創価学会と日蓮仏法と活動

雅彦と申します。元バリ活の自分が創価学会や宗門、日蓮仏法について思う事を書いていきます。長年、創価学会が唯一正しいと信じ込んできました。非活になり先入観なしに考えられるようになりました。信仰とは何か?組織とは何か?どう関わるべきか?全てを総括したいと思います。書きたいテーマが山ほどありますので、随時更新していく予定です。気になる記事があれば、お気軽にコメントして下さい、答えられる範囲で回答致します。

2017年07月

戸田会長の時代、新聞を発行した。新聞の重要性に着目して、一早く自前の機関誌を発行した点は慧眼である。その時代の情報伝達手段としては先進的であった。

池田名誉会長になって、同時中継による運営を実施した。一般会員に、リアルタイムに近い形でトップのメッセージを映像で伝えることに成功した。この方式はその時代においては先進的であった。

だが、今やネットが当たり前に普及している。この環境を有意義に活かすべきだった。例えば「池田放送チャンネル」を作って、執筆活動や作詞の模様をリアルタイムで放送するなり、あるいはリスナーからの質問にリアルタイムで応えたり、メッセージをダイレクトに伝えれば良かったのだ。そうすれば、等身大の『人間・池田大作』を伝えることが可能だったろう。

しかし、そういう試みを一切やらずに、未だに同時中継に固執し続けている。しかも目玉の池田名誉会長のスピーチさえも過去の抜粋分の使い回しで、あとは幹部の挨拶が長々と続くだけ。こんな程度の内容ならばネットで配信すれば良いだけである。使いまわし映像を見る為にわざわざ会館に出向く価値があるとは思えない。

創価はネットを有効に活用できずにいる。聖教新聞もネット記事のサイトを作っているのだが、未だに主体が紙媒体なのである。様々なしがらみがあり切り替えることが出来ずにいる。時代遅れの硬直化した組織と言わざるを得ない。そればかりか「ネットの情報を信じないように」という指導まで行われてるようである。完全に時代に逆行した集団になってしまった。

それを信じてる層は50代・60代以上の世代の方々で、テレビや新聞のみが情報源で、ネットの使い方に疎く自分で調べる習慣がついてない為に情報操作が容易なのである。

しかし、これでは若い世代の賛同は得られない。ネットから得られる情報には創価の疑問も数多く出てくる。そのような疑問に真正面から回答すべきなのに、逆にネット情報に『シャッター』をするように指導をしてるのだ。こんな姿勢では多くの賛同が得られないのは当然だろう。創価はネット時代への対応を誤ってしまった。ネット社会への変化に対応できなかった。その為に次世代への継承に失敗した。創価に明るい未来は無く、あるのは衰退のみだろう。


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弘安二年の御本尊に関して、パッチワーク説があるのは以前から熟知している。その真偽を検証し明らかにするのも必要だと思う。宗門側も積極的に調査に協力すべきだろう。その結果も公表すべきだろう。

私も大御本尊に関しては以前より調べたり考察し続けてきたが、弘安二年の御本尊と呼ばれるもの。それはあったのだろうと推察する。私は、大石寺の大御本尊に固執しているわけでは無い。

未来の信徒の為に「標準的な相貌」の御本尊

大聖人が、熱原の法難で、弟子達が自ら難を引き起こして乗り越えたのを契機に、まだ見ぬ未来の門下達の為(いわゆる一閻浮提総与)に、標準的な御本尊の相貌を御図顕されたと推察する。それが一般的に弘安二年の御本尊と呼ばれているものであろう。

強調しておきたいのは、大聖人は常に滅後のことを重視しておられた点である。御自身の滅後に、まだ見ぬ未来の門下達が仏界を湧現しやすいように(己心の荘厳なる宝塔の儀式をイメージしやすいように)御配慮されるのは最も自然と思われる。逆に、いわゆる一機一縁の御本尊だけしか御図顕されずに生涯を終えられたとする方が、不自然なのである。

仮に、現在、大石寺に安置されている大御本尊が、別人によるパッチワークだというのであれば、標準的な相貌の御本尊は別に存在するはずである。その真偽がどちらにせよ、私はそれを大聖人の出世の本懐だと思っている。それが実は日禅授与本尊だったのかも知れない。或いは万年救護本尊だったのかもしれない。或いは弘安2年以降に御図顕されたものの中に(標準式の御相貌が)複数あるのかも知れない。

