創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

2019年02月

大詩人ユゴーは詠った
どこへいくのか、この飛空船は?
船は進む、日光の衣を身に着けて、
神聖で清らかな未来に向かって、美徳へ向かって、
輝き渡る科学へ向かって、
災いの滅びる世界へ、過ちを水に流す寛大な世界へ、
豊かさと、静けさと、笑いと、幸せな人間とが住む世界へ向かって!
船は進む、この輝かしい船は。

権利と理性と友愛とに向かって、
ごまかしも、包み隠しも決して有り得ない、
宗教的で神聖な真理に向かって、
心と心とを優しい絆で結ぶ愛に向かって、
正義と、偉大と、善と、美とへ向かって
―――お分かりだろう、あの船は本当に満天の世界へと昇っていくのだ!


この船は空の高みで、偉大な結婚を成し遂げる。
人類の魂を神に結びつけるともいえる。
計り知れない無限を見て、それに触れるのだ。
この船は空をめざして昇っていく進歩の大きな飛躍。
現実が傲然として神聖な姿で、
人を寄せ付けなかった古代の理想の中へと入っていく姿。

ああ!この船の一歩一歩は無限の世界を征服する!
この船は喜び、この船は平和。人類はその意志の広大無辺な代行者を見つけたのだ。
神聖な簒奪者、祝福された征服者、
この船は空を進み、毎日いっそう遠く、無限の中に分け入らせる。
真の人間が始まる。暗い点のような自分の姿を。

この船は耕す、大空の深淵を。この船は作り上げる、大空に畑を。
大暴風や、冬や、旋風や、すさまじい風の音や、
嘲りの声がそれまでは雑草のようにはびこっていた空にすばらしい畑を。
この船のおかげで、万物の和合が大空で、麦束のように刈り入れられる。
船は進む、神秘な大空の畑を豊かにしながら、
雲の畑を鋤で厳かに耕しながら。

この船は人間の命を、空の畑に芽生えさせる。
神がまだこれまでに、夕日という種しか蒔かず、
夜明けという収穫しかしたことのない畑に。
船は聞く、澄みきった穏やかな空気を裂いて飛んでいくその下で、
今や主権者となった諸国の民衆が、成長しながらざわめくのを、
民衆という広大な麦の穂のざわめきを!

この上もなく素晴らしい不思議な飛行船よ!
ただ進んでいくだけでこの船は、
変えたのだ、地上の嘆きを清らかな喜びの歌に。
若返らせたのだ、衰えた数々の民族を。
打ち立てたのだ、真の秩序を。指し示したのだ、誤りのない道を。
ユゴーは重さを悪だと考えていた。原初の幸福な状態から、被造物が堕落してしまったのは過ちを犯し重さを持ったからだとしている。

人類が重さから解放されて、限りなく光の方へ上昇することこそ、人類が幸福で輝かしい未来へ達する条件である。ゆえに、重力の支配を断ち切って大空高く悠然と舞う飛空船は、ユゴーにとって人類の進歩のこの上ない象徴になる。

物質は悪を宿す。従ってその重さの為に宙に浮かぶことはない。飛空船は悪そのものである物質で出来ている。本来は上昇することのない物質が科学技術(航空技術)によって重力の支配を断ち切り、天高く上昇するのである。これは奇跡そのものであった。

飛空船は人々を世界中のあらゆる所へ運び、諸民族の間の自由な交流を活発にする。相互理解と友情が増進されていく。やがて人類が一つにまとまり、戦争の無い世界共和国が誕生するというのがユゴーの考えであった。

ユゴーは20世紀に理想郷を描いていたのだろう。ところが現実の20世紀は戦争の世紀であった。航空機の技術は戦闘機による空中戦へと展開されていった。空からの爆弾の投下。極めつけは原爆の投下によって地上に地獄絵図を作り出してしまった。前世紀よりも遥かに多くの犠牲者を生み出してしまった。もしもユゴーがこの結果を知れば驚愕するだろう。


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『御本尊七箇相承』は日興上人の言葉とされている。師匠である大聖人から御本尊について教わったことを後世に代々伝える為に、七箇相承という形で残されたということである。

