創価は『桜梅桃李の譬え』を持ち出して、会員の個性を大切にして、何でも意見が言えて自由闊達な議論が出来て、会員が自発的に動く組織のように説明しているが、果たして実際はどうなのだろうか。

創価の指導でよくみかける光景なのだが、御書の「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(高橋殿御返事)を引用して、「今いる場所で勝て、あなたの今いる場所から広宣流布は拡大していく」と自分の地域で精一杯頑張るように指導する。それを聞いた末端会員の方々は、自分の担当地域で結果を出そうと奮起するのだ。組織の打ち出し目標を遵守しようと粉骨砕身する。何とか結果を出そうと必死に祈り、知恵を使って工夫する。自分が主体者としての自覚と責任を持って行動しているのだ。

しかしながら、それ以上の範囲となると、県や本部組織の事などは完全に組織の上部におまかせしているのである。「私は自分の地域の会員さんを大事にする事が使命です。本部のことは池田先生に近い人達を信じている」「池田先生に近い直系の弟子の人達なのだから間違いない」殆どの末端会員がこの思考なのである。

一人一人は純粋で気のいい人達なのだが、この状態が組織化されると、本部への監視をしない、本部や上部組織への疑問も持たない、政治の監視も一切しない、『集票マシーン』となり選挙活動した後は公明に全ておまかせ、ありとあらゆる事が完全に上部組織・中央組織におまかせ状態になるのだ。自分達の活動内容が、信奉する理念に沿ったものなのか否かの検証を自分達で行わない。そうなれば打ち出しの行動を決めるのも全て本部主導の上意下達方式になる。これでは『桜梅桃李』の活動など期待できそうもない。

創価と言う組織は、末端会員が幹部に忌憚なく意見できて、それがちゃんと反映される組織ではない。実態は上意下達の活動方式なのだ。主要な活動内容の殆どが信濃町本部や上部組織から打ち出される方式である。強力な中央集権体制であり官僚的な組織なのだ。

(ただし、私は官僚組織的な運営が全て悪いと言うつもりは無い。歴史的に見れば、そのような組織形態が最適な時期もあっただろう。ただし現代においては疑問である)


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