象徴的な御本尊

ただし、それが特別な御利益があるとか、全ての根源の御本尊とか、そのような存在ではないだろう。宗門の人達が主張するような「大御本尊に信を取らなければ功力が得られない」などあるはずがない。

他の御真筆の御本尊も等しく仏界を湧現できるだろう。差異があるはずがない。ただ門下達がイメージしやすいかどうかの違いだろう。弘安二年の御本尊は、未来の信徒達が仏界を湧現しやすいように標準的な相貌にされたと推察できる。言うなれば象徴的な御本尊である。

例えば、四条金吾は『火の信心』と評されたが、その四条金吾の性格や仏法知識に最も合った相貌の御本尊を与えられたのだろう。


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某三人組や宿坊の掲示板で頻繁に繰り返される執行部批判。現執行部を『この一凶』と断じて諸悪の根源のように徹底批判しているが、本当にそうなのだろうか。

現在の創価を作り上げたのは池田名誉会長

2010年以降表に出なくなった池田名誉会長。その時期より前に体制を戻せばバラ色の創価になるとでも思っているらしいが、池田名誉会長が表に出ていた時期も問題は山ほどあったのだ。会員の重い負担、新聞の多部購読、無冠の友と呼ばれる新聞配達の負担、チケットや書籍の担当負担、選挙活動、財務負担、集金負担、今と何も変わらないではないか。そもそも、このように会員に重いノルマ負担を強いる創価組織を作り上げたのが池田名誉会長なのである。

公明党を結党して会員に選挙支援活動をさせたり、巨大な本部組織群を作って、その周りに外郭団体を数多く設立して、肥大化させて、その運営維持のために会員に重いノルマ負担を強いる組織を作り上げたのは他ならぬ池田名誉会長その人なのだ。

その現実に見向きもせずに池田絶対主義者達は、まるで2010年以前は創価が『理想の楽園』だったかのような主張をしているのである。頭の中がお花畑すぎて痛々しい限りである。

仮に体制が入れ替わっても

仮の話だが、このような主張をする人達が『創価の組織革命』によって創価の実権を握ったとすると、その体制はやはり同じような会員の重いノルマ負担の元に構成される組織運営になるのだ。本質的には何も変わらないのである。

彼らの思想は「池田先生の指揮時代が絶対的に正しい」「その時代は会員が幸せだった」ありきなのである。ここに根本的な間違いがあるのだ。そこを根本にするから、今の重いノルマ負担を現執行のせいにしたり、何でもかんでも現執行部が悪いことにしないと都合が悪くなるのである。その一方で少しでも池田名誉会長に関して都合の悪い情報が出てくると『シャッター』を下ろして絶対に受け入れようとしない。彼らは教条主義的な傾向が非常に強いのである。

本質的な組織改善を

美化された偶像を追い求めても虚しいだけである。池田名誉会長の実像を真摯に追及し、ありのままの『人間・池田大作』を直視して欲しい。組織改革を望むのならば末端会員の負担を減らしてあげる方向で最善を考えるべきだ。本当の意味での組織改善を目指して欲しいものである。


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(思索メモ段階、段階的に校正)
真の世界宗教は芸術分野にも浸透されなければならない。中世において花開いたルネサンス芸術はキリスト教をベースにしたものであるのは周知の通り。キリスト教が世界宗教たる証明であろう。

(仏法全体の芸術は数多くの歴史を持つ、法華経に依拠した芸術も数多い。が)

翻って日蓮仏法はどうだろうか。
宮沢賢治が日蓮仏法の信者であったことは有名である。彼は日蓮仏法を根本とした最高の文学者であることは今更言うまでもないが。

他の芸術分野ではどうだろうか。

現代社会が、軽薄で、刹那的で、衝動的で、AIが人間の性能を上回っている分野では『人間不要論』まで出てくる中、そのような思想が蔓延る今の世の中であればこそ、妙法の思想を根底とする芸術文化こそ求められてるのではないだろうか。