では日興上人は御本尊七箇相承の通りに書写されたのだろうか。それは当然だろう。まさか御本人がこの形式を守らないはずがない。

ところが、気になる書写本尊が幾つか散見されるのだ。実際に見ていきたい。

南無妙法蓮華経の下に『日蓮聖人』

以下は、山梨正法寺に格蔵されている日興上人書写の正応年間、御本尊の座配である。
正法寺格蔵の日興曼荼羅の座配
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」
と記述されている。「『日蓮在御判』と嫡々代々と書きなさい」と大聖人が「深秘なり」と仰せなのだ。

ところが、この日興上人書写の御本尊では、南無妙法蓮華経の下に『日蓮聖人』となっているではないか。これはどうしたことだろうか。何とこの他にも日蓮聖人と書かれた御本尊が2体ある(讃岐本門寺に格蔵の正応3年10月18日、宮城上行寺に格蔵の正応5年10月13日)


「仏滅度後二千二百三十余年」の讃文が無い

以下は、新潟世尊寺に格蔵されている日興上人書写の正和三年二月十三日、御本尊の座配である。
新潟世尊寺
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
と記述されている。師(=大聖人のこと)曰く、もしもこの讃文を略すことがあれば「大僻見不相伝の至極なり」とまで厳しく訓戒されているのだ。

ところが、この日興上人書写の御本尊では、この「仏滅度後二千二百三十余年の間~」という讃文が略されているのだ。これは一体どういうことなのだろうか。あろうことか日興上人が「大僻見不相伝の至極」の行いをしているのである。

讃文に関しては、この他にも『仏滅度後』ではなく『仏滅後』や『如来滅後』と書いた本尊も散見される。


「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が無い

以下は、宮城上行寺に格蔵されている日興上人書写の弘安十年十月十三日、御本尊の座配である。
宮城上行寺
(興風談所「日興上人御本尊集」より)

御本尊七箇相承には
「上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか」
と記述されている。

ところが、この日興上人書写の御本尊で、両肩の部分には「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章がどこにも存在しない。「経中の明文等心に任す可きか」の御指南に反しているではないか。


御本尊七箇相承は果たして

日興上人は、大聖人の教えを誰よりも厳格に貫かれた方である。もしも大聖人が御本尊書写に関して『御本尊七箇相承』のようなルールを作られていたのならば、それを一つも漏れずに全ての御本尊書写に於いて厳守されたはずである。

だが実際にはそうされていないことから、日興上人の時代には御本尊七箇相承のようなルールは存在しなかったと判断すべきだ。つまり日興上人の言葉でも何でもない後世に創作された相伝書であろう。

宗門の歴代法主は、全てが戒壇本尊というただ一つの本尊を、その戒壇本尊の相貌を書写したとされている。そして、法主が書写する際の指南書ともいうべき重書が『御本尊七箇相承』である。この書には御本尊を書写する際の七箇の要点が示されている。

ところが、この御本尊七箇相承の通りの相貌になってない本尊がある。何と根本である戒壇本尊なのだ。

以下の画像は弘安2年戒壇本尊の座配である
弘安2年戒壇本尊の座配
(柳澤宏道『石山本尊の研究』から)


「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が無い

御本尊七箇相承には
「上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか」
と記述されている。

だが、根本である戒壇本尊には両肩の部分には「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」という文章がどこにも存在しない。「経中の明文等心に任す可きか」の御指南に反しているではないか。


「仏滅度後二千二百三十余年」の讃文

御本尊七箇相承には
「師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
と記述されている。

ところが、根本であるはずの戒壇本尊を見ると「仏滅後二千二百二十余年」となっているではないか。この十年の差異は何なのだ。


どちらが間違っているのか

これらの相違は一体どういうことなのだろうか。

御本尊七箇相承の記載が間違っているのだろうか。それとも戒壇本尊が間違っているのだろうか。しかし戒壇本尊は大聖人の御真筆を有りの侭に模刻したという伝承だったはずだ。

