リアルでも、ネットの世界でも創価と宗門の不毛な罵倒の応酬が続いているが、原因はハッキリ言って些細な事に思える。
創価側は「大御本尊を受持の対象に戻します。」と言えば済むだけの話だろう。元々歴代会長もそう言ってたのだから。宗門から破門された直後は「大御本尊様を取り戻す!」と気勢を上げてたではないか。「やっぱり検討した結果、大御本尊を受持の対象に戻します。」とすれば収まる話だろうに。そんなに宗門からの影響力を一切排除したいのだろうか。
宗門側もコピー御本尊を認めれば良いではないか。コピーとはいえ相貌は日寛師の直筆と変わらないのだから。
お互いに「阿鼻地獄に落ちる」だの、「魔の神通力」だの、「極悪と戦えば極善となる」だの、同じ日蓮仏法の信者同志で、よくもまぁここまで酷い罵詈雑言合戦ができたものだ。
組織のトップが方針を変更できないのなら、一人の信徒の立場で「創価組織はそう言ってるが、自分は内心では大御本尊を受持の対象から外してないよ。」という考えにならないものか。組織の大幹部が決めたら、それで全部従うような盲従の姿勢で良いのだろうか。過去の指導との矛盾点すら整理できないのだろうか。
解釈の仕方一つの話なのに、ここまで分断され敵対しなければならない話なのだろうか。大聖人が御覧になれば、どれほど悲しまれるだろうか。人間に生まれて逢い難い日蓮仏法に巡り合えたのに、こうして一生を終えてしまうのだろうか。
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創価側は「大御本尊を受持の対象に戻します。」と言えば済むだけの話だろう。元々歴代会長もそう言ってたのだから。宗門から破門された直後は「大御本尊様を取り戻す!」と気勢を上げてたではないか。「やっぱり検討した結果、大御本尊を受持の対象に戻します。」とすれば収まる話だろうに。そんなに宗門からの影響力を一切排除したいのだろうか。
宗門側もコピー御本尊を認めれば良いではないか。コピーとはいえ相貌は日寛師の直筆と変わらないのだから。
お互いに「阿鼻地獄に落ちる」だの、「魔の神通力」だの、「極悪と戦えば極善となる」だの、同じ日蓮仏法の信者同志で、よくもまぁここまで酷い罵詈雑言合戦ができたものだ。
組織のトップが方針を変更できないのなら、一人の信徒の立場で「創価組織はそう言ってるが、自分は内心では大御本尊を受持の対象から外してないよ。」という考えにならないものか。組織の大幹部が決めたら、それで全部従うような盲従の姿勢で良いのだろうか。過去の指導との矛盾点すら整理できないのだろうか。
解釈の仕方一つの話なのに、ここまで分断され敵対しなければならない話なのだろうか。大聖人が御覧になれば、どれほど悲しまれるだろうか。人間に生まれて逢い難い日蓮仏法に巡り合えたのに、こうして一生を終えてしまうのだろうか。
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コメント
コメント一覧 (4)
大御本尊に関しての私の見解は、以前に記事で書いておりますので、詳しくはそちらを御参照下さい。大聖人の出世の本懐に関しての考察の中で見解を述べさせて頂きました。
大石寺は真偽の調査に積極的に協力すべきだと考えます。その結果、大聖人の御本尊に対する御考えが分かってくると思われます。
>一人の信徒の立場で「創価組織はそう言ってるが、自分は内心では大御本尊を受持の対象から外してないよ。」
私は子供時に奉安殿で、何度か真近に宗門のいうところの、
戒壇の大御本尊を見ております。
大客殿になって、少し遠くなり、正本堂になりましたが、
御本尊はよく見えました。
祈りは真剣でしたね。何せ遠路遥々本山に行くという感じですから。
何のためか目的が明確です。
その上で言えば、私は本山の御本尊には何の未練もないのです。
何故かならば、今ある御本尊でたくさん功徳があるからです。
ですので、坊主どもが水戸黄門の印籠の如く戒壇の御本尊が大元だと主張しても、
で、それ誰が決めたの?って思っています。
仲良くするには、戒壇の御本尊は大聖人時代のご直筆か?楠が当時のものかどうか?
科学的検証すれば済むことですので、そういう事を日蓮正宗が出来るかどうかも大事でしょうね。
>こんばんは。週末は寒くなりそうですね。
季節の変わり目ですので、体調には充分にお気をつけて下さいね。
>戒壇の御本尊は大聖人時代のご直筆か?楠が当時のものかどうか?
>科学的検証すれば済むことですので、そういう事を日蓮正宗が出来るかどうかも大事でしょうね。
弘安二年の大御本尊に関しての私の意見は、以前に記事にさせて頂きました。当然ながら受持の対象になります。創価が主張する『受持の対象から外す』必要が全くありません。
ただし、真偽の問題をハッキリさせる事も重要でしょう。その為には宗門が調査に協力しなければなりません。そうすれば大御本尊の文字彫刻がいつの時代のものか明瞭になりますし、「日興跡条々事」に関しても、「真筆の原本がある」と主張してるのですから、それを出せば良いのです。
真偽がハッキリする事によって、大聖人の御本尊へのお考えが(書写や板本尊への模刻をどう考えておられたか等々)明らかになるでしょう。現在、そして未来の信徒の為にも事実を明らかにすべきだと考えます。
宗門には、このような大局観な見地に立って是非とも「中立的な調査」に協力して頂きたいですね。