かつて池田名誉会長は対談『法華経の智慧』の中で、譬喩品に出てくる壮麗な大白牛車に関して「この大白牛車を描ききる妙法の画家が出て来てくれたら、私は本当に嬉しいと」言っていたが、創価からは、そのような芸術家は、未だ出てきていない。

文学・絵画・音楽・映画・ドラマ・ゲーム・エンターテイメント分野において
日蓮仏法を基調にした芸術が花開いて欲しいと願うが

熱原の三烈士達が弾圧に耐える姿などは、人間の信仰心がいかに強固であるかを描くのに最適ではないだろうか。

かつて創価は青年部の文化祭を行っていた。ダンスや合唱や組体操で信心の喜びを表現する。あれも日蓮仏法の表現手法の一つと言って良いだろう。残念ながら現在は文化祭は行われなくなったようだ。海外SGIでは文化祭は実施されているらしいが。

やれ「日顕宗が」、やれ「ニセ本尊が」、「極悪を徹底的に責めれば極善に通じる」
こんな不毛な創宗戦争でお互いに潰し合しを延々とやってるうちは
そのような芸術が花開くことはないのだろう。

教学そっちのけで、選挙活動や新聞推進ばかりに躍起にやっている人たちに
芸術の志など期待しても無駄なのだろうか。


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大聖人は「南無妙法蓮華経の良薬をば彼れ等が口には入るべき」と御自身の仏法を薬に譬えられた。間違った薬を飲んで不幸に陥り苦しんでいる衆生を救う為に人生をかけて闘争されたのだ。

現代でも、製薬の過程で、変な材料を混入すると大変な劇薬が出来てしまう。そんな毒薬を患者に用いれば被害は甚大である。また用法を間違えば患者にとって害が及ぶのも言うまでもない。大聖人も「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と用いられる教義に極めて厳格であられた。

真言を用いるべからず

大聖人の幼少の頃よりの大いなる疑問。なぜ承久の乱で主君の朝廷方が臣下の幕府方に敗れたのか。国家の興亡に関しての極めて重要な疑問である。仏門に入り、御遊学の中で諸寺院を回られて徹底的に研鑽され、ついに答えを見つけられた。それは真言の調伏祈祷が原因であると仰せである。

幕府から調伏の祈祷の依頼があった時に大聖人が何故応じられなかったのか。「殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし」「誤った真言を用いれば国が滅んでしまう、日蓮を用いよ」との御心。五老僧はこの師匠の心が理解しきれなかったのである。彼らは、残念なことに大聖人の滅後に為政者の求めに応じて調伏祈祷に参加しているのである。

根本的にこの認識が違うのである。

自分でデタラメに調合した『毒薬』

「気楽に語ろう~」の渡辺氏など「日蓮仏法の一部をつまんで、他の宗派の良い所もつまんで、他の宗教の概念も混ぜ合わせて再構築をしよう」「龍樹と智顗の説に依拠して独自の曼荼羅の世界観を考えている」などと主張してる連中がいるが、要するに、この手の輩は取るに足らぬ知識でデタラメな薬を調合してるのである。自分でデタラメに調合した『毒薬』を飲んで頭破作七分の状態になっているのだ。仏法東漸の流れに完全に逆行して、中国の天台だインドの竜樹だのを本尊に鞍替えした輩の哀れな末路がこれである。まさに法華経寿量品で説かれる「飲他毒薬。薬発悶乱。宛転于地」そのものではないだろうか。

取るに足らぬ知識の断片をこねくり回して『毒薬』(我見の教義)を作って喜んでる様は子供じみていて、見ていられない程である。一刻も早く日蓮仏法に純粋に立ち戻ることを切に願うばかりである。



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池田哲学に関して「古今東西の哲学のパッチワークだ」と批判をする人がいるが、それの何が悪いのだろうか。そもそも哲学とは過去の偉人達の遺産の積み重ねである。それを取り入れる事の何が問題なのだろうか。全くのゼロから哲学を創り出す人間など存在しない。池田哲学は日蓮仏法を核として構築されているのは間違いない。それをベースに古今東西の哲学者、過去の偉人たちの思想を取り入れてるのだろう。