私もかつては幾度も大石寺に登山をして、戒壇本尊に御祈念してきただけに、このような事実を知りショックは大きい。一人の信仰者として真実を求めていきたい。




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これまでに幾度となく指摘してきたが、会則変更以降の創価の教義は矛盾が酷過ぎる。まさに自語相違そのものだ。このまま曖昧な状態を続けるのは会員の人達に対して失礼ではないか。やはり矛盾の部分を訂正すべきだろう。

創価の取るべき道は、以下の二つの内どちらかだろう

「永遠の師匠」の指導が誤りとする

常に大御本尊を根本にしてきた教義が間違いであったと認める。それは、創価が今まで行ってきた過去の『永遠の師匠』の指導が間違っていたと認めることにもなる。
既に創価は
「御書には弘安2年の本尊が出世の本懐であるとか、この本尊を根本とせよとかの説示はない」
との見解を示しているのだから、更にもう一歩踏み込んで「今までの永遠の師匠の指導が間違っていました」と過去の指導を否定するべきだ。加えて、日寛師や宗門の書写本尊を用いることをやめ、独自の本尊を用意すれば良い。そのようにすれば矛盾は解消される。

会則変更を元に戻す

それとも「2014年の会則変更が間違っていました」と謝罪し撤回するか。従来通りの「大御本尊を受持の対象にする」ように戻す。同時に、大聖人の出世の本懐に関して、大御本尊を図顕したことを昔のように明記する。このようにすれば過去の指導・実践との矛盾は解消される。



創価がどちらを選択しても自由であるが、兎も角も矛盾のない状態にするべきだろう。会員の人達の為に




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大石寺第26世である日寛師が書写した本尊のベースは戒壇本尊とされている。
法華取要抄文段の中で
「 広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」
と書写本尊は枝流であり、戒壇本尊こそが根源であると言い切っている。

日寛師は、大石寺系で、戒壇本尊が根源であると言い出した原点の人である。その書写本尊を使用するのならば、その根源である戒壇本尊を「受持の対象にする」のが大前提であろう。

日蓮仏法は「受持即観心」の法理であるから、受持とは「信受する」「信じる対象とする」ということである。

ところが創価は2014年の会則変更で突然、戒壇本尊を「受持の対象としない」と言い出した。つまり「信受の対象にはしない」ということである。しかし、日寛師の書写本尊は今まで通り使い続けるという。

根源である戒壇本尊を信受の対象から外しておいて、その枝流である書写本尊だけを使用し続けるというのは、誰がどう見ても筋が通って無いだろう。明らかに日寛師の教学に反する行為である。




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現在、創価の一般会員が本尊として自宅に安置しているのは、日寛師書写の五界略式本尊である。

創価はこの御本尊に対して一部改竄を行った上でカラーコピーをしていると指摘されている。具体的には、左下の霞んだ文字の所を明瞭にして、左端の授与書を削除して、文字の線を太くしたり伸ばした、とのことである。どうやら現存する元の状態のまま複写するのが都合が悪かったようだ。

この五界略式本尊であるが、日寛師が書写したベースは戒壇本尊とされている。
法華取要抄文段の中で
「 広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」
と書写本尊は枝流であり、戒壇本尊こそが根源であると言い切っている。

しかし現在の創価は、この根源である戒壇本尊を「受持の対象とはしない」としている。もはや日寛師書写の御本尊に執着する必要はないと思われる。ならば、創価で独自の本尊を用意したらどうだろうか。

私自身は、大聖人の真筆の御本尊を「寸分違わずに精密複写」するのが一番良いと考えているが、創価はそのような選択をしないようだ。

それならば、池田名誉会長が自ら筆を取り御本尊を書写すれば良いではないか。そして創価の会則では、会長に『本尊認定権』があるのだから、それを創価の本尊として認定すれば良いではないか。

あの鯛焼き支部長も「正しい相貌があれば『本門の本尊』になる」と力説しているのだから。『永遠の師匠』が書写した御本尊ならば、会員達も疑う事無く深く信じる事ができるだろう。つまり『(鯛焼き流)三大秘法』が成立するわけだ。

