創価の役職はあくまで組織上の方便であり、そこに上下関係など存在しない。あくまで平等である。役職を担うことによって信心が深まり、使命の自覚も進む。自分を磨き、人間革命し、大きく進歩・成長していく。創価はこのような説明をするのだが、実際はどうなのだろうか。

「信濃町本部から来られた方は、先生に近い方だから。信心も凄いのよ」
「あの人は男子部の頃に県幹部まで上り詰めた人だから、信心も深いし、見識も豊富ですよ」
「あの人は部長止まりだった。何かが足りなかった。」
「あなたは女子部の役職経験者あがりなんだから期待してるのよ。婦人部の一世の人は信心が甘いのよ」
「先生の名代として、副会長をお迎えすることが出来ました。大勝利できました。」

このように会員の中には、確かにヒエラルキー意識が存在するのだ。

不軽菩薩の実践を説き、人間革命等々でも、常に人の振る舞いが大事だと教え、他者に仏性があると認め尊重する、そのような指導を常々受けているのに、階級意識の発言や振る舞いをしてしまう。

或いは相手の気持ちを考えずに発言してしまう。子供が出来ずに悩んでる方に「早く福子を産んで、広宣流布に先生に貢献しましょう。」と言ったり。或いは、強引に役職につけようとしたり、断ろうとすると「それでは福運が積めない。あなたの子供や家族に悪い影響が出て欲しくないから」と言ったり。たとえ善意からの発言だとしても不軽菩薩の振る舞いでは無い。

何故このような事が起こるのだろうか。どこに問題点があるのだろうか。中央集権的な組織形態がこのような階級意識を作り出してしまうのだろうか。考察を続けていきたい。

(まだ自分の感じた「違和感」を文章化しきれてない)


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