池田名誉会長は、本を読めと指導された。私も青年部の頃から世界の名著を読み進めた。トルストイやドストエフスキーやユゴーやゲーテなど愛読した。読み進めながら日蓮仏法と対比して考察を続けた。その中で、人間として共通する思想を認めた。漠然とした言い方になるが、いずれの時代においても大事なもの、宗教の必要性、人間の価値、民衆こそが主役である点、等々である。

私も未来部の頃から池田名誉会長のスピーチ集や対談集を貪るように読んで育った。法華経の知恵や、世界の著名人との対談集を愛読してきた。ナポレオン対談、アタイデ対談、アイトマートフ対談、ゴルバチョフ対談、ホセ・マルティ対談、トインビー対談、購入した書籍は枚挙に暇が無いぐらいである。相手が世界の要人だろうと誰であろうと、常に民衆の生活目線で議論が展開されるのが好きだった。それと対談の中で、日蓮仏法の哲学性の高さもアピールしている点も信心の先輩として参考にしている。これらが全て池田名誉会長が直接書いたものであろうと、或いは代筆や制作チームが担当したのであろうと、内容は大いに評価できるだろう。

現在の私は非活になり、創価の現状で間違ってると思う箇所は躊躇わずに批判しているが、その批判する思考力を磨けたのは池田哲学のおかげである。推奨された文学作品や対談集や御書講義録を数多く読めば、それ相応の批評力が身につくはずである。少なくとも組織に盲目的になる人間を作るようなことはないハズなのだが。しかし、現状の創価の活動家の大半は組織の打ち出しのまま盲従している人達なのである。彼らは池田哲学をしっかりと学んでいないし理解もしてないと思われる。

ただし、現在の創価が会員向けに使ってる大白蓮華や機関誌に掲載されてる池田名誉会長の言葉は、その中で綺麗な部分のみを切り取って貼り付けてるだけである。池田哲学の端々を切り取ってデコレーションしているのである。しかも、それを組織の打ち出しを肯定化する為の材料として使っているのである。創価首脳陣にとっては、もはや池田哲学すら会員を都合よくコントロールする為の道具に過ぎないのであろう。


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御書を日々研鑽してる中で、大聖人の仏法思想でよく用いられる特徴的な表現語句が出てくる。

「松高ければ藤長く 源深ければ流れ遠し」(聖人知三世事)
「根ふかければ枝さかへ 源遠ければ流長し」(源遠長流御書)
「根ふかければ枝しげし 源遠ければ流ながし」(報恩抄)
「根露れぬれば枝かれ・源渇けば流尽くる」(弥源太入道殿御消息)
「根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず」(華果成就御書)
「源濁りぬれば流浄からず 身曲りぬれば影直からず」(一谷入道御書)
「根露るれば枝枯れ 源乾けば流竭く」(曾谷入道許御書)

大聖人はこれらの『根』・『源』という語句を使った表現を多く用いられている。それぞれの内容によって微妙にニュアンスを変えられている。この表現に大聖人の仏法思想がよく顕れていると感じる。

誤解してる人がいるといけないので説明するが、これらの語句自体は天台の「源遠流長」の表現をアレンジされてる形式になっている。だからといって天台の仏法思想では無いのである、大聖人の仏法思想を顕す表現として数多く用いられてる事を考慮しなければならない。なぜ大聖人が好んで使われたのかを深く思索すべきであろう。ちなみに章安の「取捨宜きを得て一向にすべからず」も数多く用いられてるが、御自身の仏法を語る上で先人の有名な言葉を引用されたのだろう。

大聖人は「久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし夜の露の日輪の出でざる程なるべし」と核心部分の表現に使用しておられる。

何があっても揺らぐことのない確固たる『信心の根』を固めていきたいと改めて思う。

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今の創価が信奉しているのは、実質的に、もはや大聖人の仏法よりも、ラッピングされデコレーションされた池田哲学の方ではないだろうか。人間革命に描かれる池田大作は、常に庶民側に立って末端会員の為に奔走する理想の信仰者なのである。