そうなれば、宗門側から「ニセ本尊だ!」「改竄カラーコピー本尊だ!」と批判されることは無くなる。不毛な争いも無くなるではないか。




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別記事にて、その違いを指摘させて貰ったが、法主の書写こそ、大御本尊(ここでは、大聖人の御真筆をそのまま模刻したと仮定しておく)と比べれば、勧請諸尊も、讃文も、字体も、大きさも、文字の間隔も、悉く違っているではないか。余りにも大きな改変だろう。

果たして、これが『正しい相貌』と言えるのだろうか。「御本尊の相貌は仏様の姿そのもの」ではなかったのか。それをここまで改変するとはどういう了見なのだろう。大聖人の許可なく勝手に相貌を改変しているのだ。このようなことが許されるのだろうか。これが『許容範囲』とでも言うつもりだろうか。「(御法主猊下には、特別な御内証が備わっているのだから)仏様の姿でも、部分的になら改変しても構わない」とでも答えるつもりだろうか。

ただ法主の座にあるというだけで、彼等の書写本尊を有難がる信者の思考が理解できない。

しかも、その法主書写本尊をコピーして一般信徒に配布して、それを御形木本尊として自宅の仏壇に祀っているのだ。つまりは大幅改変+コピー御本尊なのである。

信徒は、この御本尊に対して本心から「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」と仰せのように、大聖人の魂が宿っていると思えるだろうか。

誤解なきように説明しておくが、私は大聖人が顕された御本尊に於いて、勧請された諸尊の座配や、脇書き、讃文、を尊重すべきと考える。それが誰の書写であったとしても。決して不敬すべきではない。



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宗門の歴代法主による書写本尊は、全てが戒壇本尊というただ一つの本尊を、その戒壇本尊の相貌を書写したとされているが、これは本当なのだろうか。

多すぎる相違点

結論から言うと、形木本尊(法主直筆の曼荼羅を印刷したもの)は、戒壇本尊(板曼荼羅)を書写したものではない。相貌が違っているのだ。

歴代の法主の書写本尊と、戒壇本尊の写真を参考に比較してみたい。

日寛師

創価が用いている本尊、日寛師が享保5年に書写した略式本尊と比べてみる。相貌が全く一致していない。勧請された諸尊が大幅に減っていたりと似ても似つかない。

日如法主

日如法主の平成18年日付の書写本尊と比べてみる。形木本尊に記されている「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」といった文言が戒壇本尊には記されていないし、形木本尊の讃文は「仏滅後二千二百三十余年」であるのに対し、戒壇本尊では「二千二百二十余年」となっている。 その他、勧請の諸尊の相違も指摘できる。たとえば、戒壇本尊では「釈提桓因大王」と記されているが、形木本尊では「帝釈天王」となっている。

日達法主

日達法主の昭和41年日付の書写本尊と比べてみると、やはり帝釈と書かれている。讃文も違う。福過十号と頭破七分がある。更に、妙楽・龍樹が勧請されていない。

日顕法主

日顕法主の昭和54年日付の書写本尊(導師本尊)には、天照大神・八幡大菩薩の代わりに閻魔法皇・五道冥官が勧請されている。これは戒壇本尊にも、大聖人直筆本尊にも一度も勧請されたことがない。何という大胆不敵なアレンジであろうか。

なお彼の書写本尊は、ある年代日付では釈提桓因大王と記されているが、別の年代日付では帝釈天王となっていたり、妙楽・龍樹が勧請されていたり、いなかったりと書写の年代日付ごとに相貌が違っている。同じ戒壇本尊を書写してるという設定なのに、一人の法主が、書写する度に相貌が変わっているのだ。


このように、幾つか挙げてみたが他にも枚挙に遑がない。これらの矛盾は一体どういうことなのだろうか。


苦しい言い訳

宗門ではこれを「万年の流通においては、一器の水を一器に移す如く、唯授一人の血脈相伝においてのみ本尊の深義が相伝されるのである。したがって、文永・建治・弘安も、略式・広式の如何を問わず、時の血脈の法主上人の認可せられるところ、すべては根本の大御本尊の絶待妙義に通ずる即身成仏現当二世の本尊なのである」と説明している。

