(まだまだメモ段階)

MonLinGenブログを取り上げたい。
管理人は乾河原氏(ブログ村)または『のんかつ氏』である。
創価の現役活動家・いわゆるバリ活である。プロフィール欄で紹介されているが、仕事はボイラー技士とのこと。創価での役職は書いていない。

ブログ村の登録アイコンが何とも気味が悪い。目が泳いで歯が欠けて顔が歪んでいる老人のイラストを使用している。彼の趣味だろうか。

「胸躍る仏罰」という本性

以前に「胸躍る仏罰」という記事を書いていた。以下に引用する
仏法の罰が数年程度で判り易く出てくる訳はありません。
もう少し気長に待ちましょう。
大聖人の仏法は、顕罰として即時公開処刑制度もあります。でも、普通は冥罰と言うダークサイドシステムが常識です。
つまり、知らず識らずの内に、ある日ふと気付いて初めて自覚出来る、そんな楽しい驚きを持っているものなのです。

「5年、7年、15年…。出会った時はもうの後の祭り」

人生の幸福絶頂期に起こる、素敵過ぎる破滅のアクシデント。今から楽しみですよね❤

杖術の術技上達にしても、絵の上達にしても、長い目で見ないと実感できません。
それと同じで、仏法の罰も顕れてくるのには年数というのが必要なのです。
数年やそこらで出てくるような、そんなケチな現象じゃありません。
想像も付かない様な陰惨な結果が必ず顕れます。 もう少し我慢して下さい。嬉し過ぎる出来事は、後で起こる方がいいでしょ。
多分、15年後ぐらいには、
「!………」
天が崩れてきて言葉も失う、そんな驚天動地な最高の喜悦が必ず待っています。

でも、その時になって思い違いは決してしないこと、飽くまでもその罰の原因の全ては貴方自身のものです。学会からの贈りものではありません。
創価を退会してもすぐには罰は出ないらしく長い期間を経て現罰が出るという。彼は「退転者」に仏罰が出るのを胸躍る思いで待っているのだという。それを「驚天動地な最高の喜悦」だと表現している。

この文章を読んで唖然とした。何という悪趣味な人なのだろうか。彼の人間性が余すところなく出ている。

これが日蓮仏法の信者の姿とは到底思えない。

創価ダメ出し氏とのやりとり

かつて、創価ダメ出し氏と本尊論で論争をして、完膚無きまでに論破されて逃げ帰った実績がある。彼はまともに法論すらできなかったのだ。現証のみを強調して文証や理証が一切出せなかった。教学力が皆無なのは明白である。

法論では勝てないと悟ったのだろう。潔く負けを認めれば良かったのだが、そうはしなかった。その際の言い訳というか捨て台詞が以下である。
「私はこの話し合いを、自分のブログのネタにしたいだけ、ただそれだけの事なんですから。 」
信仰者にとって一番重要な本尊論を「自分のブログのネタにしたいだけ」の為にやっていたと吐き棄てたのだ。呆れ果てた輩である。


このダメ出し氏とのやりとりを見ていると、彼の人格が全て窺い知ることができる。最初は低姿勢で「対話をお願いできないでしょうか」という口調だったが、それが3日後には、態度が豹変し、当該ブログに集まる人達をごみ溜めのように表現したのだ。
でも、よく考えてみると、ここ(=ダメ出しブログ)はある意味とても大事な場所なのかもしれません。ゴミの一時受け入れ場所としてね…。

ビルのそれぞれの地下には「汚水槽」という設備がある事をご存じですか?
非常に大事な設備です。ビルから出る糞尿、ゴミ、汚濁物をそのまま市の配水管に流さずに一度貯留させておき、それから適当に市の配水管を経由して処理場に送るという、社会的なとても大事なインフラです。でないと、ビル内が糞尿まみれになってしまいます。

そんな機能を持っているんですね。そう考えると、これだけの「糞尿連」が集まり続けていることに、とても納得出来ます。
(組織は違っていても)同じ日蓮仏法を信仰する人達に対して『糞尿連』とまで言い放っているのだ。もはや対話以前の問題である。人間性に致命的な欠陥があるとしか言いようがない。

偏った反論

特徴的なのは創価アンチのサイトに対してピンポイントで批判を行う記事が多い所である。
しかし、その内容が酷い。自分が反論しやすいような記事のみを選び出す。明らかに行き過ぎたアンチの記事のみ。例えば『池田大作朝鮮人説』等々。創価に否定的な人達でも「それはちょっと言い過ぎじゃないか」というレベルの題材である。アンチ創価の中でも極論の類に入るものばかりを探し出してくる。これを反論しても「幾ら何でもそうりゃそうでしょ」という程度である。これで創価の正義を証明できたと思い込んでるならピントがズレている。

彼は、ある退会者のブログに関して批評記事を書いていた。その人は精神的に悩んでいた、という内容が書かれてたようだ。しかし、彼曰く、ひたすら退会者に非があるとのこと。ちょっと待って欲しい。創価の厳しいノルマ活動に追い込まれて、精神的に病むほど追い込まれた可能性が高いのではないだろうか。彼はそれを一切考慮してないのだ。

ひたすら退転者に非があると攻め続ける。これが「創価組織が正しい」という「組織人間」の発想であり、いわゆる『創価脳』なのである。「教条主義」そのものである。

創価が批判されているのは、財務や、選挙支援活動、新聞推進等々の厳しいノルマ、このような活動内容なのだが、それらに対して一切答えていない。本当に反論しなければいけないのはこれらだろう。

彼はこのような所業によって「創価の正義を宣揚している」と思い込んでるらしいが、実際は逆効果になっていることを早く自覚した方が良い。



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