創価の会員が本尊としているのは曼荼羅御本尊なのか、それとも偶像化された池田大作なのか。創価の会員に聞けば「曼荼羅本尊に決まっている」と答えるだろうが、実際には、人間革命で偶像化・理想化された池田・戸田・牧口の『永遠の師匠』という偶像が本尊になっているのではないだろうか。いつの間にか本尊の中身がすり替わっていないだろうか。

偶像化された池田大作を本尊とする点においては、某三人組系の方々や、宿坊の連中も本質的には同じなのである。違いは現執行部を是とするか非とするかの認識である。

しかし、果たして、それは悪影響をもたらすのだろうか。

一般会員は、理想化された『永遠の師匠』を信心のお手本にして「池田先生のようになりたい」「池田先生のように会員を大切にしよう」「池田先生のように職場で頑張り、地域のお手本になれるように頑張ろう」「いまの状況で池田先生ならどう動くか」皆はそう考えて行動するのである。そうすることによって人格が練磨され、生命が浄化されているとすれば、悪影響どころか逆に良い影響をもたらしているといえるだろう。

一般世間でも偶像を本尊とする人は多い。例えば、アイドルの熱心なヲタが数多く存在する。彼らはアイドルという偶像を本尊としているのである。この人たちは、アイドルから元気を貰うことによって日々の生活の活力となっている。日々の生活を頑張って、そうしてアイドルに貢ぎ続けるのである。ホストに嵌ってる人も同様の傾向であろう。

或いは歴史上の偉人に憧れて生き方の手本とする人もいる。これも実像ではなく(偉人伝などの情報に基づく)偶像であろう。或いは世界的なスポーツ選手や芸術家に憧れて熱狂的なファンになる人もいる。メディアから得られる情報は限定されているので詳しい実像はわからない。その対象はやはり偶像なのである。

結局のところ、偶像を本尊とする事が悪影響をもたらすのではなく、その本尊の浅深・高低によって影響が変わって来る。というのが正確な所なのだろう。

しかし、現実の創価の活動内容が、選挙の応援、多部購読・新聞推進・新聞配達、重い財務負担、書籍負担、イベント負担、このような内容が大半では理想と現実の乖離があり過ぎる。せっかく高い理想の『永遠の師匠』像を掲げているのに残念である。


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液晶モニターやプロジェクトマッピングの映像で顕された御本尊に効果はあるのか。仏界を湧現できるのか。対鏡と考えれば当然あるだろう。草木成仏の原理から非情のそれらにも一念三千が宿る。私達の己心にこそ御本尊が存在する。「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せの通りであろう。

御真筆本尊と同じ、正しい相貌であれば、法主の書写も、紙への複写も、板本尊への模刻も、各種モニターへの透過も同じ効果をもたらすだろう。

そもそも、木版の板御本尊は大聖人は一度も御図顕されていない。後の世に大石寺系などが板本尊へ模刻したのだ。厳密に大聖人のスタイルを踏襲するなら板本尊さえも許容できなくなる。しかし、それでは宗祖の意図を汲み取れていないだろう。様々な素材を用いても宗祖の意思に反していないだろう。

御本尊が見れない状況でも

投獄された門下達は御本尊を見れない状況下にあっても仏界を湧現できたのである。

また、佐渡以前の門下達はどうだったのだろうか。御本尊がまだ御図顕されていなかった時期である。その時期でも、もちろん仏界を湧現できたのは間違いがない。

また、海外のメンバー(創価・宗門を問わず)で御本尊下付がされていないメンバーがいる。あるいは何かの事情で御本尊を拝謁できない状況にある場合も存在する。そのような人達でも仏界を湧現できなければ逆におかしいのである。

題目によって己心の仏性を

法華初心成仏抄に「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」と仰せのように、題目によって己心の仏性が呼び起こされるのである。

絵画や壁画から

また別の観点から考察してみたい。ダビンチやミケランジェロの絵画を液晶モニターで見ても感動するものである。心が動かされるものである。心が感応している状態であろう。

敦煌の壁画に法華経の『三車火宅の譬え』を描いたものがある。これも見る人の仏性を引き出す作用があるのかも知れない。莫高窟23窟南壁虚空会の壁画のように、荘厳なる虚空絵の儀式をビジュアル化した壁画が存在するが、それを見ると仏性を湧現できるのかも知れない。