「代々の御法主上人は、その相伝の権能のうえに本門戒壇の大御本尊の御内証を書写しているのです」と主張している。

要するに「血脈相伝を受けた法主が認可すれば、その書写した本尊は戒壇の大御本尊に通じる」という趣旨なのだが、何とも理解し難い説明である。

「法主は戒壇本尊を精神的に書写をしているのだから、物理的に相貌が一致していないのは問題ではない」とでもいうのだろうか。ここまで来ると、まるでトリックアートの世界である。

常識的に考えて、こんな説明で納得できる人はいないだろう。

正確に書写する気など

これらを整理してみると、彼らには戒壇本尊の相貌を、寸分違わず正確に書写しようという姿勢など微塵もないと言わざるを得ない。



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宗門の一般信徒に下付されるのはコピー御本尊である。時の法主が、このコピー御本尊に対して開眼供養することによって草木成仏が起こると主張している。この儀式をしないと魔に入られて『魔の本尊』になってしまうという。では宗門の僧侶や法華講員が主張している開眼供養・開眼の法義とは、一体どのような儀式なのだろうか。正直に言ってサッパリ想像がつかない。

「仏の心法を入れる」とは、具体的に何をするのだ。法主が、コピー御本尊に向かって、手から念力でも発するのだろうか。その瞬間にピカっと光って草木成仏が起こるというのだろうか。何故に時の法主しか出来ないという設定なのか。法主を引き継いだ瞬間に奥義を会得するのだろうか。宗門の歴史上では『稚児法主』という幼い子供法主が数名存在したが、この幼い子供が法主になった瞬間に開眼供養の奥義を会得したとでもいうのか。法主の『御内証』には、そのような神秘的な能力が備わっているというのだろうか。

しかし、ちょっと待って欲しい、大聖人は「利根と通力とにはよるべからず」と仰せである。法主しか出来ない超能力的な「法主による開眼供養」などに頼るのは明らかに違背していないだろうか。

そもそも御書には、「御本尊への開眼供養の具体的なやり方」の記述が一切ない。大御本尊に関する記述も一切ない。『唯受一人血脈』だの『法体の血脈』だの一切ない。

後世になって大石寺系が独自資料を作って、それを基に創作しているに過ぎない。それらは文献学的にも科学的にも全く証明されていない。

開眼供養は大聖人のみ

大聖人は、木絵二像開眼之事の中で「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」と仰せである。この『法華を心得たる人』とは大聖人に他ならない。大聖人が自ら顕された御本尊(つまり真筆)こそ「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」と仰せのように、開眼供養をなされたものだ。

大聖人が、御本尊の開眼供養を他人に行わせた、という御書の記述も歴史上の記録も一切ない。

法主が特別な存在へと神格化

宗門の人に尋ねたい。一体「御本尊に対する開眼供養の具体的なやり方・その資格を有する条件」が御書の何処に書いてあるのか教えて欲しいものだ。答えれるはずがない。

信徒側からすれば、法主抜きでは、開眼供養した本尊『正しい御本尊』が下付されないのだから『正しい信仰』が成立しなくなる。

そして、ここに特権が生じる。法主だけが特別な存在になってしまうのだ。無謬性を与えてしまう。

信徒達は、このような伝説を無条件に信じるから『おすがり信仰』に陥りやすくなる。『僧侶が上、信徒が下』になりやすいのだ。

創価のバリ活の人達が、創価組織そのものと、偶像化された『永遠の師匠』を妄信するのと同じ構図である。



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宗門の僧侶や法華講の人達は、創価のコピー本尊を「カラーコピー本尊だ!」「ニセ本尊だ!」と執拗に攻撃し続けている。しかし実は、正宗の一般信徒に下付される形木用御本尊もコピー御本尊なのである。具体的には、法主が御形木本尊用に書写した御本尊があり、それをコピー(印刷)したものを一般信徒に配っているのである。

法華講の一般信徒は、自分達もコピー御本尊でありながら、どうして創価のコピー御本尊を執拗に攻撃するのだろうか。傍から見ていて理解に苦しむ所である。

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