創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

2018年04月

もはや『気軽に~』の渡辺氏は、仏教徒でも何でもない破仏法の輩に成り下がっている事は明白であるが。またまた目を疑う行動をしていた。何と伊勢神宮に参拝に行っていたのだ。そして、その報告を自らTwitterでツイートしていた。

別に、この輩がいかなる信仰を持っても自由であるが、己のブログやTwitterで、あれほど釈迦や日蓮仏法に執着しているのに、その一方で伊勢神宮に参詣するとは呆れてものも言えない。日頃から仏法関連を学んでいるのは何の為だったのだろうか。

宗教をコロコロと取り替える

これがこの輩の正体なのである。彼は常に、創価バリ活や法華講員の人達に対して「屹立した信仰者たれ!」と『覚醒』を呼びかけていた。その渡辺氏のやってることは日本人的宗教観の『正月は初詣、葬式は仏教で、etc』と気分とシチュエーションに応じて宗教をコロコロと取り替えるスタイルなのだ。創価活動家や法華講員の人達からすれば、こんな気分や知識に応じて信仰の対象である本尊をコロコロと取り替えるような輩に言われたくないだろう。これが『屹立した信仰者』と豪語する男の正体なのである。

「独自の曼荼羅」発言は戯言

彼は、以前に「龍樹と智顗の説に依拠して独自の曼荼羅の世界観を考えている」と意味不明な事を述べていたが、まるで『自分が新しい本尊を創造する』と言わんばかりの発言だったが、ただの戯言だったと己で証明したことになる。

迷走を極める信仰心

もうおわかりのように、この輩には日蓮仏法・釈迦仏法への信仰心のカケラも残っていない。ただただ自分の都合のよい『我見解釈』で知識の遊戯をしてるに過ぎないのである。ここまで迷走した信仰の姿を見るのは痛々しい限りである。

底の浅い人生観

彼はTwitterで頻繁に、飲酒と食事とブランドの時計を投稿しているが、酒とグルメが至福の時らしいが、要するに種々の欲望を満たす事が全てなのだろう。何とも底の浅い人生観を露呈している。そうやって一生酔っぱらって終わるのだろう。


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随分前から当該ブログを訪問させて頂いていたが、非常にリアリティがあり深く考えさせられる内容だった。

退会までの経緯を丁寧に綴る

管理人は祥蘭さん。御本人はいわゆる『学会三世』と呼ばれる部類で、物心がつく前から自然に学会の環境で育ってきた。女子部時代までは、大きな不満もなくそれなりに活動をこなしてきたみたいである。

やがて結婚を機に婦人部に所属し、そこで出会ったメンバー達に強い違和感を覚え、活動や組織に対する疑問を抱くようになる。加えて二世・三世に特有の、バリ活の親との温度差・摩擦という事情にも悩む。そして非活動になり、やがては退会に至るのだが。この経緯が非常に丁寧に書かれている。創価の活動家の実態を知るには必読のブログ記事であろう。

世の中には、創価の批評記事は山ほどあるが、その多くは先入観や憶測に拠るものである。これでは実態を把握することは出来ない。それに対して当該ブログは、実体験に基づき生々しい日常の活動そのものを描き、その時々の自分の感情や相手の発言・態度が克明に記述されている。それらの記事の総量は膨大なものになる。経緯を丁寧に綴ることにより、読者は、彼女がどのような思いをしたのか理解できるようになる。

スピリチュアルに嵌る

ただ、残念なのは、創価という組織を退会した後、日蓮仏法までも捨ててしまった事である。この方は「ニュー・アース」というスピリチュアルに嵌ってしまったようである。世界最高峰の日蓮仏法から、浅薄なスピリチュアルに転がり落ちるのは悲しい限りである。


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忍性良寛とは、大聖人と同時代の真言律宗の僧侶である。鎌倉の極楽寺に居を構えたので極楽寺良寛とも呼ばれていた。さて、この良寛は世間的には『非人』と呼ばれる人達に対して、救済の慈善事業を大々的に行った人物として知られている。まるで生き仏のように思われていた。果たして、その実態はどうだったのだろうか。

この非人救済事業の実態は、非人たちを、供養を募る為の儀式を行う時のみ『文殊師利菩薩の化身』として祀り上げるが、儀式が終われば、日常では宿業が深い罪人として扱い、港湾や、道路や、橋や、各種の建築事業へ、過酷な労役に駆使したという。非人救済という表向きの慈善事業を評価して、こんなものを民衆救済だと持ち上げているのだ。

これらの事業は、そもそも本来は鎌倉幕府が自ら実施すべき公共事業であった。しかし幕府・御家人にその余裕が無くなっていた為、良寛のような勢力が取り入る隙があった。幕府中枢権力と癒着し巨大利権を確保していたのだ。

