大聖人の御入滅後、日郎師と日昭師。彼等は『天台沙門』と名乗り、幕府の要求する異国調伏の祈祷に参加した。

この二人は鎌倉を中心に教団の活動をしていた。従って、幕府からの圧力は相当なものだっただろう。幕府の弾圧を避けるための対応をしたのだった。これにより住坊の破却を免れた。

彼等を擁護するのは容易だ。「まだまだ脆弱な日蓮教団を後世に残す為に止むを得ない対応だった」等々。幾らでも理由は付けれる。

だからといって、天台沙門と名乗るのは果たしてどうか。かつて日蓮大聖人も天台沙門と名乗られたことはあったが、そこから佐渡以降は『本朝沙門』『扶桑沙門』と変化している。大聖人滅後に弟子達が天台沙門と名乗るのは逆行していないだろうか。

大聖人は常々、弟子達に「難を呼びよせよ」と叫ばれた。その御指導を忘れたのだろうか。弾圧を恐れて難を避けてどうするのだ。それが果たして大聖人の御心に適ったものであろうか。

佐渡から帰還された折に、鎌倉にて、平左衛門尉頼綱と対談された。そこで幕府側から「異国調伏の祈祷を行えば、鎌倉に僧坊を構えてやろう」との提示があったが、キッパリと断わられた。
「それにとて日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし、たすからんとをもひしたうならば日本国の念仏者と禅と律僧等が頸を切つてゆいのはまにかくべし」
「真言師にいのらする程ならば、一年半年に此のくにせめらるべしと申しきかせて候いき」
殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし
と仰せである。「真言や念仏を用いては国は救われない」。この時の大聖人の御心をよくよく思案すべきだ。真言師や念仏師の者達と一緒に、異国調伏の祈祷を行うなど断じて有り得ない行為などである。



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