著である。
選挙支援活動の集票目標(K・F・Z)・聖教新聞推進・新聞の配達・各種チケット推進・本部幹部会チケット参加目標・会合の集票目標・本尊配布目標・書籍推進・各種集金・財務の推進 etc、枚挙に暇が無い。ありとあらゆる活動にノルマ報告がつきまとってくる。生命保険の営業担当も真っ青になるノルマの嵐である。

目標設定はあくまで補助

目標を持つこと自体は悪い事ではない。法華経の化城諭品第七でも目標の大切さが説かれている。しかし活動の全てにノルマを課す方針はいかがなものだろうか。目標設定はあくまでも方便なのである。補助的な要素なのだ。化城諭品で説かれているのは『仮の城』なのである。自分自身と周囲の人達を幸福にするのが本当の目的なのだ。その為に目標を設定して成長を促すのだ。だが、今の創価の成果ノルマ主義を見ていると、これでは本質を見失い人材を潰してしまう。

成果主義が顕著な婦人部

特に婦人部が顕著である。まるで仕事のように熱心に履行しようとする。成果が給料に反映されるワケでもないのに、なぜそこまで必死になるのだろうか。婦人部の方々を見ていると、目の前の数字の事で頭が一杯なのだ。それをどうやりくりするかで頭が一杯なのだ。自分の担当の目標部数に届くか届かないか、無理そうならば自分が聖教新聞をもう一部購読する人までいる。そうやって何とか報告できる数字までもっていく。そのやりくりで日々の時間と精神を消耗させてしまっている。自分の活動を客観視する余裕もない。これが主たる活動内容なのである。

「組織依存」を教え込まされる

一体これのどこが信仰活動なのだろうか。これが広宣流布に直結すると主張しているのだ。一体どこでこんなものが信仰活動だと教え込まれたのだろうか。

入信した頃はこんなノルマに追われる日々など想像できただろうか。入会した理由は、座談会の和気藹々とした光景や、折伏相手の人柄の良さに惹かれたのではなかったのか。それらに自分の(人生の未来)希望を見出したのではなかったのか。

ところが、役職を与えられると、自分に責任が発生してくる。組織側の人間に組み込まれると、やがて意識が変わる。いつしか目標数値を達成することが活動の主目的にすり替わって来る。

組織活動の為に家庭を犠牲に

本来は家族の為に使う時間を放棄して、ノルマ達成する為に駆けずり回り、頻繁な事務連絡に追われる。これのどこが『一家和楽』につながるのだろうか。一体何が得られるというのか。

このような活動は、大聖人の仏法の本質を見失っている事にどうか気付いて欲しい。

勿論、御書学や折伏・仏法対話などの活動も行っていることは承知している。その上で、成果主義のウェイトが余りにも過大なのである。そのせいで本来の御書研鑽の時間と気力が奪われてしまっている。これでは本末転倒である。この誤りを指摘せざるを得ないのだ。


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