この良観には、仏法に関する代表的な著作が一つもなく、仏教僧としての実力は皆無という他ない。ただ小乗の戒律を説いていたに過ぎない。

「今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。」(聖愚問答抄)と仰せのように、

およそ仏教僧ともあろう者が、利銭・借請を生業としていたのだ。高利貸しなどをして財産を蓄えていたのである。非人を使って橋を架け道路整備をしても、そこから主要な七街道の関所からの通行料を取るので旅人に大きな迷惑をかけ、飯嶋の津(鎌倉・材木座海岸の東南部の港)や六浦(三浦半島の東岸の港)の通行料を取っていて人々の大いなる嘆きだったのである。このように幕府から与えられた通行料の徴収権で莫大な利益を得ていたのである。

あろうことか(そのような慈善事業を行わなかった為に)日蓮批判をする輩がいる。本質を全く見ていない浅はかな連中である。

本当の民衆救済・一切衆生の救済とは何かを深く考える必要がある。


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大聖人の法華経講義とは、どのような内容だったのだろうか。 御義口伝や御講聞書を拝読する上で原点の講義である。

「一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ」(忘持経書)
「今年一百余人の人を山中に養いて、十二時の法華経を読ましめ談義して候ぞ」(曽谷殿御返事)

ここで『談義』と仰せのように、大聖人からの一方的な講義ではなく、参加した門弟達の見解を論じ合うような形式であったと考えられる。

「まかる・まかる昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば」(松野殿女房御返事)

大聖人が自ら経文に注を書き込まれた『注法華経』を基に講義されたとのことである。この注法華経こそ大聖人の思想の奥底に触れ、それを窺い知る貴重な文献である。大聖人のご遺言である宗祖御遷化記録には「経は私集最要文注法華経と名づく同じ墓所の寺に篭め置き、六人香花当番の時之を被見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云云。」と日興上人が記録されておられる。大聖人自らが、注法華経を身延の墓寺に安置して、給仕の門弟達が常に披いて見るように直接指示されておられるのだ。これは極めて重要である。


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大聖人御在世の当時の仏教界に於いて、修行僧にとって天台本覚思想は一般常識的な知識とも言えよう。「先ず天台一宗に於て流流各別なりと雖も、慧心・檀那の両流を出でず候なり。慧心流の義に云く、止観の一部は本迹二門に亘るなり。」(立正観抄送状)と仰せのように、当時の中古天台が慧心・檀那の両流を中心として多くの流派に分裂し存在していたことが伺える。

なお、立正観抄は日進書写の証明により真選が確実視されている。

立正観抄の中で「目を開いて妙法を思えば随縁真如なり目を閉じて妙法を思えば不変真如なり」と随縁・不変の両真如が説かれている。

このような思想潮流の中にあって、大聖人門下達も天台教学を学んだ者は、中古天台の教学は常識であったのだろう。最蓮房や。

最蓮房あての御書には中古天台の用語を用い表現されたものが数多くある。

如説修行抄に「諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり」と仰せである。つまり開会した後には、念仏も禅も真言も全て法華経であって勝劣は無いとする。この思想こそ、まさに天台本覚思想である。大聖人は明確にそれを「予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」と否定しておられる。

(以下、少しずつ追記予定)


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(思索メモ段階)
以前に記事で書いて思索を続けているのだが、日蓮仏法・法華経は芸術の大いなる源泉である。

大白牛車御消息の中で、譬喩品の大白牛車について詳細に述べられておられる。(鳩摩羅什訳では省略されてるようだが。大聖人は梵語の原典を御覧になったようである)。この荘厳な情景を芸術で表現することは素晴らしい。既に絵画や壁画や彫刻で、様々な名作が存在している。「帝釈は諸の眷属を引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し」と音楽のことも仰せである。音楽の分野でも積極的に表現すべきだろう。

有名な柴又・帝釈天の法華経説話彫刻は見事という他ない。欅の一枚板を彫り上げた、透かし彫り技法による彫刻は今にも飛び出してきそうな大迫力である。制作責任者の加藤寅之助は一枚の写真も肖像画も残さなかったらしいが、作品に全てを捧げ法華経の心を伝えたいという使命感であろうか。制作途中で関東大震災が起こり、胴羽目10枚のうち8枚の材料を消失してしまった。彫刻に使えるほどの巨大な欅を見つけるのに日本中を駆けずり回り7・8年もの歳月を要したらしい。制作者達10人は参道周辺に住み込み境内に建てた小屋で作業を行った。この作品に懸ける執念を感じる。この原図の法華経宝塔曼荼羅図は圧巻である。

残念に感じたのは、作品の一つ、多宝塔出現の図(見宝塔品第十一)を見て、何ともこじんまりした塔に見えてしまう所である。見宝塔品第十一では「高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり」と説かれる。これは、小さく見積もっても地球の直径の3分の1にも及ぶ大きさである。彫刻上でも、もっと多宝塔のサイズを大きく描いたほうが法華経のスケールの大きさを表現できたのではないか。