文字曼荼羅がベスト

大聖人は仏性を引き出す対鏡として、文字曼荼羅がベストだと御判断されたのであろう。「梵音声の一相は 不可見無対色なれば書く可らず作る可らず」と仰せのように、仏像や絵画では『仏に備わる三十二相』の内、三十一相までは作り描くことが出来たとしても、梵音声は描く事も作る事も出来ないので、生身の仏と同じにはならない。


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長年の疑問を記事にしてみる。

陳と隋の行く末

古代中国の天台大師の時代。天台大師に帰依した王。陳の皇帝、宣帝と後主(叔宝)。南三北七の宗派を対論させて、天台が法華第一を論証し、後主も三拝し帰依している。正法に帰依しているのに、その後、陳国が滅んでいるのである。しかも陳国は天台の祖国である。

時代は進み、統一王朝・隋の時代も国主(文帝と煬帝)が天台大師に帰依しているのに国家が滅んでいるのである。日本とは比べ物にならないほどの大帝国が滅んでいるのである。

もしも天台を弾圧して正法を滅ぼしたのならば「還著於本人として亡国の結果を招いた」と理解できるが、史実は全く逆なのである。これは一体どういうことであろうか。どう捉えていけば良いのであろうか。正法を用いているのにもかかわらず大国が滅びてしまっているのである。これは非常に重要ではないだろうか。

ちなみに大聖人は『貞観政要』を常に座右に置かれ、御自身が書写された真筆が北山本門寺に現存している。また、佐渡の流刑地にあっても檀徒に対して送るように依頼されている。さて、この貞観政要の中には隋の煬帝が暴虐な君主であり、臣下の忠言を聞かず、その結果、隋の国は滅亡したと書かれてある。当然ながら大聖人も御存知だったはずだ。

義農の世・唐虞の国

日蓮仏法が隅々にまで広宣流布して、その結果が平和と繁栄の世の中になると信じている人々は多い。果たして、どのような世界になるのだろうか。『世は義農の世と成り、国は唐虞の国と為らん』『四表の静謐』との言葉はあるが。どうも、いま一つイメージが湧いて来ない。

かつて、正法が広まった時代をイメージし参考にするのが妥当だろう。具体的には、天台大師の正法の時代と伝教大師の正法の時代であろう。

平安の治世

伝教大師は、南都六宗と公場対決を遂げ、そのことごとくを帰伏せしめた。大聖人は、桓武天皇が賢王であり、伝教大師を用いたから、以降は平安の治世になったと仰せである。

確かに平安の治世は長く続いた。平安時代は、死刑制度が停止されていた。日本の歴史的に見ても、それまでにない安定した平和的な時代であった。災害・飢饉・疫病も比較的少なく安定していた。この平安時代こそ「正法を用いて平和な時代がもたらされた世界」の一つの成功のモデルとして認識して良いだろう。

その平安時代の『太平の世』の終わりの原因を、大聖人はこう仰せである。天台座主である慈覚大師・智証大師が大日経と法華経と比較して理同事勝と定めたこと。しかし、当時はまだ明確に法華経と大日経の勝劣がついていなかったが故に世もすぐには滅びなかった。「其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば世も忽にほろびず有りけるか」しかし、後の天台座主の明雲によって完全に真言が法華経より勝ってしまったのである。「天台座主明雲・伝教大師の止観院の法華経の三部を捨てて慈覚大師の総持院の大日経の三部に付き給う、天台山は名計りにて真言の山になり法華経の所領は大日経の地となる」

大聖人は、源平合戦で平家が滅んだ原因、承久の乱で天皇方が敗れ流罪に処された原因は真言の祈祷だと指摘されている。正法を用いず誤った法を用いたからである。

立正安国論では、正法を用いず邪法を用いるが故に、三災七難が起き、ついには自界叛逆難・他国侵逼難が起こると仰せである。

安易な結論を出さず研鑽を続ける

長年、天台時代の国主の末路に着眼した人は誰もいない。日蓮仏法の信者でも誰も考えたことがない。だから自分で考えるしかない。御書を丹念に読み返し、大聖人の足跡を追うことによって何か考察のヒントが得られれば良いのだが、今後も考察し続けていきたい。



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