大聖人の教団は、どこにも属さない独自の宗派を目指したのか
それとも天台の一宗派として、いわば「改革的な一派」としての存在を目指したのか。当時であれば、恵心流と檀那流が有名であるが、そのような一学派として。

どちらなのだろうか

大聖人滅後、日昭や日郎が、『天台沙門』と名乗っていることから、高僧達の間でも天台の一派であるという認識があったと推察できる。