日蓮仏法を基調にした芸術といえば、長谷川等伯や狩野派があげられる。また琳派もその祖師を見れば日蓮宗との関係が密接とのことである。当時の京都は、商工業に携わる町衆を中心に法華信仰が広がっており『題目の巷』と称されるほどであった。光悦流の祖である本阿弥光悦が中心となって営んだ『光悦村』はまさに法華の芸術村であった。

技術の進化により、芸術分野において、コンピューター・グラフィックスも表現の対象になった。
最新のVR・AR技術を利用すれば、法華経の壮大なる会座をよりリアルに描けるのかもしれない。霊鷲山の会座など疑似体験できるのかもしれない。
絵画や彫刻や文学では表現できない要素も可能になる。


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創価は、草創期の戸田会長の時代から大御本尊が信仰の根幹であった。
「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。(中略)私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。」
(『戸田城聖全集』第四巻)
それは池田名誉会長の時代も変わらず受け継がれていった。

2005年発行(第五刷)の対談『御書の世界』の中で、池田名誉会長は、大聖人の出世の本懐が大御本尊であると明言している。対談相手の教学部長も同様の認識の発言をしている。そして、広宣流布実現への固い信心が無ければ『大御本尊の偉大なる功徳』が現れない事を強調している。この時点では創価組織も池田名誉会長も、間違いなく出世の本懐は大御本尊であることを公的に表明していたのだ。(参考までに『蓮の落胤』氏のブログに同様の指摘が挙げられている。)

会則でも以下のように明記されていた。
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。」(2002年改正)
創価サイドの主張からすれば、この時点で宗門と決別をしてるので、大石寺は、既に『大謗法の地』になっているはずである。しかし2005年時点では『受持の対象』であることを維持していたのだ。

突然の会則変更

それから9年後の2014年に、突然に会則変更を行った。その中で大御本尊に関する根幹の変更があったのだ。それに関して原田会長はこのように説明した
「したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
更に、大聖人の出世の本懐から大御本尊の存在を削除している。

この2014年の突然の会則変更で、それまでの創価教学の根幹ともいうべき大御本尊を『受持の対象としない』とし、大聖人の出世の本懐から大御本尊を削除するとは、驚愕である。

「受持の対象」を維持し続ける

しかし、よくよく考えてみると、宗門に破門されたのは1991年である。創価の主張だと、その時点で『大謗法の地』になっているのだから、その時点で出世の本懐と大御本尊への受持を外さねば筋が通らない。だが、この時点では受持の対象から外すどころか「大御本尊を宗門から取り戻す!」と息巻いていたのだ。

池田名誉会長のスピーチでも明言されている。
『もとより、大聖人の仏法に、聖職者と信徒の差別などない。あらゆる人々が、皆、大御本尊のもとに平等である。もしも、現在の宗門のように民衆の殿堂を私物化し、"差別の殿堂"にしてしまうのならば、それは大聖人の御心に背くことになる。ゆえに私は、この時、正本堂の意義を明快に語っておいた。 どこまでも「人間のための宗教」である。そして「民衆のための殿堂」である』 『「一閻浮提広宣流布」に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の「信心」こそが「一閻浮提総与の大御本尊」に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その「信心」あるかぎり、だれ人も大御本尊と私どもの間を"切る"ことなど、できるはずがない。 電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の「一念」は「法界に遍し」で全宇宙に通じていく。正本堂は、すぐそこにある。 ともあれ、ある人が言っていた。大御本尊の光が世界に広がることを妨げる者は、大聖人を破門する者ではないか、と。その報いは必然であろう』 『わが創価学会、SGIの同志の皆さまこそ、永遠に大御本尊をお守りしゆく「使命の仏使」であられる。その皆さまに、大御本尊の加護は絶対と確信していただきたい。信心とは、道理のうえに立った「確信」であり、その確信が一生成仏の因となる』
(平成3年12月8日 第四十九回本部幹部会)

一貫性がない創価の説明

このように整理してみると、創価の主張に一貫性が全く無いのがわかる。受持の対象から外したのが『大謗法の地』にあるのが理由なら、何故に1991年から2014年まで『受持の対象』を維持し続けていたのか。そして何故に2014年に突然、変更をしたのか。この矛盾を会員に丁寧に説明しなければ筋が通らないだろう。

(ちなみに正本堂の解体は1998年である。仮に、この時点をもって初めて『大謗法の地』になった認識だとしても矛盾は変わらない。)

(原田会長の説明では、大石寺が『大謗法の地』と化した主要因に、創価を破門した事が挙げられている為、やはり1991年時点とするのが妥当だろう。)


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